西洋の防御方式は、基本、大砲に対する防御を前提としていますね。山がちな日本の場合、当時の大砲では設置が難しく、射程も短いので、それほど攻城戦では活躍していません。大砲の活躍が目立っているのは大坂城くらいでしょうか。
華麗な天守閣も戦国期で作られたのは例外的少数で、多くは江戸初期の建造です。戦国期から残っている天守は数えるくらいしかありません。犬山城はその中でも有名ですが、実際に行ってみるととても小さく、質素です。姫路城は江戸初期ですが、もう大きな戦争は無くなっていく時代でした。名古屋城なんかは立派な天守が造られていますが、戦災で焼失したのは残念ですね。
作者からの返信
白狐姫と白狐隊 様
コメントありがとうございます。
そうですね。
函館の五稜郭に関していえば、当時すでに欧州では欠点も露呈していて、古い様式だと言われていましたからね。
それでも、あの様式を取り入れたのは、西洋式のインパクトを与えるためか、とか、裏で海外勢が日本を攻め落とすための布石の一つだったのではないか、とか、様々な説があると聞いたことがあります。
戦国時代の城は、山城のイメージが強いですし、個性豊かですよね。
堅牢な天守閣といえば、姫路城ですかね。一度は訪れたいなと思っています。
熊本城が地震被害を受けた際に、石垣が崩れた原因の一つに昭和時代の改修の仕方にあったという話を聞きました。当初は裾が広がるようにカーブを描いていたのに、昭和の改修で直線にしてしまい、それで耐震強度が弱まってしまった、と。
「ここより下に家を建てるな」みたいな石碑があっても無視して街を作り、津波の被害が……みたいな事もありますし、古人の業績を無条件に無視は出来ないなーと思ったのでした。
作者からの返信
そうざ 様
コメントありがとうございます。
どのくらいの影響があるか、私は分かりませんが……昭和の改修工事がなければ、熊本城は荒廃の一途をたどったとも聞いたことがあります。
あの大地震が、江戸当時に起きて、熊本城が耐えられたかも分かりませんから何ともですね。
ですが、今回の修繕には多くの有識者が意見を出し、シュミレーションを重ねたとも聞いています。二度とあのような大地震が来ないことを祈るだけですね。
石碑や伝聞に関しては、そうですね……無視をしたというよりは、情報過多な時代で伝わりにくくなっているのかもしれません。
また、現代人の興味が薄れている等もあるような気がします。