第三話:メントスは入れてない


「ふぁ~~~、ねむ」


 それは溜まった退屈を吐きだすように、たっぷりと三秒間続いた。


 短くて長い入学式が幕を閉じた。

 これから卒業式まで顔を合わせることがない、というか忘れているであろう来賓の祝辞を嫌というほど聞いたせいで眠気が最高潮に達していた。


 幸い、生徒代表に選ばれた水口舞みずぐちまいさんの演説は、程よく耳心地のいい声だったので、多少は眠気も紛れている。


 とはいえ、問題は何も解決していない。


 入学式を終えクラスに戻り、担任から午後の予定を簡単に言い渡されるとお昼の時間に突入した。

 この日は購買も学食も開いていないと事前に知らされていたので、みな一様に持参したお昼ご飯を取り出す。

 クラスには四、五グループの机の塊が出来上がっており、今朝教室にいなかった他クラスの生徒も何人か混じって各々食事を始めている。


(結局、誰一人とも喋らずにお昼時間まできてしまった……)


 隣席に座るギャルさん以外、全員がどこかしらのグループに属している様子。いずれギャルさんも他クラスの知り合いの下へ行ってしまうのでは、と思っていたが、五分、十分たっても移動する気配がない。それどころか、お昼を取り出す気配もない。

 時折スマホを手にしては、退屈そうにたぷたぷしている。


(もしかして、お昼を忘れたのか?)


 知り合いに頼るでもなく、買いに行くでもなく席に座るギャルさん。俺は絶好の機会と思い、かねてより準備していた『会話の糸口グッツ』をリュックの中から取り出した。


「あ、ああああのあの、ももももしよろしければ差し上げまするがいかがいたしましょう!」


 俺は立ち上がり、彼女に向けてリュックから取り出したを差し出した。


 そう、『会話の糸口グッツ』その一は『焼きそばパン』だ。 


 きっかけ作りの中でも王道な必勝パターン。

 返報性の原理を利用し、まずはこちらから助け舟を出すことによって恩を売る。そうすることによって、主人公が困った時にはヒロインがお礼にと話かけてきたり、逆に主人公からヒロインに介入するための立派な建前を手に入れることができるというもの!


 焼きそばパンというのも理由がある。成長期の男子高校生にとって焼きそばパンのようなお手軽かつリーズナブルで、お腹を満たす高カロリーな食事はいつ何時持っていても不思議に思われない代物。

 もしこれが、女子の受けを狙ったコンビニのプレミアムスイーツであったなら『うわ、気を引こうとしてるのバレバレ、キモ』と言われること必死。辛い。


 学校に着いてから一言も言葉を発していなかったせいで、勢いづいてしまったが、おおむね趣旨を間違えずに伝えることができた。さぁ、のってこい!


「いや、いらないし」


 …………ん?。


「え、や、焼きそばパンだよ?プレミアムスイーツじゃないよ?」


 ギャルさんは質問の意図が解らないといった様子で首を傾げている。


「よく分かんないけど。どっちにしろいらないし、間に合ってるから」


 なん、だと。

 

 空腹状態の相手に対し、ほぼ間違いなく勝つることができると思っていた『焼きそばパン』が断られた。

 俺は行き場のなくなった焼きそばパンを引っ込めることができず、その場で硬直したまま思考に走った。


(何故だ、もしかしてお腹が空いていないのか?そんなはずはない、ギャルさんはまだ一口も食していないどころか、飲み物すら飲んでいない。もしかして消費期限を疑われた?コンビニで今日買ってきた、正真正銘、未開封の焼きそばパンだぞ……)


 チラ。

 うん、明日の四時までダイジョブだ。


 ではなぜ?


(そうか、分かったぞ!彼女はカロリーを気にしているんだ。確かに男子生徒なら『おお、サンキュー』で済みそうなところ、女子生徒だと『重、意味わかんない、キモ』っと言われてしまうかも知れない。)


 だが、あと渡せるものは結花お手製のお弁当だけ……。

 流石にお弁当のおかずを分けるというのは、ファーストコンタクトを試みた一男子生徒がするにはハードルが高すぎる。


 長考の末、俺は一つの答えが導を出した。

「ちょっとまってて!」と財布を片手に急いである場所へと向かう。


>>>一分後

 

「ぜぇぜぇぜぇ、間に、あった、うぇ」


 全力疾走+階段二段飛ばしはすきっ腹によく効く。

 クラス中の視線を一手に引き寄せているが、身体が高揚しているせいか気にならなかった。


「ねえ、大丈夫?」と心配された気もしないでもないけど、俺はお構いなしにあるものを差し出す。


「ここここ、これ、これまだ未開封で、ゼロキロカロリーのやつなので!どうぞ!」



 そう言って深々と差し出したのはコカ・コーラの黒ラベル、ゼロキロカロリーの500mlペットボトルだった。



 そう、俺は入学式を行った体育館から戻る途中、自動販売機を見つけたことを思い出し、流石にラインナップまで覚えていなかったが、いちかばちかでゼロキロカロリーのコカ・コーラを買いに向かった。

