第2話 ライムグリーンの瞳

 廃城を出た二人は、大きな川に沿って南下し、バーデン地方にあるシュヴァルツヴァルトの森を目指していた。エドワルドは、ヴァンパイア族の忘れ形見であるエリザをおんぶして平原を通り過ぎ、森の中へ入っていった。だんだんと坂道が増えていき、フェルトベルク山へと入っていく。その山の中腹にその集落はあった。


 ホビットの里、フルトヴァンゲン。


 後に鮮血の女帝と呼ばれる『吸血姫エリザベート』が、およそ75年ぶりに人里を訪れた瞬間だった。



 その里はやや高低差のある土地を開拓してできたものに見えた。大きな堀と柵で囲われており、害獣は入ってこられないようになっている。丘の上から下まで石造りの家が立ち並び、煙突からは煮炊きの煙が上がっている。中心部には小さな商店街と役所があり、外縁部では牧畜や農業が行われている。


 大きな町ではないが、のどかで平和な集落だ。エリザが幼いころに見たヴァンパイアの村も、この里のように平和だったような気がした。二人は里の中心にある建物に入った。エドワルドはエリザを椅子に座らせ、その場にいる三人の村人を紹介した。



「こちらが族長のルートヴィヒです」

「はじめまして、エリザベート様。エドワルドから話は聞き及んでおります。このような辺境へんきょうの地に留まってくださること、光栄に存じます。何もありませんが、ゆっくりなさっていってください」

「ふむ。礼儀がなっているようじゃな。気に入ったぞ。これからよろしく頼む」

「なんなりと」


 族長であるルートヴィヒは白髪の好々爺こうこうやといった感じで、エリザは好感をもった。


 そして、ルートヴィヒのやや斜め後ろに、若い小人族ホビットの女性と、彼女にくっつく幼い女の子がいた。その子はじーっとまっすぐに、エリザを見つめている。

 エドはその女性と女の子を前にうながし、手のひらで示しながらエリザに紹介した。

「ミナといいます。私の幼なじみです」

 ぺこり、とおじぎをするそのミナという女性はホビット族らしく低身長で、耳が長く、みどりの瞳をしていた。


「はじめまして。お話はうかがっております。狭いところですが、一緒に楽しく暮らしましょうね」

「ぬ?」


 話が見えないエリザは困惑した。エドの方を向き、ミナを指さしながら言う。


「拙はこの女と一緒に暮らすのか?」


 その態度は礼を欠いていたが、ミナに気分を害した様子はなかった。エドはエリザに状況を説明する。


「私はあまり家にいませんから、信頼できる人にあなたを預けようかと思いまして」

「ふむ、そういうことならよい。娘よ、よろしく頼む」


 成人しているミナに対して(実質的にはこの場で最年長だとしても)容姿が子どもにしか見えないエリザが不遜な態度を取る構図は、人によっては怒りだしてもおかしくない状況だった。

 だが、ミナは変わらずに笑顔でエリザを見つめていた。


「はい。こちらこそよろしくお願いします。ほら、ご挨拶して」


 ミナは、自分の左足に抱きついている幼い女の子をエリザに紹介した。


「娘のレイラです」


 レイラはゆっくりと前に出て、不安そうな瞳でエリザを見た。小さくペコリとおじぎをして、すぐに母の後ろに戻る。

 その様子にエリザは苦笑しながら「すまぬ。よろしくな」と短く言った。

 レイラは、小さくこくりとうなずいた。

 

 あいさつが済んだので、エリザはミナの家に向かうことになった。エドは火急かきゅうの用事があるということでどこかに消え、村長ルートヴィヒは建物やくしょで仕事をこなすらしく、一行はエリザ、ミナ、レイラの三人となった。


