拡張世界の英雄譚

無記名

第1話 灰色不滅のプリンセス

 灰色の城塞じょうさい、ボロボロの廃墟はいきょと化したその廃城の大広間で、とあるホビットの少年とヴァンパイアの少女が向かい合っていた。外は豪雨と強風で荒れ狂っており、昼間にもかかわらず薄暗い。広間を照らすのは、いくつもの燭台しょくだいに灯ったわずかな蝋燭ろうそくあかりのみである。


 人間で換算かんさんすれば十歳程度に見えるその少女は、深紅しんくのドレスを身にまといながら黒曜石こくようせきの玉座に座り、足を組んでいる。


 少女と相対あいたいして、一段低いつくりの広間に立つ少年は、その顔に片眼鏡モノクルを掛け、シルクハットをかぶり、手にはシルクの上品な手袋をつけている。英国貴族さながらのその服装は、この状況ではかなり浮いてしまっていた。


 ふと、少年が少女に問いかける。


「もし世界がもうすぐ終わってしまうとしたら、あなたは何をして過ごしますか?」

「なんじゃ・・・その問いは」


 少女はわずらわしそうに答える。


「変わらぬよ。ここでせつを殺しにくる者を殺す。それだけじゃ」

「なるほど。私も、いつもと同じように過ごすと思います。世界がどうなろうと、それだけは変わらないですね」


 少年は、ホビットの集落に甚大じんだいな被害をもたらしたヴァンパイアに戦いを挑み、唯一勝利した弱小種族の英雄だった。それからというもの、彼は各地で天災のように現れるヴァンパイアたちを狩り続けている。俗にいうヴァンパイアハンターという職業である。

 つまらなそうに少女は息を吐いた。だからなんだ、と言わんばかりに。


「どうしておぬしはいつまでも、そこから動こうとせんのじゃ」


 少年がこの城に来てからというもの、実に6回も太陽が昇り、月が沈んでいた。

 それを見た少女は困惑し、また非常に不快感ふかいかん嫌悪感けんおかんを覚えていた。


「その理由を、これからお話ししましょうか」

「ふん」


 少女は、面倒な奴が来たと言わんばかりにけだるげな表情である。

 彼女とは対照的に、少年はおだやかな笑みのままだった。


「これはあくまで推測なのですが、三つほど確認したいことがありまして」と少年は言う。

「何をじゃ」と少女は問う。


 一拍いっぱくの間をおいて、少年は話し始めた。


「まず、あなたが何十年もここで人類種ヒュームを待つ理由です」

「ほう。おぬしはせつがいつからここに居るのか知っておるのか?」

「75年前ですよね」

「ふむ、よく分かったのぅ」


 意外そうに目を見開くヴァンパイアの少女。


「いままで数多あまた人類種ヒュームを殺してきたが、それを知っていたのはうぬが初めてじゃ」

「そうでしょうね」


 少年の発言にはなにか含むところがあるようだった。


「で、ここからが本題なのですが」

「ほう。なんじゃ」

「75年もの長い間、あなたがこの城にいる理由についてです」


 少女は目を細めた。強く警戒けいかいしているようだった。


もうしてみよ」

同族なかまに会いたいからですよね?」

「っ・・・!?なっ・・・」

「そして今に至るまで、それは叶っていない」


 絶句する少女。そう、彼女がこの城に来てから一度たりとも、意思を持った・・・・・・ヴァンパイアには出会えていない。


「なぜそれを」

「さっきも言ったでしょう。単なる推測ですよ」


 うろたえる少女を前に、少年は穏やかに微笑みながら、人差し指をくちびるに当てた。


「お、おぬしは何者なんじゃ」

「またそれはあとでお教えしましょう」


 少年は人差し指をゆっくりと下におろし、手に持つステッキを握り直した。


「次に、各地で発生するヴァンパイアもどきについてです」

「もどき、とはなんじゃ。せつ眷属てごまじゃぞ」


 無礼な、と少女は眉をひそめたが、少年はかいさなかった。


「もどきですよ。出来の悪い贋作ニセモノです。アレは明確な意思を持たない操り人形ですよね。吸血鬼とは別個べっこの存在だ」


 少年の発言に少女は驚き、大きく目を見開いた。


「よく分かったな。あやつらはヴァンパイアの出来損ない。人格を持たず、感情もない。ただの道具に過ぎん」

「ですよね。何体も狩っているうちに気付いたんです。彼らには意思が存在していないということ。そしてそのほとんどが、この城に向かって帰らなかった人たちであるということに」