 目的の商品が置いてあるかどうかは賭けだったが、見事、分の悪い賭けに勝利した。

 これなら消費期限も気にならず、容量をみて未開封だと一目瞭然。カロリーを気にすることなく、女子でも気軽に差し出すことができる。


「いや、だから…」とギャルさんは言い掛け、こちらの様子をうかがう。声音から、明らかに難色を示しているのが解る。


(まずい、目が合わせられない。)


 ペットボトルについた水滴が、指から爪の先を辿って静かに落ちていく。一雫、二雫と落ちていくたび、身体の中が干上がっていくような焦燥に駆られていく。



 やっぱり、駄目だったのか。



「まあいっか。ありがとう、一応貰っておく」


 ギャルさんがペットボトルを受け取った後も、俺は差し出した手を引っ込められずにいた。成功の実感が沸いてくると、その手は次第に力ずよく握られていく。


 ようやく、ようやく手にしてもらえた、成功だ!

 これで会話の糸口を手に入れることができた。


 俺は胸を撫でおろし、次は彼女との信頼度を上げるべく、スマホゲーム特集が組まれた『月刊ファ〇通』を取り出そうとした。


 その時だった。


「きゃ!」


 プシューっと弾ける音と共に、コプコプと湧き出す炭酸水がギャルさんのスカート目掛けて零れ落ちていく。慌てて蓋を絞めたが、一度侵入した液体はアメーバ分裂の如く広がりを見せ、ギンガムチェックの格子柄模様が深い黒一色へと変色してしまう。


(まずいまずいまずいやってしまった!急いでいたとはいえ、炭酸飲料片手に全力ダッシュを決めれば、そりゃ弾け飛んでもおかしくない。せっかく親睦を深める第一歩を踏み出せたと思ったのに、これでは悪印象を植え付けてしまう。)


 俺は逡巡すると同時に、リュックの中から未開封のポケットティッシュとミネラルウォーターを取り出し、彼女の椅子の前にかがんだ。


「え、ちょ、あんた何やってんの!」

「何って染み抜きだ。コーラのシミは時間が経てば経つほど繊維の奥に染み付いてしまう。応急処置にしかならないが、軽く水で濡らして、裏地をティッシュで押さえながら表面をティッシュで軽く叩き吸収させる。任せてくれ、俺も何度か溢して検証し、習得済みだ!」

「ちが、そういうことを言ってるんじゃない!手、手!ちょっとスカート触らないで!」


 この時、俺の頭には『目の前のシミを抜ききること』しかなく、ギャルさんの金切り声もクラスが何事かと騒ぎ始めるひそひそ声も、耳に届いてはいなかった。


(くそ、噴きこぼれた量が多い!これではシミが残ってしまう……)


 これはあくまで応急処置。

 理想は食器用洗剤を使って軽くもみ洗いしてから乾かすこと。 

 しかし、流石の俺も染み抜きを想定した道具は準備していない。


(そうか、家庭科室!それなら洗剤も水道もあるはずだ!)


 家庭科室の場所は、たしか反対の棟にある一階の端教室。全力で走れば間に合うはず。


「すまないが、脱いでくれ」

「…はい?」


 ポカンと口を開け、ギャルさんはみるみるうちに顔を赤くしていった。


「今はふざけている場合じゃない、一刻を争うんだ」

「ばっかじゃないの!ふざけてるのはアンタの方でしょ、こんなところで誰が脱げるってのよ!」

「大丈夫だ、午後の授業までには必ずシミを抜ききって見せる。だから、はやく、手遅れに」

「やめてやめて引っ張らないで!」


 ギャルさんは俺の指を引き上がそうと、血管が浮き出るような力で抵抗を続ける。


 今振り返っても、あの時の俺は本当にどうかしていた。

 自分がこれほど不測の事態に弱いとは思いもしなかった。

 頭の中には『シミを抜く』以外のタスクしか入っておらず、羞恥に苛まれている彼女の事を一切見れていなかったのだ。



 結果、天罰が下る。



「この、やめろってっ」



机に掛けられていた鞄を高々と持ち上げた。



「言ってんでしょうが!」



 振り下ろされたバックはを立て、俺の頭を荒々しく払い落とした。

 俺は受け身も取れず、衝撃そのままに床に頭を叩きつけられると、一瞬にしてまばゆい閃光に意識が染められていく。

 次第に輝きは暗黒へと変わり、抗うことのできない脱力感に支配された。

 

(……白)


 意識と無意識の境界線で、深い深淵のそこから見えた純白な白。

 あれは、いったい…

 そこで俺の意識は途切れたのだった。

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