そのヨン 蛍子さん

「ワタシ、メリーサン。オナマエヲキク、オニンギョウ。モシモシ、ドナタ?」

「ああ、メリーさんメリーさん、私だよ、土屋。実はどうもね、かくかくしかじかで今日は祝子の友達がこの家に来るんだがね?なんだか来るのが遅いような気がするんだよ、心配だからちょっと見て来てくれないかなぁ?」

「ワタシ、メリーサン。ヨウスヲミニイク、オニンギョウ。マッテテ、センセイ」

「頼むよ!じゃあ……」

 土屋家の玄関の、今時珍しい黒電話。受話器を置いた土屋先生の背後から、蛍子が呆れ顔で。

「あぁた?まだお約束の時間より30分も早いんですのよ?」

「だって蛍子……」

「仕方のない方ですこと。それはそうと!お分かりですわねあぁた?今日は確か、もいらっしゃるとか。

 ……くれぐれも気を引き締めていただかないと」

「あ、ああそうだね蛍子、わかっているよ、わかってるとも!」

 ちっとも落ち着かない土屋先生はそう言って、妻に選んでもらったループタイの飾りをキュッと上に引き上げた。


「もしもし?あらメリーさん?どうしたの?え?……ウフフ♪やだなぁお養父さんったら!大丈夫ですよ、もうすぐそこまで来てますってば。でもそれだったらお願いメリーさん、先に行って、お養父さんにそう言っておいてください♪」

「ワタシ、メリーサン。オツカイダイスキナ、オニンギョウ。オウチデマッテルネ、ノッコ」

(やっぱりそうなんだ。大変なことになったわ……!)

 ノッコのスマホにかかって来た電話、その相手の声とノッコの返事に耳をすませる早苗。彼女の心配した通り、土屋家は怪異も普通に出入りOKらしい。すでにメリーさんが土屋家に現れるのは確定、この分では他の怪異たちもカジュアルに顔を出すかも知れない。

 仁美の身を案じてついて来たような早苗であったが、そもそも自分が行って何が出来るというのか?所詮自分は修行一年少々のひよっこ退魔師。普段土屋家に集うような怪異とは格が違いすぎる。むしろ彼らが振り撒く霊気妖気で、下手をすれば精神錯乱すら起こしかねない。

(でももう帰るわけにはいかない。とにかく、気を引き締めていかないと)

 早苗は一人覚悟を決める。

(やっ!これはちょっと面倒だな……)

 メリーさんと聞いて、珠雄も少し困り顔。

 学校で出会ったあのメリーさん、見た目と違ってとんでもない妖気の持ち主だ。一応化け猫とは言え化け歴一年少々の珠雄程度とあの人形は、化け物としての格が違い過ぎる。自分の正体も、あるいは学校ですでにバレていたのではないか。下手をすれば彼の秘密を暴露されかねない。

(けどまぁ、あの時バラされなかったってことは、今のところ見逃してもらってるってことかな?……いやいや!油断は出来ないぞ、気を引き締めなきゃ)

 珠雄もコッソリ覚悟を決めて。傍らにいる、似ているような違うような気持の早苗と、なんとなく視線を交わした、その頃。

「あぁた?!何をそうモジモジしてらっしゃるんです?いい加減お覚悟をお決めなさいまし!」

「だって、だってね蛍子、祝子の友達が来るんだよ、!私は居ても立っても居られないよ!」

 さっそく土屋家に知らせに現れたメリーさんを胸に抱いたまま、玄関の中で右往左往している土屋先生。その様子に。

(ああもう、殿ったら……このままでは絶対ボロが出てしまう……私がどうにかするしかないわ。気を引き締めていくわよ!)

 代わりに覚悟を決めた蛍子さんであった。


「ジャジャーン、ここがわたしのおウチです!」

「おお〜、つまりここが土屋先生のお宅なのね。雰囲気あるある!侘び寂びというか、奥ゆかしいわぁ……感激!」

 昴ヶ丘はその名の通り小高い土地で、小さな坂が多い。土屋の家はそのなだらかな登り坂の、そろそろ家々の並びが途切れる物寂しい場所にあった。小さな庭付きの小さな、やや古びた一軒家。何の変哲もない普通の民家だ。茶道土屋流の看板のようなものもない。妙に感心する仁美の様子に、はしゃぐノッコ。

