そのニ メリーさん
「ぷっ……ちょっと早苗、それ本気で言ってる?んなワケないわよね〜?
あんなのお芝居でしょ、そうに決まってるじゃない!
……いや〜でもあの口裂け女さん、クオリティの高い特殊メイクだったわよね!そこは確かにビックリしたわ!あと路地がどんどん暗くなる仕掛けとかさ、どうやってたのかな?いいもの見せてもらったわよね!」
(まさか?仁美?それ本気で言ってる?!)
あの怪異、口裂け女との夕暮れ時の邂逅。一夜明け、床から身を起こした早苗は、しかしまだ悪夢の中にいる思い。
よくこうして無事で帰って来れた、そう思う。いや、何が起きたというわけでもない。あの後、早苗達三人と口裂け女は自己紹介を交わし(怪異に自分の名を教えるなど初歩のタブーだが、その場の流れで早苗もそうせざるを得なかった)、ごくつまらない世間話を二、三。
そして。
「じゃあここらで失礼するよ。ノッコ、先輩達によくお願いしときな、仲良くして下さいって。あんた達、ノッコをよろしく。この子はホントいい子だから。頼むよ」
そう念を押すように言い残して、怪異は路地奥の闇に消えていった。
あの日起こったことといえば、それだけ。だが早苗は思い起こすと背筋に堪え難い戦慄が走る。あの怪異が振り撒いていた圧倒的な霊気に、早苗の本能が震えるのだ。
その後、どうやって家に帰って来たのか、帰宅してから床に就くまで自分が何をどうしたか。早苗にはまるで定かではない。物語でいう「悪酒に酔うような思い」とは、こういうことを言うのだろうか。
ただぼんやりと覚えていること。怪異と別れたあと、緊張の糸が切れてすっかり虚ろになってしまった自分の側で、何かに笑いさざめいていたような、あの二人。
(そうだ、仁美!)
親友はどうなったのだろう?跳ね起きた早苗は身支度ももどかしく学校へと飛び出して行ったのだったが。
校庭を駆け抜けて、息を切らしながら飛び込んだ教室には、他のクラスメイトと朝の挨拶を交わしながら、カラッと明るい顔で笑う仁美の姿。早苗はその腕を取って教室の外に連れ出した。廊下で左右を見回して人通りを確かめながら、仁美の耳に齧り付いてヒソヒソ声。
「仁美……大丈夫なの?あの後何も無かった?体は?痛いとか苦しいとかだるいとか無い?」
早苗は駆け出しのひよっことは言え退魔師である。霊的な存在の持つ霊力は元より、他の人間が霊に感応するその能力もある程度推し量ることが出来るようにはなっていた。そんな早苗の見る限り、仁美に霊的な力はほぼ皆無。全くの一般人である。すなわち、霊から何か悪影響を及ぼされようとした場合、抵抗力もまた皆無に等しいだろう。
あの口裂け女は確かに二人に対して敵対的ではなかったとは思う。だが霊能力の無い仁美があれだけの濃密な霊気に晒されて、無事でいられただろうか?早苗はそれが心配だったのだが。
「何?体?全然フツーだよ、ホラこの通り元気元気!
……どしたの早苗、そんな怖い顔してさぁ?」
まるでケロッとしている。
「だって昨日、あの……」
と、いっそう声を潜めて問う早苗。だが帰って来たのはカラカラと軽い笑い声。そして仁美は言うのだ。あれは全部「何かの芝居」だと。
「だってさぁ、口裂け女だよ?現代怪異、妖怪、お化け……それがさぁ、あんなにハッキリ見えたり声が聞こえたりするわけないじゃない?それにあたし飴貰ったけど、アレも本物だったし、味も美味しかったし。カバンも触ったけどちゃんと手触りあった。レトロだけどすごくいいサテン地だったよ。アンティークの高級品ねきっと。
つまりあれはどう考えても実体。ヨーするにただの人間よ!」
「え……えと?えええ???」
早苗は絶句した。そう、あの口裂け女の現世への適応と実体化は確かに完璧だった。だからこそあの時早苗は震え上がったのだ。これほどの怪異はおそらく滅多にいない。稀に見る強力無比な霊体である、と。
ところがそれが。霊能力のまるで無い仁美にはあまりにも完璧過ぎて、ただの人間としか感じられなかったというのだ!
でも、それにしても。
(図太いにも程があるでしょう、仁美……!)
うろたえまくっていた自分とは反対に、飴の味からカバンの手触りまで、したたかに観察していた親友。そのクソ度胸と好奇心の強さに、早苗はあらためて舌を巻いた。
……下した結論はまったく間違っているのだが!!
