第11話

 任務から無事帰還して三日ほどが過ぎたある日のこと。

 久方ぶりの自由時間に優雅から誘われて、訓練場に顔を出すことにした。

 扉を開けて訓練場へと入ると、中にいる生徒たちの視線が、一斉に俺へと向いた。


 なんで、こいつがここにいるんだ。

 言外にそう伝えてくる視線たちに、ため息を吐く。


 これがあるから、昼間に来たくなかったんだよな、などと思いながら優雅の姿を探していると、背中から肩を叩かれる。


「や、調子はどうだい?」

「快調も快調だ。そっちは?」

「まあまあ……といったところかな」


 そう言って爽やかに笑う彼の方に、今度は視線が集まり始める。

 無理もない。第伍位階の彼は、下級生たちからはあこがれの的であり、同級生からも当然人気が高い。

 おまけに面もいいからな。一部の僻み以外は大抵、彼を好意的な視線で見る。

 それだけに、俺が一緒にいることに不満を持つ生徒というのも多いわけだが……


「なあ、やっぱり夜じゃダメか? 昼のここに俺がいるのって場違い感しかないだろ」

「幽鬼が昼に訓練場を使ってはいけない、なんて規則はないのだから別にいいだろう。場違いなどと私は思わないよ」


 お前が思ってなくても、周りが思ってるんだよな、と友人の察しの悪さに呆れながら、木剣を手に取る。

 剣を振るえば、多少は気もまぎれるだろ。


「んじゃ、一戦頼むわ」

「ああ、もちろんだとも。手加減は……」

「必要ねえよ」


 軽い踏み込みと同時に剣を振るい、彼の顔の横で寸止める。

 冷や汗を垂らして、ゆっくりと視線を横へ向けた優雅は、信じられないものを見るような顔をしてから、どこか嬉しそうに笑った。


「そうか。ついに君も……」

「そういうのは良いっての。あとでやろうぜ」

「ああ、そうだね。あとで、ゆっくり話すことにしようッ!」


 意気込み振るわれる剣を半身でいなす。

 以前までは捉えることすら困難だったその攻撃に、視界どころか反応が簡単に追いついていた。


「すごいな」


 深度を下げ、存在の格を引き上げるだけでこうも違うか。

 木剣を握る手に力がこもる。ミシッという音が聞こえるが、気にせずそれを上段から振り下ろせば、優雅はそれを正面から受け止め、切り返す。

 そのまま空いたこちらの胴を目掛けて中段の構えをとる優雅に、体勢を崩しながら蹴りを放つ。

 

 単純な小技の手札でいけば俺が多いのだが、優雅は今まで俺相手に使えなかった技術を披露してくれる。

 簡単には勝てそうにもない。


 仕切り直し。切り結び。剣以外の技能をもって、また仕切り直し。


 幾度となくそのやり取りを繰り返して、お互いに満足したところで一息つくことにした。

 

 訓練所のすぐ外にある休憩室へと二人で向い、俺が備え付けのウォーターサーバーから二人分の水を用意して先に椅子に座っていた優雅の元へ近づいていくと、彼は何やら難しい顔をしていた。