「って、大げさですよセンパイ、ご覧の通りフツーのおウチですよ♪あ、確かにちょっと古いかも。お養父さんが関西から引越しした時に、丁度空き家だったのを借りたんだそうです。わたしがまだ赤ちゃんだった頃に」

(取り敢えず。家自体は変わった様子はないわね)

 さぞや不気味な化け物屋敷ではないか、身構えていた早苗。土屋家の密やか穏やかな佇まいにやや警戒を緩めるも。

(でも問題は、あくまで中に住んでるよ)

 この家の前に来る少し前から早苗が明確に感じていた、強い霊気。ただし、今ここにはあのメリーさんがいるらしい。ならばそれはある意味では当然の話だが。

(隠れ蓑になってるのかも。もしかしてその為にメリーさんを呼んだ、とか……?)

 早苗の疑心暗鬼は止まらない。怪異と交流出来る家族、それは普通に考えれば、当然可能性の方が高いのだから。

 この際、肝心のノッコ自身からは特別な霊的な力を感じないところが、むしろ不思議。早苗はずっとそう思っていたのだ……。

(ママに聞いた話だと)

 珠雄にはまた、別の興味。

(先生が関西、確か京都からここに引越したのは、ノッコちゃんのためらしいんだよね。それ以上はわからないって言ってたけど。

 変だね、先生はどうして?お茶の先生をするなら京都にいた方がいい気がするし、東に引っ越すならいっそ東京に近いところの方がお弟子も沢山取れると思うけど。昴ヶ丘はいいところだけど、ちょっと田舎だよ。

 ま、先生なら!あくせく仕事なんかしなくてもいいには違いないか。田舎の方がだし。

 ただ昴ヶ丘を選んだのは、あくまでノッコちゃんのため?

 ……面白いな、面白くなって来た!)

 無論、珠雄はというをみくびるつもりはない。それはとんでもない愚だ。だが若い化け猫である彼は、無邪気な挑戦心や好奇心が極めて旺盛。今日の冒険も、危険と半ばは知りながらそのスリルを楽しんでいる。クラブでのロールプレイングなどとは段違いだ。

「それではご案内しますね!お養父さんお養母さんただいまーってキャア!」

「お帰り祝子ぉ……おわわわわぁー!」

 ノッコが笑いながら玄関のドアノブを引く、途端に慌てて飛び出した土屋!額と額をぶつけ合いもつれて倒れる二人、そしてもう一人。

「ワタシ……メリーサン……ダッコサレタママ、シタジキニナッテ、ツブレルオニンギョウ……タスケテ〜〜!」


「や、ややや、やぁみんなようこそ!わた、私がその、土屋です!」

 額に小さなコブと擦り傷を作った先生は、ガチガチのまま皆に挨拶した。胸に抱いているのは、ちょっとむくれ顔(のような気がする)メリーさん。

「皆さん御免なさいね。たくはホントにそそっかしくて。驚かれたでしょう?」

 そしてその傍で、夫の先ほどの粗相を穏やかに詫びる蛍子さん。

 そこは土屋家の応接室、そしてすなわちそれがこの家の茶室。元々古い小さな民家を借りたこの家には、専用の茶室は無いのである。いかにマイナーとは言え、一流派の家元としては少しおそまつとも言えそうだ。先に訪れたあの若い新家元が、土屋を少しあなどったのも無理はない。そして和室のこの場には、今日は座椅子と低い長テーブル四台がロの字にしつらえてあった。先に皆に配られたふかふかの座布団は、どうやら新品。

「どうぞごゆっくり、脚は崩してね?ささ、ご遠慮なくお召し上がりになって」

 そして彼女は足袋の畳に擦れる音もわずかに、なめらかな手つきで皆の前に周りながらあのモンブランケーキを振る舞う。

「お若い方々ですもの、和菓子よりこちらの方がお好みかと思って。コーヒーとお紅茶、淹れてまいりますけどどちらがよろしいかしら?」

「ウチでお勧めは断然コーヒーですよ!お養父さんの好きな珈琲屋さんのスペシャルブレンド、とっても美味しいんです!紅茶も美味しいけど、普通のレプトンですから♪」

 明るく笑うノッコの言葉で、皆の希望はコーヒーに一択。静かにキッチンに下がっていく蛍子、そして彼女が居なくなると。

 途端に土屋先生が落ち着きを失くす。右に左に泳ぐ視線、天井を見上げては手元の菓子に視線を落とす。膝はガタガタと貧乏ゆすり。そして間が持たないことに焦った彼は。

「の、飲み物はすぐ蛍子が持ってきてくれるから……ああ!で、でもね、食べてもいいんだよ、もちろん!このケーキはね、美味しいんだ、私のお気に入りでね?

