過去を知る人

 1−Eのある旧学舎では授業が行われないので、私もメリナと一緒に数学の授業を受けるために教室を移動をしていた。メリナは相変わらず全然話してくれないけど、それでも私と一緒に居てくれている。少なくとも苦ではないようだ。

 廊下を歩いていると前からきらびやかな一団が見えた。5、6人で、海を割るように歩いている。周囲の人に聞こえるように、大きな声で話して大きな声で笑っている人達だ。その瞬間、なんだか嫌な予感がした。もう取り返しがつかないところにいる気がしたのだ。

「あら?」

 そのうちの一人。真ん中に立つリーダー格の女の子がこっちを見て目を見開いた。

「あらあらあら?」

 銀色の長髪、モノクルを目にかけて、お金のかかった制服の改造をしている。昔から変わらない派手な振る舞いは、周囲の目を一手に集めている。彼女からはどうやっても逃れられないのか。私は絶望した。一気に後悔が押し寄せて来る。もっと先に、アンテナを貼っておけばよかった。


「あなた、コゼット? コゼットオンフレじゃないの?」


 その人は一団を振りきって私の方に駆け寄ってきた。その人は間違いなく、施設の同期の中で最も早く魔術の才に恵まれ、同期の中で最も優秀なガキ大将で私をいじめていた、ブリジット・アレニウスその人なのだ。

 私の後ろにいるメリナは、無言で私の服を引っ張った。

「......コゼット、知り合い?」

「うん、ちょっとね」

 冷や汗をかいて、顔色も悪くなっている気がする。メリナにかっこわるいところを見せるかもしれない。それと、ブリジットは知っているのだ。私のこと、魔術が使えない身であること。

「どうしてシプリスなんかにいるの? 用務員?」

「......学生だけど」

「は? なんでよ」

 彼女は本気で怪訝な顔をして、私の胸元をつかむ。そしてわざと大きな声で言った。

「あらら〜? 魔術も使えない失敗作がどうしてこんなところに居るのかしら?」

「......っ!」

「ここは、魔術教育の最前線。魔術が使えない人間が居ていい場所じゃないのよ」

 分かってるでしょ? という感じで、まるで年下に言い聞かせるみたいに私に言った。その感じが、私の神経を逆撫でする。

「別にいいでしょ? 受かってるんだから」

「は? 一体どうして! どうしてあなたみたいな奴がシプリスに合格できるのよ!!」

 その瞳には本気の苛立ちが見て取れた。

「そうですわ、たしかあなた温情入試、推薦でしたね? ふーん、推薦なら実技がないから、数値だけいいあなたが受かるわけですか? あの時はなにをそんなに必死になってるのかと思っていたけど、そういうこと.....」

 顎に手を当てて彼女は思案した。彼女は推薦入試を馬鹿にしている。

「あなた、なにが目的なの? どうして魔術を使えない奴が魔術校に入ろうとするわけ?」

「......わたしだって、魔術師になりたいんだ」

「へえ、どうやって? 魔術が使えない魔術師っていったい何? 魔術高校を出たからって別に魔術師になれる訳じゃないんですわよ。お分かり?」


 彼女はまんがちで粗暴な人間だが、さすがのトップエリートだけあって頭がいい。シプリスでも主席級の天才。ズバズバと正論の剣で私を刺してくる。その度に、私はキリキリと胸が痛んだ。

「......っ! 離せ!」

 彼女は私の襟をもって持ち上げる。周りの人もなんだなんだ、という感じでこっちを見ている。力、強っ......!!

 それでも、ここで立ち向かわなきゃ、なんにもならないのに。


「そこまでだ」

 私の足が宙に浮いてから、見かねたメリナが間に入った。私は思わず尻もちをつく。

「......手を離してもらおうか」

 彼女はぞっと底冷えするような、敵意の含んだ口調で言った。

 メリナがブリジットを押しのけて、彼女と対立する。メリナはいつもよりはっきり話していて、私をかばっていた。

「あら、恥知らずの身内に、身の程を教えていましたの。邪魔しないでもらえる?」

 ブリジットもそれに負けておらず、私への口撃を繰り返して、メリナに対抗する。空間が歪むくらい、ばちばちした空気感。当事者だけど、思わず逃げ出したくなるような雰囲気だ。私はそのプレッシャーで、吐きそうになっていた。


「申し訳ないけど、彼女は私の友達なの。その似非お嬢様口調でコゼットを馬鹿にするのはやめてもらえない?」

 友達......メリナが私のこと友達って言った。

 一方で似非お嬢様と言われたブリジットはあからさまに怒っている様子だった。さもありなんだ。彼女の口調は彼女のアイデンティティの塊。施設出身を隠す、隠れ蓑でもある。

「似非お嬢様.....?」

「田舎訛りが隠せてないよ」

 彼女はそれをハッと鼻で笑うと怒りを隠しきれていない形相で言い放つ。

「友達付き合いはよく考えたほうがよろしくてよ? それに――」

 すうっと息を吸うのが見えた。


「――喧嘩を売る相手も」


 世界が凍りつきそうなくらい、恐ろしい口調がこだまする。

 やばい、一色触発だ。止めないといけないのに、私はへなへなと座り込んで動けない。腰が抜けていた。

 ブリジットはああでも施設トップの生徒だ。もし魔術の行使となると、メリナは負けてしまうんじゃ......、それに授業外の魔術の行使は禁止されている。揉め事になったら大変だし、私にはどうしようもない!! あわわ。

「ひざまずけ!」

「っ!」

 メリナちゃんが静かに、けれども凄んで言うとブリジットはまるで自分の意志でそうしたみたいに、地面に頭を伏せた。身体がグイーンと動いて、すごい勢いで体勢を下げたのだ。

「え!!」

「一体どうして!?」

 ざわざわと辺りに動揺が広がっていく。ブリジットも何が起きたか分からないという表情だった。それも当然だ。彼女はいつの間にか、ふとした隙に地面に伏せていたのだから。

 きっとメリナの魔術だったんだ。でもどんな魔術なんだろう? 日常の言葉だけでそんなことするなんてまるで呪いみたいで、術式も詠唱も見えなかった。これじゃあ魔術を使ったってみんなには分からないだろう。間近で見ていた私達も分からなかったんだから。

「行こう、コゼット」

「う、うん」

 メリナは私の手をとってブリジットの元を立ち去る。メリナがブリジットをやっつけてしまった。

 駆けて立ち去る私達の後ろ姿に彼女の声が遅れて聞こえてくる。

「あなた! 後悔しますわよ!! 魔術が使えないやつが、授業についていけるわけないですわ! 単位が取れなきゃ終いには退学!! それまでの学生生活なのですよ!!」

 彼女の負け惜しみの声が、廊下中に木霊した。




 その日、その後の授業は散々だった。

「あの人、魔術が使えないって本当?」

「でもブリジットさんが言ってたし、本当なんじゃない?」

「どうやってシプリスに入学したんだろう......」

「どうせすぐ居なくなるよ。学校は魔術を使えないやつを置いとくわけないだろうし」

 私の噂が拡散しているのか、みんなじろじろとこっちを見てくる。クラスメイト達も騒ぎに乗じて噂を聞いたのか、私の方を気にかけていた。まさかこんな早くにバレるとは思いもよらなかった。自分の甘さを痛感する。

 だんだんと泣きそうになってしまうが、私はじっと堪えた。苦しい。辛い。そういえばと想い出す。施設の時から、ブリジットは、いつも正しかった。いよいよ私の化けの皮が剥がされる。その時、私は、一体どうする?

 もう前みたいに、みんなの前にはいられない。

 


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