ポカンとするしか無い早苗。その顔を見て、ところが今度はその仁美が早苗の手を取り、ガラリ一転、なにやら切なさそうな顔と声で。
「ねぇ早苗、実はね?あたしも早苗に言いたいことがあったの。あのね……
ノッコちゃんさ、オカルト研に入れてあげていいかな?お願い早苗!」
「え……」
「変なコだよね。どうしてあんなお芝居するのかな……でもね!あのコはとってもいいコだよ、きっと!帰りに色々話してさ、あたしそう思ったんだ。
多分何か理由がある。それもきっと、タチの悪いいたずらとかじゃないよ。最後にはさ……なぁんだって!みんなで笑えるようなそうゆうこと……だと思うんだ。
あたしね、早苗にはずっと感謝してたの。あたしの変な趣味につきあってくれて。うん、わかってるよホントは。怪奇現象とか幽霊とか妖怪とか、そんなのホントは……だけどあたし、子供の頃からそういうのが好きでさ。他のみんながドンドンそういうのから卒業してく中でさ、早苗だけは今までずっとつきあってくれたよね……
もう来年はあたし達も三年生。受験だものね。あたしもさぁ、そろそろ……オカルトは卒業かなって……そう思ってたんだ。
だからさ、最後の思い出に!とびきり面白そうなあのコのペテンに、一緒に騙されてみて欲しいんだ。お願い!!」
幼なじみの親友の、切なる思いと願い。早苗は胸を熱くしたかった。もしかしたら涙ぐんでしまったかも。
その親友の、たった一つの、とんでもない勘違いさえなければ。
(仁美……でもその……あなたね……?)
早苗はグルグルとこんがらがった気持ちのまま、その時ただコクリと頷くしかなかった。
かくしてノッコこと土屋祝子嬢は、晴れて正式に、昴ヶ丘高校オカルト研究会の三人目のメンバーに加えられたのであった。
そして次の週の水曜日。オカルト研が単独でグループ室を借りていたことで、TRPG同好会のメンバーは少しざわついていた。
そして。
「仁美センパイ、お話、とっても面白かったです!『シャドーピープル』ですかぁ、外国にはそんなお化けさんもいるんですね!遭ってみたいなぁ……」
男子ばかりの隣のテーブルからは、初々しく愛くるしいノッコの一挙手一投足にチラチラと注目の視線、ゲームもまるでうわの空といった様子。そしてそれを、まるで我が事のようにドヤ顔で見返す仁美である。どうやらすでに彼女は、ノッコのことを妹のような感覚で見ているらしい。
にも関わらず。仁美はノッコの言葉を実はまるで信じていないのだ。どうやってその矛盾を自分の中で解決しているのか?早苗には親友のそんなところが不思議でならない。そしてそれは、危ない綱渡りのように思える。
例えば。あの口裂け女に、仁美がノッコのことをペテン師まがいと思っているなどということを、もし知られたら……!
(先にお師匠に相談した方がいいのかな……でも?)
ノッコの周りにいるという怪異達。どうやら口裂け女だけではないらしいが、それらがもし人に仇成す者だとしたら、当然厳十郎に打ち明けるのが最善だろう。だがその時、今度はノッコがどうなるのか?
早苗にはどうにも決めかねる。
(まだわからないことが多すぎるわ……)
思い悩む早苗の気も知らず。はしゃいだ顔のノッコに仁美がまたもや。
「ありがと。でもさ、あたしのはどこまで行っても所詮『座学』ってやつ。人の話とか本とかネットで調べただけだから。
ノッコはさ、知ってるわけじゃない、本物を!
……ねぇノッコ、あの口裂け女さんの他には、どんなお化けと知り合いなの?」
早苗の耳には、仁美の口ぶりが僅かに挑戦的なのがわかる。
「そうですねぇ、例えば……」対して、ノッコの返す言葉はいたって無邪気。
「『メリーさん』ならすぐ来てくれますよ!」
「ああ、あの『後ろから来る』?いいわね、会ってみたいな!」
「じゃあ早速ピポパポペっと!もしもし、メリーさん?」
(あ、『後ろから来るメリーさん』を自分で電話で呼んじゃうんだ……)
思わず早苗は仁美の顔を見る。帰ってくる素早いウインク。「言った通りでしょ」という顔だ。
「今どこ?『すぐ近く』?じゃあ待ってるから!
……ちょっとだけ待って下さいね、すぐ来てくれると思います」
(え、思わずスルーしちゃったけど、ここ学校よ?ホントにここに来ちゃうの?!)
メリーさん。口裂け女と並ぶほどよく知られた都市伝説の怪異。そしてただの噂ならともかく、ノッコが呼んだのならそれは……そう、早苗が遭ってしまったあの恐るべき口裂け女、あれと同等の霊的存在が?こんなところに??
(隣で男子も見てるし!それ大騒ぎにならない?!)