「・・・そうじゃな。貴様の見立ては当たっておる。この世界で暴れまわっている出来損ないたちは、もとは拙が返り討ちにした亜人や人間どもじゃ」


 少女は、ゆっくりとその事実を認めた。そこには、罰は甘んじて受ける、という決意が込められているように少年には感じられた。


「それを、どうして野放しに?」


 少年の問いにトゲはなかったが、少しだけいきどおりが含まれていることに、少女は気付いた。


「すまぬ。拙には制御せいぎょができないのじゃ。やり方を教わっていないのでな」

「そういうことですか」


 少女の独白どくはくによって、少年の推理すいり確信かくしんに変わる。


「では、あなたがこの城にこもるきっかけになったのは」

「やめろッ!!!」


 突如として激昂げっこうした少女は、玉座と己を縛っていた漆黒の茨を勢いよく伸ばし、少年に向けて射出した。


「おっと、急ですね。いやぁ、それにしても遅い」


 鋭く尖った禍々まがまがしいイバラの槍を、少年はひょいっと軽さを感じさせる動きで回避した。


「ええい、忌々いまいましい!そのへらず口を永久に開けなくしてやろうかッ!?」


 少女はしかめっ面で二撃目三撃目を放つが、やはり少年には届かない。


「当たりませんよ。どうあがいてもね」

「まだわからぬであろうがッ!」


 それからさらにまた日が昇り、夜が明けるまで、凶悪な軌道を描くいばらの槍と軽やかな回避の応酬おうしゅうが続いた。


「はぁ・・・はぁ・・・」

「あれ、もう疲れてしまいました?」

「おぬしは、バケモノか・・・?」


 すでに疲労困憊ひろうこんぱいの少女に比べ、少年は余裕綽々よゆうしゃくしゃくの様子だった。


「ははっ、あなたにそう言われるなら光栄ですね」

「・・・殺してくれ。せつより強いものが現れたなら、もう生きている価値がない」


 少女は目を閉じて、疲れ切った老婆のように自らの死を迎え入れようとする。その様子を見た少年は神妙しんみょうな顔つきで、少女に語りかけた。


「ヴァンパイアの姫、エリザベート」


 それがあなたの名前ですね。そう言い、少年はやさしさとあわれみを込めた、やわらかな眼差まなざしをして、言葉を続けた。


修道騎士しゅうどうきしたちによる大虐殺を生き残った、ヴァンパイア族のわす形見がたみよ。騎士団を滅ぼし、冒険者を殺し、ハンターを殺し、復讐者アヴェンジャーを殺し、殺し、殺しつづけて、この真っ暗な城塞で、その冷たい玉座の上で・・・こんなことをいつまで続けるのですか」

 吸血鬼の姫エリザベートは力なくうなだれる。茨はシュルシュルと収縮し、大理石の床に弱々しく倒れた。

「いつまで、か。拙にも、わからん」


 エリザベートは途方とほうれたようにつぶやいた。


せつはひとりぼっちじゃ。父も母も乳母めのとも友も、みんな殺されてしまった。吸血鬼として、どうやって生きていけばよいのかわからぬ。力の正しい使い方も、眷属けんぞくの作り方も、他者たしゃの愛しかたも、愛されかたも、なにも、なにひとつ、これっぽっちだって、教えてもらえなかったんじゃ」


 積もり積もった悲しみが、涙として、言葉として、溢れ出す。エリザベートは大きく見開いたとめどなく涙を流し、それを拭いもせずに顔を上げ、少年を見て言った。


復讐ふくしゅうにもいた。どうじゃ、せつを殺してはくれぬか」

 見た目は童女どうじょであるにもかかわらず、その顔に浮かんでいたのは、疲れ切った老婆ろうばのような表情だった。その瞳には、もはやなんの夢も希望もなく、ただ深い闇と絶望だけが残っていた。