 じゃ、じゃあ私が一口……ああ!!」

 土屋の震えるフォークからテーブルの上に、転がり落ちる栗の甘煮。

「ワタシ、メリーサン。オトシタクリヲ、タベチャウオニンギョウ。センセイ、ハシタナイヨ!」

 すかさず先生の腕の中から抜け出して、栗を拾ってパクつくメリーさん。潰されかかってふてくされているのか、その声はあからさまにあきれ気味だ。

 唖然とする早苗、直視に耐えない珠雄。自分達は何を見せられているのか。

(お茶の先生……よね?)

 茶道の心得はないが、早苗は神職の家に育った。祭礼などの大勢の人が招かれ集まる場合に備え、それなりのきちんとした礼儀作法は躾けられている。その彼女から見れば、土屋の今の体たらくはどうにも痛い。茶道家どころか、年齢並みの紳士として落第としか言いようがないではないか。

(うわ~……いやママから聞いてたよ?『先生はスゴイ親馬鹿だ』って。『ノッコちゃんのことになると人が変わる』って。でもそっちの方向に?)

 斜め過ぎる。仮にも土屋ともあろう者が?どうにもダメダメなその姿に、珠雄は他人事ながらいたたまれない気持ち。

 そしてここは武士の情けとばかり、土屋から二人が逸らした視線の先に、ダメダメがもう一人。

「あわわわわ……」

 土屋とシンクロするように、右に左に上に下に目を泳がせ、所在なさげに体をゆする、それは仁美だ。

「ほ、ほん、本物の、土屋先生……どうしよう、ねぇノッコどうしよう!」

 確かに土屋は世間にその名を轟かせるような有名人ではないが、さりとて無名の一般人でもない。ビーグル検索で軽くビビれば、茶道家として郷土史家として、顔写真に人となり、ある程度はすぐに出てくる。仁美ならばかねてよりそれは実行済みだろうし、おそらくこの訪問の前にも改めて調べ直したのではないか。

 そう。ネットの狭くて遠い覗き窓から、今までようやくわずかに垣間見ることが出来ていた、彼女にとって神人のような存在の土屋が……今、目の前にいる。

「大丈夫ですよセンパイ、落ち着いて、そんなに固くならないで。わたしが言うのも変ですけど、お養父さんってば、ごらんの通りのフツーのおじさんですから♪」

 土屋の大ファンだという仁美、彼女に土屋を紹介するのが今日のメインイベント。ノッコは自然にエスコート役として仁美の隣に陣取っていた。そして甲斐甲斐しくフォローする。

「じゃあ、センパイ深呼吸しましょう、ハイ!スー、ハー、スー、ハー!」

「え?えと……スー、ハー、スー、ハー!」

「ワタシ、メリーサン。センセイニモ、シンコキュウサセル、オニンギョウ。

 ハイ!ヒッ、ヒッ、フー!」

「わた、私も?……ヒッ、ヒッ、フー!ヒッ、ヒッ、フー!」

 それはどう考えても深呼吸とは別の何か。早苗と珠雄は、いたたまれない視線をそっとテーブルの上の自分の菓子に移した。


「……今、をターボババアとてけてけに追ってもらってますが、あの二人でも恐らく捕まえるのは無理です。何だかフワフワしてるくせに、やたらとすばしこくって……申し訳ありませんが」

