第8話
大百足の問いかけに、一瞬呆ける。
なんとなく嫌な奴じゃないとは理解してきてはいたが、暗月の僕である彼女がこちらの身を案じて来たことに少し、驚いたからだ。
だから、即答は出来なかった。
そのせいだろうか。彼女は寂し気な微笑みを浮かべる。
「無理もない。こんなことを急に我のような存在に言われては、受け入れることも難しかろう……だが、」
「いや、そうじゃねえんだけど」
食い気味に俺がそう言えば、彼女は目を見開いてジッとこちらを見つめた。
都合が良いので、話を続ける。
「力を得てその結果、魔に堕ちるってのは、はっきり言うぞ、どうでもいい」
覚悟がなんだと彼女は言った。
そんな今更なことを、だ。
「俺はいつだって命がけだった。他の奴らが雑魚みたいに扱う下位にすら、何度だって殺されかけたし、中位相手には無力だ。上位になんて、弄ばれるだけ弄ばれて腕まで潰された。付け加えて言うとだ、大丈夫だとは知っていても、味方が奴らの攻撃を食らうのにだって安心はできなかったさ」
何せ、『幽鬼』である俺の役目は、彼らを庇ってでも生かして帰すことなのだから。
「生き残るために考えて、考えて考えて、それでも目前は死の色一色。これまでは運が良かったが、次はないかもしれない。そんな風に思いながら生きてきて……」
そうして、俺は今ここにいる。
「なあ、大百足。俺には魔に身を堕とすってのが、そんな風に死を思いながら生きることより重いとは思えねえ」
むしろ、そんなことで生きられるんだったなら儲けもんだ。
「知ってるか、死ぬこと以外はかすり傷なんだぜ」
腕が潰れたからなんだ。
足がついてりゃ、立ち上がれる。
もしも、足が潰れていたら?
そんときゃ、這ってでも逃げて生き延びようと足掻く。
例えそれがどれだけ浅ましく映ったとしても、どれだけ他者から蔑まれようとも。
「……それでいいのか?」
かすれた声で、大百足は言う。
「お主の力の源は我だ。他の死越者のように神性ではなく、むしろこの世の穢れと言った方が正しい。そんな力を持って、お主は平気なのか」
「……思うところがまったくねえってわけじゃねえよ」
今まで信じてきたものが、違うと言われて何も思わないやつなんていない。
皆から外れた『異端』であったことを喜ぶのなんて、中等部の痛々しい時期ぐらいの話だ。
だから、そこは素直に認める。
俺はちゃんと怯えているし、別に平常心ってわけでもない。
ただ……
「俺は自分が満足できるところまで生きていたいだけだ。そこに力の拠り所なんて、関係あるかよ」
これはそういう話だ。
死越者としての誇り? そんなもん初めに戦った餓鬼に全部食わせたっつの。
「事も無げに言いおってからに……」
「実際、大したことじゃないからな」
そう言って俺が笑うと、彼女は呆れた様子で笑い返してくれる。
「よかろう、そこまで言うのなら
あない……
古風な言い方をするんだな、こいつ。
「ああ、頼む。大百足」
「……付いてくるがいい」
踵を返して歩いていく彼女の背を追いかける。
しばらく、黙したままで半歩ほど後ろを歩いていたのだが、暇な時間があると人は余計なことに気が付くもので、俺はふと思ったことを彼女に聞いてみることにした。
「そういや、大百足さんよ」
「なんだ」
「いや、来るのが遅いって文句を言うわりに進もうとしたら注意して来ただろ。なんでだ」
血の気の多い暗月の僕が言うのだから、てっきり、どんどん進めとかそういう話かと思っていたのに、梯子を外された気分になったのは内緒だ。
だから、気になって訪ねたのだが……
「……」
返ってきたのは沈黙であった。
あと、何故だか真っ白な肌が朱色に染まっている。
「ああ、悪い。答えられないなら……」
「そうは言っとらん」
そう言って彼女は深く息を吐いた。
「良いか、一度しか言わんぞ」
「お、おう……」
別に無理に聞きたいわけでもなかったのだが……
話してくれるのなら、余計なことを言う必要はないと思い頷いた。
「……十三年、お主のことを見ていた」
どこか照れくさそうに、大百足は続ける。
「目覚めた時はこの様な場所に閉じ込められることに不満にも思ったが、最初の三年で、幼い身でただ生きるために足掻くお主の姿を見ているうちに愛着が沸いた」
