第7話
なんて、格好つけたのになあ。
ぼんやりとした意識で回想を終えて、それから辺りを見渡した。
どこを見渡しても黒、黒、黒。
真っ暗だから、そう表現するしかないわけだが、ここがもしあの世だってんならずいぶんと寂しい場所だな、とそう思った。
ただ、嬉しいことに真っ暗であっても何もないわけではないらしい。
どういうわけだか、それがわかる。
どこまでも真っ暗で何も見えないはずなのに、どこが壁でどこが天井でがわかるのだ。
妙なこともあるものだと思いながら、横たえていた体を起こすと同時に灯が灯りだした。
それらはまるで俺を導くように、一直線に並んでいる。
なんか、燈子の異能みたいだな、なんてことを考えながら立ち上がり、小さく息を吐く。
「灯篭か」
教科書かなんかでは見た覚えがあるが、実物を見るのは初めてかもしれない。
京都とかに行けば見られたのだろうが、悲しいかな狭魔にはそれらしいものはなかったし、世に言う修学旅行ってやつもないしで、結局一度も拝む機会はなかった。
もし、次があるのなら修学旅行に行ってみたいかもな。いや、旅行ってのに行ってみたい。俺は親類縁者なんか全員死んでるし、狭魔の外に出たことって思えばほとんどないんだよな。
燈子の帰省中の話なんか、羨ましかったりしたなあ。
そんなことをつらつらと頭の中で並べながら、灯篭の導く方へと歩みを進める。
しばらくそうして歩いていると、奇妙な木製の階段を見つけた。
「……降りろってことか?」
真っ暗な空間にそれはあまりに場違いすぎだ。
あからさますぎて疑う気も失せるほどだ。
もうここまで来たらどこまでも行ってやろうと思い下っていくと、また大きな空間に出る。
そこへと足を踏み入れると、次の瞬間、パッと一気にその場が明るくなり、思わず目を覆った。
「……どうなってんだ」
その空間はただだだっ広いというよりは、目的があって作られたような雰囲気があった。
畳の香りがして足元を見れば、案の定敷き詰められた畳。周囲を見渡せば、まるでこの空間を閉じるかのような襖戸の列。
座敷だ、これは。
それに気が付くのと同時に、奥の襖戸がひとりでに開く。
「かかッ、ようやく来たな小童。待ちくたびれたわ」
襖戸の先。そこには、煙管を咥えた美しい女性が座していた。
濃紫色の艶やかな髪。細められた理知的な瞳。白磁のような白い肌。
絶世の美女という存在がもしこの世にいるのなら、彼女こそが相応しいとそう思ってしまいそうになるほどの容姿は、その特徴を表す要点だけかいつまむのに必死で、とても言葉に表せそうにもない。
だが俺は、彼女に見惚れはしなかった。
いや、見惚れられなかったというべきだろうか。
もしも、彼女の特徴が本当にそれだけであったのなら、めでたく俺は初恋に落っこちていたことだろうが、そうはならなかったのだ。
人と呼ぶには、人とは明らかな相違が彼女にはあった。
腕の数。六本。
いいや、もしも彼女が「そう」であるのなら、それは見た目だけなのかもしれない。
人の形を取れるほどに高位な存在であるのなら、自身の姿を極限までこちらに寄せた結果、あふれ出した力があの腕となって表れている可能性は十分にある。
「……暗月の僕」
「やめい。我をその名で呼ぶでないわ」
怒られた。
暗月の僕に怒られる経験をした死越者って、俺ぐらいじゃないか?
まあいいか。どうせ死んでるんだし、目くじら立てることもないわな。
「じゃあ、何て呼べばいい?」
「大百足」
「……は?」
その返答に俺が呆けると、彼女は続けざまに言った。
「それと、お主、まだ死んどらんからな」
「なあ、つらつらと驚愕の事実を並べるのやめないか?」
ちょっと処理が追い付かない。
ええっと……
「お前は、なんだ、えーと、あの大妖怪の大百足?」
「ああ『俺は七巻き半、奴は鉢巻』という激うまぎゃぐを言ったあの大百足よ」
そう得意気に彼女は言うが、こちらとしては渋面を作らざるを得ない。
激うまギャグのつもりだったのか、アレって。
つーか、誇るところもっと別にあるだろうが。
「あー、うん。で、なんだ。俺は生きてるのか?」
「うむ。まあ、厳密には死にかけではあるのだろうが」
そこはあまり重要な話ではないのか大百足は興味がなさそうに、煙管を咥えて煙を吐いてみせる。
ならばと、続けて俺は彼女に問いかける。
「じゃあ、ここは?」
「ここはお主の腹の中よ」
「腹の中……?」
「む、ちと例えすぎたな。言い換えるなら、そうさな、ここはお主の世界といったところか」
余計わからなくなったが……
腹の中で俺の世界……ってことは、まあ、つまり俺の中ってことだろう。
だが、それなら、
「だとしたら、なんでお前はここにいる? 大百足なんだろう?」
「知れたことを。我がお主に宿っているからに決まっておろうが」
「宿る……?」
宿るってことは、つまり共生?