 ミナはレイラと手をつなぎながら、エリザを家まで案内した。

 その家は、集落の西側に位置していた。

 近くに小川と水車が連結されていて、収穫した小麦をあそこで挽いて小麦粉にするのだ、とミナはエリザに教えた。

 「なるほど」とエリザはうなずきながら、あらためて目の前の母子を見つめてみた。


 ミナはホビットなので、成人したエルフの三分の二くらいの背丈せたけしかなく、ややもすると娘のレイラと姉妹であるかのように錯覚してしまいそうだ。肌は白く、あざやかな金髪を編み込んでおり、その瞳はライムグリーンの輝きを放っている。目鼻立ちは整っており、間違いなく美人の部類に入るだろう。その服装は木綿もめんあさで縫われたワンピース風の簡素かんそなものだったが、木彫りの髪留めや薬指にはめた銀色の指輪を見る限り、さほど困窮こんきゅうはしていないように見えた。


 娘のレイラはエリザの胸元ほどの身長しかなく、母に似て金色の髪と黄緑きみどり色の瞳が可愛らしい、人類サピエンスだとおよそ6歳くらいの女の子に見えた。


「ようこそ、わが家へ」と言いながら、ミナは木製のドアを開け、エリザを自宅へ招き入れた。

 エリザは小さく目礼をして、家に入る。

 石造りの壁、床には麻で編んだ敷物が見えた。

 家具は木製の食卓と椅子、親子で使っているのだろう大きめのベッドと、一人用サイズのベッドがあった。

 また、陶器の水瓶が三つほど部屋に置かれている。顔を洗うための桶もあり、簡単な煮炊きができそうなかまどと煙突もあ。

 そして少量の薪が部屋の隅、つまりベッドの反対側に設置されている。

 基本的に部屋に間仕切りは無く、ワンフロアですべてが完結している。


 トイレは便器が地面に埋め込まれており、家のすぐ隣、麦畑と隣接した場所にある。木製の目隠しも設置されており、人から見られる心配もない。

「かなり整っているな」

「それは良かったです。エドくんがいろいろ便宜を図ってくれて、村のみんなにも助けてもらいながら生活しています」

「そうか。あのベッドは拙のものか?」

「そうです。ご自由にお使いください」

「助かる」


 ミナはかまどに置かれた鍋のフタを開けながら、エリザに声をかけた。


「そろそろお昼ですね」

「そうじゃの」

「お腹は空いていますか?」

「少しな」

「昨日焼いたパンと、朝に作ったスープがありますよ」

「それも良いが、今は血が欲しい」

「血、ですか?」

「うむ。拙はヴァンパイアじゃからな。ミナよ。首筋を出してくれぬか」


 ミナは戸惑いながら椅子に座り、うなじをエリザに向けた。


「少しだけ痛むぞ」


 エリザはミナに抱きつくようなかたちで覆いかぶさり、とがった八重歯やえばをうなじに突き立て、ちゅるちゅると血を吸った。


「あっ・・・」


 ミナは目をつぶり、小さな痛みと快感に身を震わせた。ミナにとってやや左側のうなじに、エリザの歯が二本突き立っている。温かい血液が、少しずつ目の前の小さな女の子に吸われていく。どことなく官能的だな、とミナは頬を赤らめながら思った。

 

 数秒が経ち、エリザは満足したのか、ちゅるりという音を立て、歯と口をミナのうなじから離した。ぺろりと唇の血を舐めとり「ごちそうさま、じゃ」と言って微笑ほほえみ、その身をミナから離した。

 

 一連いちれんの表情は、ふだんの姿からは想像もできないほど妖艶で、ミナはドキドキしながら広げた服の襟元えりもとを直すのだった。


 その後は三人でおだやかに過ごした。娘のレイラも徐々にエリザと打ち解け、一緒に絵を描いたり花を摘んだりして遊んだ。日が暮れたあとは夕食を囲み、水浴びをし、床に就いた。

 幸せだな、とエリザは思った。

 同時に、ここにいて良いのだろうか、とも思った。

 

 この親子にとってエリザは他人である。どこまで甘えてよいのか、どのくらい打ち解けてよいのか、なにひとつわからなかった。仲良くなってしまえば、その関係や存在を失ったとき、とてつもなく深い絶望に打ちのめされることになるだろう。そもそも、ホビットの寿命は吸血鬼より短いのである。


(これ以上仲良くなる前に、エドに頼んで別の家を用意してもらうかのぅ)


 そんなことを初日の夜から考えてしまうくらい、他者との生活をしたことがない彼女にとって、この半日は尊い時間だった。

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