「……暗月の僕が、か?」
「だからその名で呼ぶな。それと、我とて感情のある身よ。たかだが三年とは言え、こうも退屈な場所で、人一人を見続ければ愛着も沸く」
「そんなもんか」
そんなものだ、と彼女は頷く。
「そうしていくうちに我はこの場所の意義を理解し、故にこそ会いたくなった。一目でいいから会って、言の葉を交わしたくなった。ここにいつ来るのかと待ち遠しく思っていたものよ。お主なら、必ず来ると思っていたからな」
そこまで言って彼女はふっと笑った。
「しかし、いざ会ってみると不安になった。我はいわばお主が異物たる所以。その様な存在をお主が受け入れてくれるのか、とな……結果、杞憂ではあったようだが、だからこそ思ったこともある。人をやめるかどうかは、お主自身に決めさせるべきだと」
以上だ、という言葉でその話を締めると同時に大百足の足が止まる。
「着いたぞ」
「おお……」
隣に立ってみると、そこには先ほど自分が下ったものと同じ木製の階段があった。
「ここを下れば、お主は第参深度へと至るだろう」
「第参深度……?」
「位階に代わってお主の存在の格を表すため、我が今考えたものよ」
いや、今かよ。
あまりの適当さに少々呆れる俺を無視して、大百足は話を続ける。
「ここを下れば、お主は百目鬼から逃げるぐらいのことは出来るようになるはずよ」
「……第参深度でいいのか?」
「先ほど我はお主の力が第参位階程度はあると言っただろう。第弐深度でそれなら、第参深度まで行けば、そうさな、第伍位階程度まで引きあがるだろう」
ただ、と彼女は続ける。
「今は、それ以上は下がることは出来ない」
「……なんでだ?」
「お主の器が未熟だからだ。第四深度まで進めば、今のお主では狂ってしまう。魔の物の力を得ようというのなら、それ相応の危険はあるものよ」
リスクは当然あるから、簡単に考えるなってことか、と考えつつ俺は階段を一つ下りる。
「ともかく下がればあいつから逃げられるようになるんだな」
「もちろんよ。我は神さえ食らう大百足、お主はその力を源としているのだ。それぐらいのことは、少しでも頭が回るのなら容易かろう」
「そりゃ結構だ」
そんな会話をしながら、二人で階段を一段、また一段と下りていく。
一人で下りた先ほどとは違い、二人で下りていると長い階段もあっという間に感じた。
そうして、今度は最初の場所と同じで真っ暗なだけで何もない空間へと俺たちは辿り着いた。
「これで、俺も第伍位階か。なんか、あっさりとしてるな」
「ふっ……そうは言うが幽よ、これが十三年の苦行の末、と考えれば感慨深いのではないか?」
「いや、そうだとしてもあんまり実感はねえよ」
ため息交じりに言えば、大百足は面白そうに笑った。
「それもそうよな。何せ、今はまだ内なる世界なのだから。だが、外に出れば違う。お主は力を得た実感と、そしてお主が向き合ってきたもの、これからも向き合い続けるものへの理解を得るだろう」
ふっふっふと、怪しい笑みを浮かべ始めた彼女に俺は白けた目を向ける。
「……あんま意味深なこと言うなよ、胡散臭いから」
「うさんくさッ!?」
悲鳴のような声をあげて、彼女はしょんぼりとする。
どうやらショックを受けたらしい。
自覚なかったのかよ……
「なんでもいいが、ここってどうやったら出られるんだ」
切り替えるために、そう言えば彼女はしょんぼりしたまま、
「来るのも出るのもお主の意思でどうにかなろうよ。出たいと思えば出られるはずだ」
「そうかい……悪かったよ、胡散臭いとか言って」
気まずくてそう謝れば、大百足は首を横に振って「直截に言わなんだ我にも問題はある」と言った。
「なら、どういうつもりだったんださっきの」
「……何、ここを出る前に、一つだけ、あどばいす、をしてやろうと思ってな」
「アドバイス?」
「うむ、この道を進むうえで最も大事なことよ……」
言いながら大百足は、その六本の腕の中央左の人差し指で俺の胸を指差した。
「汝、死を想え」
彼女がそう言い切った瞬間、視界が暗転する。
どうやら最後の最後にイタズラをされたのだと俺が理解するのは、次に俺が目覚めた時だった。
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