彼女は俺の中にいるのだし、それなら話の筋は通る。が、そんなことがあってもいいのか?
意識の外から干渉したとか言われた方がまだ納得できるぞ。
大百足は百目鬼と同じく、藤原秀郷に関係する大妖怪は暗月の僕と俺たちが呼ぶ存在そのものである。
龍神を迫害するだけの力を持った正真正銘の怪物。
格で言うのなら、百目鬼よりも遥かに上だろう。
「死越者ってのはどいつもお前みたいなのを体に宿してるのか?」
「ふむ。常識を疑えと言うつもりだったのだが、常識を疑いすぎるというのも良くはないな」
「む……」
常識を疑いすぎているってことは、死越者が内なる神性に目覚めているってのは事実なのか……?
「……お前は何を知っている」
「お主に関係することであれば、大方のことは……」
ジッと俺を見つめて彼女は言う。
「そうさな。突然ではあるが、夕凪幽、お前は自分の位階が測れぬ理由を考えたことはあるか」
「あん? あー、そうだな……」
大百足自身の言う通り急な問いに、一瞬、考える。
理由、理由ね。
俺が弱いから……というのはきっと違うのだろう。もし、彼女が持っている答えがそうならわざわざこうして、問いかけることに意味なんてないはずだ。
それに、彼女はさっき「常識を疑えというつもりだった」と言っていた。
「いんや、考えたことはなかったな」
「だろうな。もっとも、自身についての疑問の答えが身近にそれらしく用意されていたら、そうと納得してしまうのもわからん話ではない。その返答が出来るだけまともだ」
「……お前が答えを言ったようなものだろ」
「くふっ、まあ、そうだが」
六本ある腕の中の中央左の手で口元を隠し、おかしそうに彼女は言う。
「のう、幽よ。もう理解したとは思うが、お主の位階が測れぬのはお主が弱いからではない。それを測る道具にお主を測るための機能がなかっただけよ。まあ、仮にその機能があったところで、今までのお主なら見るも無残な結果になっていただろうが」
「今はそうじゃないと?」
「然り。今のお主は……そうさな、位階で言うのなら第参位階といったところよ」
「第参位階……? 俺が?」
驚く俺に、大百足は煙管の煙をふうと吐いてニヤリと笑った。
「いつの間に……」
「お主がこの場所を訪れ、我と出会った。その時よ」
「そんなことでいいのかよ」
思わずそう口にすれば、彼女はやれやれと呆れた様子で首を振る。
「ことはそう簡単ではない。我がお主をここへと導くには、お主がもう一度死にかける必要があったのだからな」
それも、と彼女は続ける。
「尋常ではない生への執着を持ったままで、な。一度目だけならともかく、二度目があるとなると冷や冷やしたものよ、下手に満足した状態でそうなってしまっては、対面する前に死なれていたのだから」
その説明を聞いて、黙ってしまう。
それはつまり百目鬼に腕を消し飛ばされ、逃げ回り、意識を手放したあの時、万が一少しでも俺が満足していたのなら……
「まったく、無駄に努力を重ねおってからに……執着は十分だったというのに、おかげで干渉するのに十年もかかってしもうたわ……」
俺が黙っている間、大百足はぶつぶつとそんな文句を口にする。
それに少しイラっとした。
彼女の言い分はわかる。
確かにすぐに死にかけていれば、彼女に出会うのが早くなっていただろうし、力をつけるのも早くなったのかもしれない。
どういうわけかは知らんが、こちらへと親身に接してくれているこの大妖怪に他意はないのだろうということも。
だが、それでも死に目に合うことを望まれていたという事実を捨て置くことなど出来なかった。
「仕方ねえだろうが! こっちは生きるのに必死だったんだからよ!」
「わかっておるわ! そうでもなければ、ここに訪れる前にとっくにくたばっておるだろうからな!」
「結果オーライってことじゃねえか! 何にキレてんだよ、お前!」
「うっさいわ! お主なんか放っておくと一生死にかけなさそうなんだから、心配にもなろうが!」
普通並ばないようなワードを平然と並べるんじゃねえよ……