土屋家のキッチンに出現していたのは、あの口裂け女。

「そうですか。困ったことですね。でも追い払えたのなら、今はそれで。

 ただ口裂けさん?正体のわからない相手です。くれぐれもご無理はなさらないように。皆さんにもそうお伝えして下さい。いずれ宅が動きますから」

 早苗の予想通り、この町の怪異たちは土屋家に自在に出入りしているらしい。のみならず、何やら報告連絡相談まで。

「でも、何だかこんな時にお騒がせしてすみません、奥様」

 口裂け女は、そっと視線を茶室の方向に向けてそう言う。ノッコのために客が来ていることを知っている。

「私が今ここに来て大丈夫でしょうか?今日はあの鴻神の……」

「多分大丈夫ですよ、メリーさんがいらしてますから。あなたの気配は上手く隠していただけてますわ。お気づきにはならないでしょう。いつもご苦労様です」

その労いの言葉は、口裂け女にもメリーさんにもかけられたもの。「隠れ蓑」、早苗の推察は的を射ていたようだ。

 そしてその言葉を受けて、口裂け女は蛍子さんに軽く頭を下げ、あの闇をまといながら闇と共にスッと消えていく。

「さ、行かないと、みんなお待ちかねだわ。大殿様の様子も気になるし。大丈夫かしら……?」

 傍で香り高く沸くコーヒーサイフォンを、蛍子さんはそっと取り上げた。


「スー!ハー!……ああノッコ、やっぱり私ダメかも、ドキドキが止まらない!」

「ヒッヒッフー!メリーさん、これで気持ちが落ち着くのかい?何だかやり方が違うような?」

「……あらあら」

 そっと襖が開く。コーヒーサイフォンを手にした蛍子さんの姿に、別に自分達が悪いわけではないが言い訳の出来ないような顔の早苗と珠雄。だが蛍子さんは泰然自若。ほっとため息のような声を軽く一つ、そして相変わらず足袋の音もさやかに、皆のカップにコーヒーを注いで回る。

 最初は早苗。

(ああ、何だろう、急に……)

 次は珠雄。

(何だかホッとするなぁ……)

 蛍子の醸し出す、優雅で暖かな雰囲気が、たちまちその場のバタついていた空気を塗り替える。霊能力の持ち主の早苗も、化け猫の珠雄も気づかない。その女性の髪が今、ごくごく僅かにうっすらと緑に光っていることに。

「さ、凡野さんでしたわね、あなたもどうぞ。今日はよく宅を訪ねて下さいました。ありがとう。これからも祝子をよろしくお願いしますね」

「はい……ありがとうございます、いただきます」

 注がれた香り高い飲み物に、自然と仁美は吸い寄せられる。口をつけると、ざわめきでどうにもならなかった自分の心が、たちまち静まるのを感じる。

「ごめんなさい祝子、ちょっと足りないから、あなたの分は後で。メリーさんも苦いのはダメね、後でミルクをお持ちしましょう」

「ハイお養母さん……♪」「キレイ……」

 ノッコにもメリーさんにも、その顔には順番を飛ばされた残念さは微塵も無い。蛍子のその美しい振る舞いにただ、うっとりと見惚るだけ。

「さ、あなた……」

 暖かな妻の視線。我に返ったような土屋は、クスリと笑いながら。

「ふふ、やはり君には敵わない。ありがとう、いただこう」

 琥珀色の飲み物が皆の喉に落ち、やがて一同の香気に満ちた吐息が室内を満たす。

「先生」

 仁美が、その時まで胸に抱えていた紙包みを土屋に差し出した。

「これを見ていただきたくて。お願いします」

 軽く首を傾げた土屋。だがにこやかに微笑むと、先程までの醜態と打って変わった穏やかな所作で、包みを受け取り、開く。たちまち。

「ほほう……これは。懐かしいねぇ」

 装丁が崩れ今にもページの外れそうな、汚れと擦れで傷んだ、硬い厚紙の表紙。

『へびがみとびくにさま』。それは古い子供向けの絵本。

「わたし、この本が大好きだったんです。亡くなったおばあちゃんに買ってもらって、何度も何度も読みました。もうこんなになっちゃって」

 仁美はあの日グループ室で皆にした説明を、土屋の前で繰り返す。それが自分の原体験であったこと。以来土屋の著作を追いかけるように読んでいったこと。そして。

「先生の御本はいつも、妖怪達にとっても優しい。だから!わたしは……先生、お会い出来てとっても嬉しいです!先生は、わたしの思ってた通りの方でした!!」

「……ちょっと待っていてくれるかな?」

 暖かな微笑みのまま、席を立った土屋。程なく、何かを手にして戻って来た。

 時の流れ相応に古ぼけてはいるものの、まだ新品同様の仁美と同じ絵本と、他に新しい二冊の雑誌。

「凡野仁美君、だったね?これを君に、どうか受け取ってくれたまえ。この絵本はね、私の形になった初めての本だったんだ。有頂天になってねぇ、あの時献本もしてもらったのに、自分であちこちの書店を回って何冊も買い集めてしまったんだよ。まだ同じ物が沢山書斎に並んでいる。でも私の手元ではただの棚の肥やしだ。

