3.心配性の将軍が推し進めた参勤交代
どんな物語を書くにしても、登場人物が動く世界を作らなければなりません。
今、書こうと思っているのは、「奇跡の花」を求めてやってきた主人公が外国から江戸風の国にやってくる、異国での冒険とロマンスになる予定なんですけどね。
冒険をどういう流れで書こうか悩んでいます。
中心都市を舞台にあちこちの地方に赴くのか、地方から中心都市へと向かうのか。とかね。
ところで、江戸といったら鎖国ですね。
家康公は貿易に対しての考えが消極的でもなかったと思うんですが……秀吉の朝鮮出兵の尻拭いをしなくてはならず、また兵力も温存しなければならなかったため、結果的に貿易は下火になっていったのかな、と個人的には思ってます。
ちなみに、鎖国に至ったのは徳川家光公の時代です。
家光公は極度の心配性だったんですよ。それ故、キリスト教の布教=外国勢力の高まりを恐れたのでしょう。海外で日本人がキリスト教の教えに染まるのも恐れ、海外に行くのも戻るのも禁止したのですから、相当、心配したんでしょうね。
この心配性が生み出した政策は鎖国だけではありません。
江戸時代の風景ともいえる「参勤交代」や、大名が拝謁の義に「正座」で臨む等も、家光公が定めたんですよね。
参勤交代は、大名が謀反を起こす時間も金も持たないようにするためだというのは、有名ですね。正座もまた、突然刀を抜いて襲ってこないようにするため、だったそうですよ。
そんな心配性の家光公でしたが、彼のおかげで「参勤交代」が生まれ、街道が整備され、各地に旅籠屋が出来たことで地方も活気づくようになりました。
この旅籠屋は、食事付きのものもあれば素泊まりで食べ物を持ち込めるところもあったそうですよ。現代と変わらないですね。中にはエッチなサービスをしてくれる女の人がいる旅籠屋もあったらしいです。
江戸時代は平和だったので、庶民もお金をためることが出来ました。伊勢参りにいったり、各地を物見遊山(観光)したそうです。
浅草寺の「ほうずき市」も、そんな物見遊山の人々が浅草寺に行ってきた明かしとして買い求めたと聞いたことがあります。
江戸城下といえば、地方に住む者からしたら憧れの都市でしたから、参勤交代で江戸に出る大名たちは、藩に残す身内や友人に「どこそこの○○を買ってきてほしい」と頼まれることも少なくなかったとか。
また、参勤交代では長い旅路となるので、いくつもの藩で旅籠屋に泊まるわけです。大名たちが泊まるのは、旅籠屋の中でも大きい名主(町長とか市長のイメージ)の屋敷に泊まったわけです。
そこで振る舞われるのは最上級の献上品で、それに見合った額を大名は与えたそうです。ただ、ちょっとお金が厳しいぞって年があることもあって、そんな時は「倹約したいからその品は買い取るね」なんてこともあったとか。
献上品のお礼として賜れる額であれば、現代で10~20万の価値が、買い取りだと2万程度になったそうです。名主としては大損ですよね。
大名は献上品の対価を渡す形で名主の屋敷に泊まりますが、多くの配下の武士は他の旅籠に泊まります。現代の価格で一人、4~5千円だったようです。
このお金のやり取り話が、資料としても残ってるらしいですよ。
「今年は倹約してるから下げてくれ」
「うちは飢餓なので困ります。上げてくれても良いのに」
なんてこともあったとか。
事前に旅籠賃の交渉を担当した配下の武士は、なかなかに大変だったことでしょう。
何だか、社員旅行の宿泊先を探すのと似てる気もしますね。
江戸時代のお金のやり取りや、人の賑わいって、案外現代にも通じるものがあるんですよね。
お金の動きや価値観は、意外と変わらないものなのかもしれませんね。
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