「ヴァンパイアって基本的に不老不死なので、難しいですね」

「そうか・・・ぎんを持っておらぬのか」


 吸血鬼を殺傷する方法はただ一つ。銀製ぎんせいの刃物で心臓しんぞうを貫く。これだけだ。


英国ブリテンの貴族のような格好をしてはおりますが、けっこう貧乏なんですよ私」

「では、お主はなにをしにきた?」


 少年は、ニヤッとイタズラっ子のような表情をして言った。

「あなたを、ここから連れ出しに来たんです」

「ふむ、拙の力が目当てか?おおかた、敵と戦えと言うのじゃろう」


 出来損ないを量産化し、敵国を滅ぼす。これは何回か廃城を訪れた者たちが考える、最も良いエリザベートの『活用法』だった。またか、と彼女は落胆した。しかし少年が考えているのは、それとは少し違うことだった。


「いえ、あなたは私の故郷に来てもらいます」

「なんのためじゃ」

「いてくれるだけでいいんです」

「・・・?」


 吸血姫エリザは首をかしげた。意味がわからない、と言いたげな表情だ。


「想像してみてください。七五年ものあいだ動かなかった恐ろしい吸血の姫が、ある日急に、森でもっとも弱小な小人族ホビットの里に身を寄せ始めた。それだけで他の種族は警戒けいかいし始めると思いませんか?」

せつの存在そのものが抑止力じゃと、そう言いたいのか?」

「ええ。ですからあなたは、我々ホビットが戦っているのを見ているだけでいい。あなたに武力は求めません。これまでも何とか生き残ってきましたからね。弱者には、弱者の戦い方があるのですよ」

武力それ以外は求めるのじゃろう」

「そうですね。なにか役立つ知識でもあれば、教えていただきたいですね」

「そんなもん、あるかのぅ・・・」

「基本的には自由に過ごしていただいて結構ですよ。何か欲しいものがあればこちらで用意しますし」

「・・・では、銀の短剣をくれ。調達ちょうたつでき次第、せつはそれでぬ」

「わかりました。ではわたしの一族いちぞくは、今日から一年以内に主要な外敵を排除し、あなたに死ぬ方法ほうほうを差し上げましょう。これで、私の故郷こきょうにきてくださいますね?」

「一日三回、新鮮な血液けつえきりたい。あと寝床ねどこも欲しい」

「わかりました。付けましょう」

「まさか、生きてこの城から出る日が来るとはの」

「永かったですね。ご苦労様でした。あと少しの辛抱ですよ」

「死ぬな、とは言わないんじゃな」

「この狂った世界で、そんなの抜けたことを言うつもりはないですよ」


 目の前のヴァンパイアハンターは、自分の気持ちを理解してくれている。エリザベートはなんとなくそう感じた。今までそんな亜人は一人もいなかったな、と思い返す。偽善者ぎぜんしゃぶったあわれみの表情で助けようとしてきた者もいたが、ことごとく突っぱねた。彼女は救われたいわけでも、生きていきたいわけでもなかったからだ。ただただ、すべてを奪っ《うば》ていった世界への復讐ふくしゅうと、同族に会えるかもしれないという一縷いちるのぞみだけが原動力げんどうりょくだった。


「もちろん、生きて里にいてくださる気になったら、盛大に歓迎しますよ?」


 そう付け加えながら、少年はエリザベートに右の手をさしのべ、玉座から立ち上がらせる。


「っ!」


「おっと」


 弱りきったエリザベートの足はその小さな身体を支えることができず、ぐらりと前に倒れかける。少年はそれをめ、耳元でこうささやいた。


「私の名はエドワルドと言います。これからよろしくお願いしますね、姫様」

「なっ・・・!なにを」


 そこからスムーズにお姫様だっこの体勢へと移行し、顔を真っ赤に染めてジタバタ暴れるエリザをなだめながら、エドワルドは廃城はいじょうを出ていった。燭台しょくだいのロウソクの火は消え、その役割は外のあざやかな夕陽ゆうひへと引き継がれた。二人が去った後の廃城はいじょうは、徐々に深くなる夜の闇に埋もれ、その姿を消していったのだった。


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