微糖Extra-①:白雪姫


「でも五十鈴ちゃん、影浦くんのことを怒ってなかったのなら、どうして機嫌が悪かったの?」


 先輩が隣に座る小波に問いかける。

 喧嘩騒動もひと段落すると、先輩は笑いすぎたお詫びにと人数分の紙コップと冷蔵庫から二リットルペットボトルの緑茶を振る舞ってくれた。

 俺は小波に渡す予定だった菓子折りを取り出し、菓子盆の上に個包装のフィナンシェを適当に置く。


 小波は「なんで菓子折りなんて持ってるの?」と言った表情で奇異な視線を向けていたが、説明が面倒なので放っておいた。


「いや、あれは機嫌が悪かったというより、疲れてたんです」


 小波は飲んでいた紙コップ置き、先輩の方を向くと事情を説明し始めた。俺は長椅子を挟んで小波と先輩の反対に座り、耳を傾ける。


「今日から部活動勧誘パレードが始まったじゃないですか。あれでひと悶着あって、それで疲れてたんです」

「ああ、今朝の……」


 俺は事情を即座に理解し、同情した。考えてみれば当然だ。小波もあの部活動勧誘パレードというデス・パレードに巻き込まれた被害者の一人だった。


 あの人口肉襦袢にくじゅばんみたいな鳩胸はとむね筋肉に取り囲まれたら、誰だって疲労困憊ひろうこんぱいにもなるだろう。


「あのラガーマンとフットボーラーの群生地に飛び込めば、そりゃしんどいよな」

「いや、そこは問題なかったよ。よく分かんないけど、『話掛けんなオーラ』出してたら誰も近寄ってこなかったから」

「ああ、なるほど」

「……その『なるほど』はどういう意味?」


 小波は眉根を不自然に吊り上げて、怖いぐらいに満面の笑みを浮かべている。鉄板の影がちらつき、『お前の眼光とか、蛇でも震えあがって逃げていきそう』なんて口が裂けても言えなかった。


「五十鈴ちゃん可愛いからね~。うちの運動部、特に女子マネ募集してる運動部って基本チェリーボーイだから、単純に話掛けられなかったんだと思うよ。女子部員の募集に入部特典を付けて勧誘するぐらいだからね~、馬鹿だよね~」

「努力の方向が著しく的外れですね」

「男って、みんなそうよね」と先輩はできる女風を吹かせるように髪をかき上げる。


(ビジュアルが良いから絵になるけど、性格のせいで胡散臭さが二割増しだ)


 まあ、女子に話掛けられない純情な男子高校生の心理は激しく共感できるけれど。


「じゃあ一体、なにがそんなにきつかったんだ」

「……いや、言いたくない」

「おいおい、ここまで来てもったいぶることもないだろう」

「いーやーなーの!」


 ベーっと舌を出し、明らかな拒絶の態度をとってきた。俺はこの時、全く不快に思わないどころか『思ったより舌、長いんだな……』と、隠された自分の性癖に気付きかけて頭を振った。


「まだまだだな~ワトスン君。これは簡単な問題だよ」


 ちっちっちっ、と指を振る仕草がいやに鼻に付く先輩だ。

 そして、自信満々と胸を張る度、視線が吸い寄せられるので困ったむ、先輩である。


「じゃあ先輩は、何が原因かもう解っているんですか?」

「勿論、答えは演劇部だよ」

「演劇部?」


 俺は小波のほうを確認した。

 小波は驚いたように目を見開き、先輩に釘付けといった様子。


(当たりっぽいな。でも演劇部って、特に接点とかなさそうだけど)


「ど、どうして解ったんですか。私、何にも喋ってないのに」

「名探偵にかかればこの程度の推理、三時のおやつ前だよ」

「先輩、それはお菓子を食べる前にいうセリフです」


 先輩の机の周りには、既に俺と小波よりの倍以上の空袋が散乱している。この人、俺たちにお詫びをしたかったんじゃなくて、自分がお菓子を食べたいだけだったのでは?