「どうかしたか?」


 水の入った紙コップを手渡しながら横に腰をかけて声をかけると、優雅は少し息を吐いて、


「いや、妙だと思ってのだよ。いくら『幽鬼』であれど、死越者である以上は位階があがることはあるのだろうが、ううむ……」


 ドキリとした。


「なんか変だったか?」

「変に決まっているだろう。君は位階を一つあげただけで、私の全力に付いてきたんだぞ。一足飛びに強くなり過ぎだ」


 彼はそう言って、顔を顰める。


「計測器では測ったのか?」

「あー、まあ……一応な。けど、結果はお察しというか……」

「何……?」


 医務室から自室に帰って着替えてから、すぐに計測室には行ったのだが、案の定結果はエラー表示のまま。

 そのこと自体は今まで通りだからどうだっていいのだが、問題はエラー表示だというのに、力は確かに強くなっている点だ。

 今はまだ気づかれちゃいないが、そのうち気が付くやつも出てくるだろう。


 目の前の彼のように。


 優雅は少し考え込んだ素振りを見せたかと思うと、すぐに顔をあげて確信を得たという表情で口を開く。


「なるほど、つまり『幽鬼』が計測できないのは、力の弱さに原因があるからではない、ということか」


 ビンゴだ。頭のいい奴は怖いね。


「かもな」

「おい、君。ずいぶんとあっさり受け入れているが、ことの重大さがわかっているのか?」

「わかってんよ。お前が一瞬で考えつくことだ、いくら俺だって三日もありゃ気が付かねーわけないだろ」

「君ってやつは……」


 優雅は俺の態度に呆れた様子で辺りを見て、一つの集団に目をつけると「アレを見ろ」と言った。

 言われた通りに俺がそれに視線を向けると、その集団の一人と視線があった。

 見られていたことに気が付いて、誤魔化すように俺が愛想笑いを浮かべると、彼女は気まずそうに視線を逸らして俯いた。


「ありゃ、俺のこと話してたんだろうな」


 優雅はその俺の言葉に頷いて、続ける。


「位階が『可視化』されていないというのは、そういうことだ。君がどれだけ力をつけようが、位階がない以上、周囲は君を無能の『幽鬼』と呼び続ける。私と君の組み手を見てなお、蔑みの視線を向けるのをやめはしない」


 忌々し気に言いながら、彼は手渡した水を一気にあおり、紙コップを握りつぶす。


「それでいいのか、君は」

「……」


 状況を変えるチャンスじゃないか、と彼は言いたいのだろう。

 確かにその通りだ。


 不遇な環境、というか自分で不遇って言うのなんか嫌だな。燈子や優雅みたいなやつが友達なのに、傲慢臭いし。


 そうだな。見下されて育ったやつ、ってことにしよう。

 誰からも見下され、己の無力さを痛感した奴が力を得た時にすることなんて、概して二つ。

 今まで通り何もしないか、力を誇示して周囲を認めさせるかだ。


 前者はともかくとして、後者はこの学園だと多そうだ。

 中等部まで第壱位階だった奴が、馬鹿にしてきた第弐位階のやつらを努力して追い抜き、やられたことをやり返す様を俺は見たことがある。


 気持ちはまあ、わからなくもなかった。

 馬鹿にされたら悔しいし、恨みを持ってしまうこともあるだろうからな。

 そうやって、やり返したことが悪いとも言わない。力を見せて、認めさせるってのはどこにいたって大事だしな。


 俺なら、そうだなあ。

 存在の格を上げ、力をつけた今なら、教官に無理を言って位階の公的な表記を変えてもらうことだって出来るかもしれないし、そうなれば立場はずっとよくなるだろう。


 けれども、


「いいのか、って言われてもな。見えねえもんは見えねえんだから仕方ないだろ」


 俺にそんなことをするつもりはなかった。

 驚く優雅に、俺は笑いかけながら話す。


「それにな、下を見るから人はこうはなりたくないって思えるんだ。それであいつらが生き残る力を持てるなら、俺はそっちのがずっといいと思うね」


 その方が力を誇示するよりも、誰かの糧になれるのではないかとそう思う。そんなことを考えていると、自分の中で大百足がため息を吐いたような気がした。

 まあ、彼女なら呆れそうだなと思っていると、俺の目の前にも同じくため息を吐いたやつがいた。


「……君のそれは、いつか逆恨みされる類のものだぞ」

「ははっ、逆恨み、ねえ……」


 おかしなことを言うなあ、と思わず笑いが声に出る。


「逆恨み結構じゃねえか。他人を恨めるだけ元気なら、バケモノ共にも負けんだろうぜ」

「自分の価値を低く見積もり過ぎだって言ってるんだよ、こっちは」


 諦めたかのようにふっと、こちらを小馬鹿にして優雅は笑う。

 言っても聞かない子供に対するかのような態度やめないか。普通に傷つく。

 一先ず、水を飲んで落ち着くと、紙コップをゴミ箱へ向かって投げる。


 見事の放物線を描き、紙コップがゴミ箱に吸い込まれるとよっこいせとばかりに立ち上がった。


「まあ、なんにせよ、だ。別に今の状況を変えるつもりはねえよ」


 何故、と問うような優雅の視線に苦笑しながら答える。


「俺にはお前みたいな友達がいるからな」


 そう改めて口にするのは、少々気恥ずかしかった。

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