 こっちは『季刊・関西郷土史研究』、私が書いた論文が載っている。少し専門的だが、私の本をずっと読んでくれて、こうして立派に大きくなった君ならば」

 土屋の贈り物を胸にかき抱いて、たちまち咽び泣く仁美。その姿にもらい泣きの早苗の中には、今はあの猜疑心はどこにもない。ノッコは養母の両手をとって上に下に、喜びに飛び跳ねそうな勢いだ。

(『思ってた通りの方』かぁ。敢えてみっともないところも見せて正体を隠す!

 ま、今日の先生はアレまるっきり素だし、怪我の功名だけど。勉強になったかな)

 そう独り心中斜に構える珠雄に、メリーさんがトコトコと近づいて。

「ワタシ、メリーサン。カンドウテキシーンニ、ミズハササナイ、イキナオニンギョウ。アナタノコトハ、イマハダマッテテアゲル。アトデチャント……ジブンデネ?」

「ひゃっ!わかりましたよ、今晩にでも、早速……!」

 ひそひそ声で答えながら、珠雄は大いに首を縮めたのだった。


「申し訳ありません。そういうわけで……僕はノッコちゃんを騙したいわけじゃないんです。いつかちゃんと話したいって思ってて……」

 深夜一人、土屋宅の庭に猫の姿でこっそり戻って来た珠雄が、土屋夫妻に向かってそう猫の声で鳴く。縁側に座って聞いていた二人は頷きあって。

「いいのよ。私達はそんなこと気にしてはいないわ。安心して頂戴」

「珠雄君。私達夫婦には、君に何か意見する資格は無いよ。私達はずっと、あの子に大切なことを隠している。あの子を一番騙しているのは私達なんだ。いつか本当のことを伝えなくちゃいけない。それは、君と同じだ。

 私があの子に『祝子』という名前を付けたのはね?あの子が、この世界の全てから祝福されるように、そういう娘になって欲しかったからなんだ。

 そう、全てから……人間からであろうと、あやかしからであろうと!

 珠雄君。どうか祝子の友達になって欲しい。改めて、私からお願いするよ」

 ホッと胸をなでおろす気持ちの珠雄。

「はい!僕は祝子さんとこれからもずっと、友達としてお付き合いを……」

 と、そう言いかけてしかし、珠雄はハッと息を呑む。用心深い猫という生き物、その直感が告げる脅威。

「但し、但しだ。珠雄君……あくまで、あくまで!祝子とは清い交際でね。

 それだけは!くれぐれもお願いするよ……?」

「ニャアァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 襲って来た本能的恐怖に耐えかね、一目散に塀を飛び越えて逃げていく珠雄。

 その時、珠雄が土屋の背後に見た、黒い大きな影。それは巨大な黒い大蜘蛛!

 否、それは土屋の真の姿の、ほんの片鱗。

 今を遡る事千年余りの昔。その強大な妖力によって、日本の妖怪すべてをその配下に従えた者——元日ノ本国ひのもとのくにあやかし総大将そうだいしょう・土蜘蛛。それが彼の真の名。今もなお湧き上がる妖気は底知れず……

「大殿様……じゃない、あぁた!!」

 すかさず蛍子さんが、その土屋の頭を一つ小突いた。

「あ痛!蛍子何を……」

「大人げないったら……何をむきになっていらっしゃいますの?まったく!」

「いや、だって蛍子、私はね、祝子のことが心配で心配で……」

「だからって!うっかりそんなハデに妖気をダダ洩れになさって、に感づかれても知りませんわよ?!さ、もう中に戻りますよ、あぁた!」

「ちょ、待っておくれ蛍子……」


「……おのれ妖怪、またしても!!むむ?消えたか……!」

 蛍子さんに叱られた土屋先生が、すごすごと室内に戻っていったその時。遠く離れたその場所で、その妖気に感づいた者が一人。

 それは早苗の祖父、鴻神流退魔術当代継承者、鴻神巌十郎。

「奴め、この昴ヶ丘の何処に?必ず見つけてくれる……わしの目の黒いうちに、必ず!」

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