2.みんな大好き第六天魔王!

 カクヨムコン9は江戸時代をモチーフに世界観を構築する予定なんですよ。まだプロットがまばゆい白です。笑

 

 そんな江戸時代といえば、徳川家康公ですね。

 今年は大河ドラマ「どうする家康」で注目度が高く、本屋には江戸関連の本がずらり。あれもこれも欲しい、ちょ、それも!と本屋に行くと涎が……


 家康公が成り上がる話でもあるので、江戸の話というよりも戦国時代色も強かったですね。意外とチキンな家康をどう描くのか、家康視点の周囲はどういう人物像になるのか──秀吉のゲスぶりとか楽しかったですね。


 戦国武将と言えば、やはり織田信長を外すことは出来ないですよね。その最期は様々な仮説が立てられて、多くの方が興味を持つのも、当然だと思います。

 「どうする家康」では、信長様の強さが孤独の中にあったと描かれていて、家康大好き信長様になっていましたね。個人的にはアリでしたね。


 さて、信長様は時代小説以外での登場も多いですよね。第六天魔王という呼び名が、そうさせるのかもしれません。


 でも、この「第六天魔王」って信長様の自称なんですよ。


 武田信玄公が挙兵をしたとき、「延暦寺を復興するために、信長を討とう!」と主張したのは、有名なエピソードだと思います。それに対して信長様が「自分は第六天魔王となってそれを妨ごう」と宣言したといわれてます。


 出典元はただ一つ。

 キリスト教の宣教師であるルイス・フロイスの報告書に書かれてただけなんですよ。


 私たち創作の民から見ると、すごく印象的なエピソードですが、日本の資料には残されていないって、ちょっと不思議ですよね。


 ちなみに魔王って、どうしても西洋ファンタジーのイメージを抱いてしまいますが、これ、仏教用語なんですよね。第六天というのが、欲望にとらわれた人々が生きる世界を示しているそうです。


 法華経では、修行の邪魔をするのがこの第六天魔王で、その邪魔に打ち勝つことで、更なる信心が己を高める……みたいなことを言ってますよね。結局、第六天魔王は味方でもあり、己を高めるためには必要であるように伝えていたようですね。

 贖罪を求める武将たちが信仰したのも、なんだか、分かりますよね。解釈の仕様では、己の高みのため邪魔ものを討つのもやむ無しとなりますから。


 そう、法華経を信仰する武将が多かったんですよ。

 

 だから、信長様が「第六天魔王」を名乗ったとしても、それを恐怖と捉える人は多くなかったのかもしれません。何せ、法華経では信者の味方ですから。

 むしろ、欲にまみれた第六天を争いの絶えない戦国時代と重ね、信長様がの世界を平らかにすると考えたものがいても、おかしくないと思います。


 ところで、ロイス・フロイスはキリスト教の宣教師ですよね。キリスト教で魔王といえば、悪魔の王を指すと思うのですが……。

 信長様に仏教の勢力を削いで、キリスト教を布教する助けとなることを期待していたとしても、その魔王に未来を託すように、この一件を記録したのはなかなかの矛盾を感じますよね。


 うーん、もしかして、友好的にキリスト教を布教しながらも、ゆくゆくは魔王が治める国だと難癖つけて攻め込むことも可能……なんて考えてたりしたのかな。

 と、ちょっと思ったり。雑にマイナス思考ですかね?


 でも、ロイス・フロイスが信長様を魔王として自国に報告したっていうのは、創作に使えそうなエピソードになりますよね。


 なお、信長様が討たれた本能寺も、法華宗です。

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