応援コメント

3.心配性の将軍が推し進めた参勤交代」への応援コメント

  • 江戸の話、好きです。

    参勤交代って「参勤」と「交代」なんですよね。行きと帰り。

    徳川時代のイメージは明治新政府が悪く喧伝した側面もあるようで、今では「鎖国」「士農工商」等が教科書から消えているとか。明治以降に一般化した「江戸時代の言い方」も色々とあるようで。「藩」とか「天領」とか。

    正座は元はプライベートのリラックスした座り方だったなんて話も聞きます。公の場では男性は胡坐だとして、女性もかつては立膝が普通だった。座布団は一般的には使っていなかったとか、現代人が伝統的だと思っているあれこれ、実は歴史が浅い。

    作者からの返信

    そうざ 様
    コメントありがとうございます。
    そうですね。参勤交代の意味は、行きと帰りですね。そして、明治新政府が悪く宣伝した側面もあります。
    うちの娘たちの教科書には、まだ鎖国も士農工商もありましたが……まぁ、教科書は変わるものですからね。その言葉が生まれた意味を知ることの方が大切だと思います。

    公の場で男性が胡座だったのも、咄嗟に動くためにもっともよい形だったのでしょう。戦国時代で正座などしていたら命がいくらあっても足りませんよね。
    女性の立膝も、すぐに動けるようにということだったのかもしれません。

    座布団!
    実は話題にしようと思っていたものです。
    そもそも、木綿や綿は高価でしたからね。座布団どころか、布団が一般的になったのも明治時代と云われています。
    まぁ、円座といわれる座布団に似たものはありましたけどね。

    編集済
  • 鎖国とは言ってもオランダとは交易しており、オランダ経由で西洋各国の事情や情報も収集していたので、意外と抜かりがなかったりしています。あと、参勤交代は家光の時代以降、相応に緩められています。小大名が困窮して領民から搾り取る様になると、島原の乱みたいなのがまた起こる可能性があったからです。松倉勝家を調べるとわかりますが、こういうご乱心気味の君主が出てきかねません。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊 様
    コメントありがとうございます。
    ご安心ください。鎖国政策で外国との接点が全くない訳でないのは、知っていますよ。
    言葉足らずで、申し訳ないです。

    オランダ以外にも、中国や朝鮮、琉球などとの交易もありましたよね。
    特に琉球使節なんかは、江戸の庶民も異国文化に触れるのを楽しみにしていた側面もありますからね。

    オランダに限定すると、緊張した時期もあるんですよね。フランスに支配された時期の出島は大変だったとか、イギリスがオランダの旗を掲げて入ろうとした事件とか……

    そのあたりは、また別の時に語ろうかなと思ってます。