第9話

 急激に意識が浮上していく。

 ゆっくりと目を開けば、目前に迫るのは死の気配。

 

 反射的に、その場を飛び退くため右手に力を込める。


「うおッ!?」


 ブチブチ、ビリビリと何かを引き裂くような音が響くと共に、体がすさまじい勢いであらぬ方向へと吹き飛んだ。

 跳ね飛ばされたのかと、一瞬考えるが違うことはすぐにわかった。


 急激な身体能力の向上で、力加減を間違えたのだ。


 壁にぶつかり、それを粉砕してようやく勢いが落ち着いたことで、床を転がる。

 痛みは、ない。


「ははっ、でたらめだ……」


 第参深度。第伍位階相当の力があるらしいが、そうか、優雅はこんな力をちゃんと制御していたのか。


「体の調子もすこぶるいいし、腕も治ってやがる」


 けど、なんかちょっと体べたつくな……こう、なんか薄皮がはっついたような……あと、さっきのブチブチとかビリビリって音なんだ?

 そんなことを思いながら軽く体を擦ると、ベロリと何かが剥がれる。

 ……皮膚だ。

 

「……なるほどな」


 さっきのブチブチと言う音の正体は俺の皮を引き裂く音で、ビリビリの方は恐らく……

 嫌な確信を持ちつつ、俺は自分の下半身を見た。


「最っ悪だ……」


 俺は全裸だった。


 こういうことになるのなら、最初から教えて欲しかったものである。不意打ち気味にこっちに戻しやがって……


「しっかし、どうしたもんかね」


 あの百目鬼には逆立ちしたって勝てる気もしないが、大百足の言っていた通り逃げることは出来そうだ。そんな予感がある。

 だが、逃げるために自分に何が出来るのかというのが、イマイチ掴めていない。


 今に至る前に使えたそれらしい異能は、部位の硬化と溶解毒の生成。恐らく、深度を下げたことで今まで恩恵を感じていなかったこれらもそれなりに使えるようになっているだろう。

 その他に増えた、というか元より備わっていたのだろうが今まで実感のなかった再生力もある。腕が治ったのはそれのおかげだろう。


 待てよ。よくよく考えたら腕潰れた瞬間に死んでいてもおかしくなかったんだよな、普通。

 そう考えれば、再生までとはいかずとも元々生命力は高かったのだろうか。


 とにもかくにも、一つ一つ試していくしかない。

 まずは……


「硬化、だな」


 いや、正確には外骨格の生成か?

