微糖Extra:刺客と来客


 やってしまった。


 控えめな喧騒渦巻く一年二組の教室で、やたらガタイのしっかりした男子生徒に、まるでラグビーボールの要領で運ばれていった影浦雅人を目で追いながら思った事。

 それも、つい数時間前の出来事だった。

 よわい十五にして人を殴打、あまつさえ保健室送り。地方新聞の見出しを飾るぐらいには人の目を引く出来事であっただろう。


 担任からお願いされたプリントと彼の無駄に大きくて重いリュックを背負い、小波五十鈴こなみいすずは影浦雅人に謝罪すべく保健室へと歩みを進めた。


「入学式の日に何でこんなに荷物があるのよ」


 五十鈴は不満を垂れながらも、彼に対する贖罪と思えば質量は二の次だった。

 『どうすれば許してもらえるか』と授業中はずっとそのことばかり考えていたせいで、残りの授業はほとんど頭に入っておらず、頭は鈍く重い。


「なんでこうなっちゃうかなぁ」と五十鈴はため息交じりに愚痴る。


 と同じ高校へ進学を決め、数少ない枠を争う受験戦争に勝利し、はれて同じ江路南高校へ通えるようになった。

 その初日に、あんな事件を起こしてしまうなんて。


「もしこれで目を覚まさなかったらどうしよう…」


 打ち所が悪くて記憶喪失になんてなってたら、一生残る傷跡を付けてしまったら、ご家族になんて説明をすればいいんだ。事情を説明して信じてもらえるのだろうか。

 そもそも、何故が入っていたのかを、ちゃんと説明できるだろうか。





「私は、ただ」


 あの人に憧れていただけなのに。





 気が付けば保健室の前まで来てしまっていた。

 ノックをしてみても返事はない。

 「失礼します」と密かに呟き、空き巣にでも入るようにゆっくりとドアを開けた。


 保健室を見渡してみても、人の姿はない。どうやらちょうど出払ってしまっているようだった。


「あいつも帰ってる、なんてないか」


 五十鈴は持ってきたリュックを軽く一瞥する。

 すると、吹き曝しになった窓から春風が舞い込んできた。目に見えない、それでも確かな存在感のある風が顔にふれ、思わず目をつむる。

 真っ白なカーテンがめくれ上がると、誰かが横たわっているのがチラッと見えた。


 あいつだ。


「よかった、生きてる」


 五十鈴は自分でも可笑しなことをいっていると思いつつ、そっと胸を撫でおろした。もし生きていなければ、私がこの場にいること自体おかしいんだけど。


(影浦、雅人)


 今思い返してみても、私にはあいつと接点がない。

 それなのに、私に焼きそばパンをくれようとしたり、コカ・コーラを買ってきたりと奇妙な行動をしてきた。

 

(多分、お昼を食べていなかった私が、お弁当を忘れたと思って色々持ってきたんだろうけど。)


 ただ、あまりに挙動不審というか、下心とは違う何か別の野心があって近づこうとしているような、とにかくよく分からない人間という印象だった。

 はいありがとう、といってパンだけ貰うのも抵抗があり断ったが、彼はなぜかもう一度、今度はコカ・コーラを買ってきて手渡してきた。

 息が上がり、もともとの挙動不審も相まって呂律はがたがた、日本語を話しているのかさせ一瞬疑った。


 でも、多分、私のためを思って動いてくれたのは本当だった、と思う。


(まあ、それが噴出したせいでこんなことになったんだけど。)


 優しさか、下心か、それともただの不器用か。

 どちらにしろ、これ以上関わることはないだろう。

 明日、学校で謝って、クラスメイトの距離感に戻れればそれでいい。


 五十鈴は養護教員が入ってくると急いで荷物をまとめて、その場を後にした。体育館から聞こえてくる、ールと靴の擦り切れる音とを耳にしながら、玄関口までの長い長い廊下を進んだ。

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