あんまりな言い草に、言葉を失ってもう一度黙ると彼女は少し恥ずかしそうに視線を逸らして、こほんと咳を一つした。
「……まあよい。ともかく、ここはそういう場所。言うなれば、生きとし生けるものすべてがその内側に持つ黄泉路のようなものよ。我は『死を識る道』と呼んでいる」
「死をしる道、ね。しるってのはどの字だ?」
「知識の識だ」
なるほど把握。
「それで? ここに来てお前に会うだけでどうしたって、俺は第参位階になってるんだ」
確かにそりゃあ、力を手に入れでもしない限り納得できないような条件だが、他の死越者は初めの一回目で位階を得ている。
なら、俺だけがここに来てこいつに会わなければならなかった理由があるはずだ。
「……お主は他の死越者とは違い、我をその身に宿しているというのは理解したな?」
「おう……やっぱりそれが関係してんのか」
大百足は静かに首肯し、それから少し目を伏せ話す。
「お主は神ではなく、どういうわけか我を宿している。大百足という大妖をな」
「どういうわけか、ってお前も理由はわかんねえのか?」
「我とて何もかもを知っているわけではない。お主が一度死ぬまでは我自身が目覚めていなかったから、それ以前のことは何も知らん。むしろ、死んでいたはずの我がどうしてお主の中にいるのかなど我が知りたいものよ」
苦虫を嚙み潰したような顔で、大百足は吐き捨ててそれからまたこほんと咳をする。
どうやら彼女は気を取りなおす時や話題を変える時に、咳を挟む癖があるらしかった。
「お主は力の源を神ではなく、我としている。故に、厳密にはお主が得た力は位階の上昇によるものではない」
そこで俺はようやく合点がいった。
「なるほどな、だから俺の位階はわからないのか」
あの道具はあくまでも死越者の『位階という力』を測るものだ。
仮にアレが内なる神性の強さをもとにして位階を測っているのなら、そもそも力をつける過程や源が違う俺に対しては、反応こそしても元となる力の判別がつかないから測ることも出来ない。
「……まあ似たようなものと言えば、似たようなものではあるのだがな。どちらにせよ、力の肝となる存在の格は高くなっているのだから」
「存在の格、か……」
「ああ。お主も理解しているだろう? この世はその存在の格こそが、すなわち力となる世界だと。我の同族ら……あれらを同族だと呼ぶのは不服ではあるが、ともかくとして、それらと戦うのなら肉体の鍛錬、技術の研鑽は当然のこととして、何よりも自身の存在というものを強くせねば立ち行かん」
大百足の言う通り、今まで俺は『位階』という存在の格が低いから、下位の暗月の僕にすら苦労していた。
それが足りないから磨いた技術は刃が立たず、餓鬼程度のやつに雑に殴られただけで骨が折れる。
今までは、どれだけやっても測れるようにならない位階を上昇させる方法なんて、ないのだと思っていた。
だが、彼女の言うことが正しいのなら、俺は……
「それで、俺が存在の格をあげるにはどうしたいい」
少し前のめりになって、そう尋ねると彼女は深く息を吸って、それから答えた。
「この黄泉路を下ること。己の魂を深淵に沈めることでのみ、お主は力を得ることが出来る。実際、我に会うまでにお主は一つ下ってきただろう。力が伸びたのは、それが理由だ。とはいえ、お主が今の状態から回復するにはもう一つほど、下らねばならぬが……」
「ならよ……」
すぐにでも進みたいんだが、と俺が口にしようとした時、大百足はジロリと睨み静止をかけてくる。最後まで聞け、とそう言いたいのだろう。
俺は開いた口を閉じて、彼女の言葉を待った。
「故にこそ、幽、お主に我は問おう」
鋭い瞳に射抜くようにして見つめられ、息が詰まりそうになる。
さきほど言い合いをした彼女からは考えられないほどに、真剣なその様子がこれから彼女が問うことの重大さを表しているかのようだった。
「お主はこの先へと進みその身を魔へと堕とす、覚悟があるか」
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