 百足だもんな。

 ならばと、今まで指先を固くしていたイメージで、外骨格を下半身に作り出そうとすると、ちょうど腰から股間を覆うように紫色の艶々した外骨格が生み出される。


「なんかパンツみてえだな」


 強くなった異能の初使用がこれって、中々冒涜的である。

 すまん、大百足。でも、俺の尊厳を守るためには必要なんだ。


「さて、と」


 毒は後でいいとして、一先ず準備完了だ。


「向こうとこっちじゃ、時間の感覚違うらしいのは正直助かった」


 じゃなきゃ、とっくにお陀仏だ。

 原理は気になるが、それを気にしたところで状況はどうにもならない。


 腰を落とし、いつでも動き出せるように身構える。


 そうして、ジッとこちらを見つめてくるそいつを睨んだ。


「ゲゲッ」


 さっきので俺を見失っていた百目鬼が、ようやくこちらに気が付いたらしい。

 仕留めたと思った弱い獲物が、急に動き出したから苛立っているのだろう。その視線には確かな殺意が宿っていた。


 外骨格を作れたことから考えて、異能自体は普通に使えそうだが、身体能力の変化に感覚が追い付いていない現状では、直線的な動きぐらいしかやりようもない。


 再生が出来たところで一撃の重みはさして変わらないだろうし、食らえば致命的なので、捨て身は論外。

 肉を切らせても骨は断てないし、傷を負えばそれだけ逃げられる可能性を潰してしまう。


 だが、背中を向けて走り出すのは得策じゃなさそうだ。


 逃げる距離は短い方がいい。

 体力的にも、しんどいから長期戦は見込めないだろう。


 ならば……


「正面突破しかねえよなあッ!」


 俺は迷うことなく駆け出した。 

 向こうはそれに驚いた様子だったが、すぐにその顔を下卑た笑いに変えると拳を構えている。


 接近まで一秒。

 迎撃のため、即座に振り上げられた百目鬼の拳。


 その動作が


「うおおおあああああッ!」


 振るわれる拳を回避しようとして、爪が掠るが、その痛みを気合で無視して、股下目掛けてスライディングする。

 外骨格がつるつるしているおかげで、するりと股をすり抜けることが出来た。


 その勢いのままに立ち上がり、走る。


 後ろは見ない。見ると怖いから。


「ゲゲゲゲッ!」


 ほら怖い。

 様子は伺い知れないが、何かすごく怒っているということだけは理解できた。


 追いかけてくる気配を感じながら、職員用の扉を抜け、しばらく走り、通路奥にある階段を駆け上る。

 目指すは屋上。


「建物の敷地内だろうが、そこまで出ちまえばこっちのもんだ!」


 激しい破砕音が聞こえるが、それを無視して屋上への扉を開く。


 風が吹き込んできて、まだ肌寒い春の空気を感じながら一歩前に出て扉を閉める。


 薄く明らんだ東の空に夜の終わりを感じながら、西に未だしぶとく輝く青い月を眺めた。

 この分であれば、陽を嫌ってここまでは追ってこないかもなと、少し安堵して俺は腰を下ろそうとする。


「やけにあっさりだったな……」


 これが存在の格の成長による強化かと、

 その時だった。


 重たい音が響いて、俺の足元が崩れる。

 慌てて飛び退けば、そこから太い腕がこちらを探すように辺りを触っている。


「マジかよ……!」


 言っている間に走り出す。

 不味い不味い不味い。油断した!


「だっはっは! やっべえ死にかけたッ!」


 自分の迂闊さに思わず笑いながら、屋上から飛び降りる。

 降りた先はショッピングモールの側面。

 そこへ転がりながら着地すると、すぐに距離を取るために更にもう一走り、初めに皆と合流した場所を目指した。

 それからほどなくして目的の場所に辿り着くが、当然というか彼らの姿はなかった。


「……ま、そうだよな」


 死んだと思われているだろうことは想像に難くない。

 しかし、まあ、ともかくは生き延びた。流石に百目鬼も、ここまでは追ってこないだろうが……


「せめて、逃走ルートの安全ぐらいは確保して欲しかったな」


 忍び寄るようにしてこちらへ近づき、爪を振るった猫又に拳を叩き込みながら、そんな無茶をぼやく。


 以前は刀をぶつけてもダメージを与えられなかったのに、今回はしっかりと痛がって距離を取ってくれた。

 そんなことに自身の成長を感じながら、わらわらと現れる敵の姿に思う。


「流石にこっからの百人組手は勘弁してくれ……」


 第伍位階でも、この数は確かにしんどいな、と。

 


「これで、終わりか?」


 周囲を見渡しながら血濡れの拳で、汗を拭おうとしてやめる。

 もはや返り血でわけのわからないことになっているが、流石に血塗れすぎるからこれ以上汚れないようにしよう、などとぼんやりする意識で考えていた。


 疲れた。

 肉体の再生に、百目鬼からの逃走、そして今までの戦闘。

 傷を負ったそばから回復するのは良いが、その度にドッと疲れるし、一撃で殺すほどの火力もないため、必然何度も殴ったり蹴ったりをすることになる。


 刀があれば楽だったのだろうが、生憎、モールの中に忘れてきてしまった。


「ああでも、いい練習にはなったかも……?」


 一歩間違えれば死んでいたわけなのだが、そう言って自分を誤魔化す。

 辛かった現実からは一度目を逸らして、今度は速やかにどうにかしなければならない現実へと目を向けた。


 あとは、こっから片付けもしなくちゃならんのだが……


 辺りに転がった奴らの死体に毒を放って、ため息を吐く。

 溶解毒によって骨も残さず、ぐずぐずになって消えていく死体たちを見届けて、フラフラとしながらその場所を離れるために歩き始める。


 この毒はあまり使わない方がいいかもしれない。建物への被害が馬鹿にならなさそうだし、味方に当たったら目も当てられないだろう。


「帰ろう……」


 疲労で朦朧とする意識の中、学園への道を歩き出す。

 歩いているうちに、下半身を覆っていた外骨格が消えていくのがわかるが、すでに再生成するだけの力は残っていない。

 ガス欠だな、と理解する。

 

 仮にこの場で複数体の敵に襲われれば、俺は死ぬ。

 ただでさえ力加減のわからない体はすでにへとへとで、異能は使えないのだから、いい獲物である。


「あっ……」


 つまづいて、倒れる。

 ひんやりとしたコンクリートが、火照った体に心地いい。


「頑張ったよな、俺」


 そんなことを呟いて、意識を失う間際、


「ユウナギッ……!」


 俺を呼ぶ誰かの声がした。

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