焦る早苗。だが。
「ねぇノッコ、あたし試してみたいことあるんだけど。みんなで輪になって『後ろ』をカバーしたら、メリーさんって困っちゃうかな?」
「うふふ♪センパイ、それわたしも考えたことありますよ!でも今まで誰も一緒にやってくれる人いなくて。
……やってみます?ホントに困ったらメリーさん、電話くれると思いますから」
(呑気が……過ぎるでしょう!)
「いいの?じゃあ……ねぇゲーム組!今からあたし達ちょっと面白いことやるんだけど!こっちに来なよ!
……ゲーム?だってあんた達今日はなぁんかヒソヒソ話ばっかり。全然セッション進んでないじゃない?いいからやろうよ!息抜き息抜き!」
(ひ、仁美ぃぃぃぃ!!)
一人青ざめる早苗の気も知らず、何だ何だと集まる「ゲーム組」の面々。そう、彼らも興味深々だったのである。もちろんその興味の中心は言うまでもなく、ノッコ。
「じゃあ説明、かくかくしかじか!」
「召喚術?メリーさんって、アレを?マジかよw」
「おもしれーwww、よし、みんなで背中向きで輪になるんだな?」
「待て待てお前ら慌てンな、テーブルが邪魔だ、先に片せ片せ!」
「おっと了解、やっこらせ!んでもって椅子をこう並べてっと!」
(ノリが……良過ぎ……)
たちまちその場に出来上がる、背中向けの車座に並べた椅子のサークル。
「おお〜いい雰囲気。儀式っぽいぜ!」「ぽいな!」
早苗は合点がいった。ゲーム組ことTRPG同好会、ロール・プレイング即ちお芝居大好き人間の集まり。こんな「遊び」は大好物なのだろう。そして仁美はもちろん、そうと知って彼らを煽動したのだ。
(ああ……どうなっちゃうのこれ……)
本来、心霊現象に遊び半分で臨むなど御法度だ。特に新米退魔師の早苗は祖父からそのことは厳重に叩き込まれている。
ただしこの場合。その心霊現象の張本人、ノッコ自身が大乗り気なのだ。
今の彼女のワクワク顔に水を差すのは、返って霊の意思に逆らうことにはならないか?早苗には判断がつかない。ただ思うことは。
(ノッコを信じるしかないわ……)
彼女がいれば、何が現れても悪さはしないはず、あの口裂け女のように。
「では全員、着席!」当然のような顔でその場を仕切る仁美、その掛け声で皆椅子に向かう。ただ、一瞬彼らはもたついた。皆、ノッコの隣を狙っていたのだ。
すると仁美が狙いすましたかのように。
「キミキミ!そう、1-Bの新人君!キミがここの席。このコが1-Cのノッコ、よろしくね!」
騒がしかったゲーム組の中で、一人大人しくしていた一年生。仁美は彼の手を取ってノッコの隣に座らせたのだ。そして他の皆に向かってまたもやウインク。
たちまちそういう事かとニヤリ顔で、粛々と席に着くゲーム組の一同。大げさにバタ臭い肩をすくめる者もいる。
「友達がいない」と言ったノッコに、同じ一年の彼を紹介する。それが仁美の目論見だったようだ。実におせっかい。でもそういう情の深さは、早苗が仁美に親友として惹かれるところだ。そしてモジモジとやや照れた顔をしながら挨拶を交わす新一年生二人の初々しい姿に、早苗の心もほんのり暖かくさせられる。
(いいわ!何かあったら、きっとわたしがどうにかして見せる!)
早苗が一人静かに心を決めた、まさにその時。
ノッコのスマホが鳴る。ボリュームを目いっぱい上げていたのだろう、聞こえてきたその声。
「ワタシ、メリーサン。イマ、ミンナノウシロニイルノ」
大慌てで自分の椅子の背の向こうを覗き込んだ一同、全員の視線が集まった椅子のサークルの中心に。
その古ぼけたフランス人形は、ちんまりと座っていたのであった。
「「「「「……スゲー!!」」」」」
ゲーム組の一同は、立ち上がって拍手喝采だ。やはり驚いた顔の一年生君に、にっこりと笑いかけるノッコ。さらにそれを姉のような顔で満足そうに見ている仁美。
そしてそのフランス人形は、両手を挙げて立ち上がり、皆の歓声に応えるかの如くクルクルとその場で回り始めた。そして直に喋った。
「ワタシ、メリーサン。カワイイカワイイ、ノロイノオニンギョウ、ヨロシクネ」
「「「「「……マジスゲー!!!」」」」」
ワッと沸く二度目の歓声。
ただ一人。早苗だけがその場に凍り付いている。
(うそ……でしょう……?)
その小さな人形から感じるとてつもない霊気、妖気。実にあの口裂け女以上だ。
早苗の固めたばかりのあの小さな決意は、たちまちぐらつき始めたのだった。
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