「まあこれに関しては、演劇部に伝手がある私に一日の長があるから、影浦くんが解らなくても仕方がないけどね」

「というと、先輩は次の演劇部がやる講演内容を知っているってことですか?」

「正解!」と先輩は人差し指をピンと立てた。


「次の講演では『白雪姫』をやるらしいよ」

「白雪姫……ああ、『魔女役』としてスカウトがかかったってことですか」

「……影浦、なんでそこで真っ先に魔女が思い浮かぶの?」

「何でって、その威圧感が」と思わず口をつぐんだが、既に遅かった。


 小波が脇に置いた鞄に手を入れると、すぐさま銀光煌く鉄板を取り出す。


「ストップ!冗談、おちゃめな冗談だから。それに、演劇部にスカウトされたって推理した先輩だって同じ考えをしたかもしれないじゃないか!」

「ううん、私は白雪姫だと思ったよ。だって五十鈴ちゃん、可愛いもの」


 先輩は肩肘をつき、横にいる小波を甘い微笑みとともに『かわいい』と称した。


「あ、ありがとうございます」


 小波は面と向かって『かわいい』と褒められ、真っ赤な血のように頬を赤く染める。毒気が抜かれたおかげで、小波は鉄板をしまい、浮きかかった腰をもといた椅子に落ち着けた。


「でも実際、影浦の言う通りなんだよね。スカウトがかかったのは魔女の配役なの。まったく、どうして私があんなしわの欲にまみれたキャラをやらなきゃいけないのよ」

「うん?」


 俺は皺だらけ、という言葉に引っかかった。

 

「魔女は国中で、白雪姫の次に美しいとされる美女だぞ。皺だらけなわけないだろう」

「はぁ?何言ってんの。白雪姫に出てくる魔女って言えば、やせ細って白髪あたまで鉤鼻かぎっぱな、眉間や目の下にこれでもかってぐらいクッキリ皺がある、いかにも悪役って感じのキャラじゃない」


 小波がそこまで言うと、俺は互いのイメージしている『魔女』、読んでいる物語そのものが別物であることを察した。

 

 小波が語る特徴、多分これは……


「それって多分、絵本の白雪姫じゃないかな?」


 先輩は俺の考えていたことが分かったのか、答えを先にいい当てる。


「五十鈴ちゃんは多分、昔読んだ絵本の白雪姫の話をしてるんだよね?」

「はい、そうです」

「白雪姫ってさ、原作は『グリム童話』って短編集があって、その中の物語を子供でも読めるように脚色してるんだよ。だから、影浦くんのいっていた国中で二番目に美しい人っていうのが、原作の魔女の姿なんだよ」


 へ~っと、小波は深く感嘆の声を漏らした。


「グリム童話が原作なのは知ってましたけど、登場人物の見た目がそんなに違うのは知りませんでした」

「そうそう、だから影浦くんが魔女って推理したのも、その美しい魔女って意味で言ったんだよ」


 「ね?」っと先輩は瞼を閉じてフォローを入れてくれた。俺はそのフォローに乗っかり、大きく首を縦に振って肯定の意を表す。


「そ、そうなんだ」


 小波はサイドに結んだ髪を、顔の前でくるくるとイジリはじめ「ありがと」と小さく呟いたように聞こえた。


「ん、でもちょっとまって、さっき威圧感がどうとか言ってなかっ……」

「いやー、それにしても面白いですよねー!同じ白雪姫のことを話しててもこれだ食い違うんだから、どんだけ脚色されてるんだって話ですよねー!」


 急いで話の軌道修正をしたため、声が一段高くなり、口調が調子っぱずれになってしまった。しかし、膨れ上がる動悸がいつもの冷静さを奪って離さない。


 小波は疑わしいものを見る目で睨み、思わずぼろが出そうになるが、幸いにも先輩が話に乗ってきてくれた。


「私も絵本の方はあんまり記憶にないんだよね。五十鈴ちゃん、覚えてる範囲でいいから教えてもらえない?」


 小波は頬に指をあて、記憶の紐を手繰った。

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