正しいトレーニングのすすめ

ちのあきら

正しいトレーニングのすすめ


 鍛え抜かれた筋力は、魔法と見分けがつかない

 ——アーサー•マッスル•クラーク——


◾️◾️◾️

「ぬううゔん!」

 黒いローブをはためかせながら、師匠が敵の魔法を受け止める。

 ローブ——古来からの魔法使いとしての証。黒はその中でも王国宮廷魔法使いのみが着用を許されたエリート中のエリートの色だ。

 更にはひらめくローブの下からは、師匠を魔法使いたらしめる筋骨隆々たる鍛え抜かれた肉体が覗いている。

「どりゃぁぁぁぁ!」

 今にもこめかみの血管が切れてしまいそうな雄叫びをあげながら、筋肉がますます盛り上がる。そして敵の魔法攻撃——凄まじい速度で投げられた投槍は、師匠の防御魔法であるバンプアップした右大胸筋によって弾かれていった。

 相変わらず出鱈目だ。なんで槍が刺さらねえんだよ。

「ぬるい、ぬるいわ! その程度で我が防御魔法を貫けるとでも思ったか!」

 師匠はニヤリと笑顔を浮かべると、身に纏う黒のローブを脱ぎ捨ててふんどし一丁になる。セルジオ•オリバに匹敵する肉体が完全に露わになった。

 なんで戦場で脱ぐんだよ。魔法使いの証脱ぎ捨てんなよ。

「なに、まだまだ小手調べよ。我が魔法の真髄はこの程度ではないわ!」

 槍を投げつけてきた敵魔法使いもローブを脱ぎ去る。これまたデキスター•ジャクソンばりの肉体美が太陽の下に光り輝く。なんで油塗ってあんだよ。ここ戦場だからな? あと脱ぐな。

 ぶつかり合う暑苦しい魔法使い——マッチョのおっさん2人を眺めながら溜め息をつく。

「近距離魔法、トルネードサイクロン!」

「なんの、ボルカニックランス!」

 師匠のバキバキの太い腕から繰り出される強烈な左フックが、敵魔法使いの腰だめから右正拳突きが激突する。

 ばぁん、と破裂音と共に飛沫が舞う。強力な魔法同士による相殺とか師匠は言ってたけど、単に汗が散っているだけにしか見えない。

 しかし彼らの言う魔法が実際にもたらす常識外れの破壊力も俺は知っているから、声に出してツッコむことはできない。

 ほら、外れたライトニングバズーカ——師匠の飛び膝蹴りがぶち当たった大岩が粉微塵になっている。出鱈目すぎんだろ、こんなん常人が食らったら一瞬で壁のシミになっちまうレベルの威力だ。

 戦場の華である魔法使い同士の一騎討ちを、周囲の兵士が固唾を飲んで見守っている。

 魔法使いに対抗できるのは魔法使いのみ。一騎討ちに敗れた側は、なす術なく負けてしまうのだから当然だ。


「だりゃぁぁぁぁ!」

「ずぉりゃぁぁぁ!」

 飛び散る汗と雄叫びが震える中、溜め息をもうひとつ。思うのはただひとつだ。

 なんでこんなことになっちまったんだろうなぁ。

 お、そろそろ決着か。

「うおおおおお、ボルテクスアックス!」

「ぬ、ぬぅおおおおお!?」

 師匠がひときわ右腕をパンプアップしてアックスボンバーを敵魔法使いに繰り出す。敵魔法使いは両腕で魔法防御を試みるも徐々に押されていき、ついには腕を跳ね上げられて顔面にアックスボンバーが炸裂した。

「ぐわぁぁぁぁぁぁあ!?」

 凄まじい威力に、敵魔法使いが地面と平行に吹っ飛ぶ。200メートルほど吹き飛ばされた彼はそのまま大の字に倒れてピクリとも動かなくなった。

 師匠は荒々しい呼吸を整えると、汗でテカる肉体のままサイドチェストをキメてニカリと笑った。

「うおおおおおおおおお!」

「王国最強! 王国最強!」

「キレてる! キレてるよ!」

「そこまで魔法を練り上げるには眠れない夜もあっただろうに!」

 歓声に沸く王国兵士達。

 対照的に呆ける俺。

 ほんと、なんでこんなことになっちまったんだ。


◾️◾️◾️

 俺がこの異世界に転移してしまってから早2年。

 つまりこの世界でいう魔法を知ってから2年ってわけだ。


 この世界には魔法がある。

 ただし、俺達の世界での思うような魔法じゃあない。

 筋肉を徹底的に鍛え上げ、桁外れの筋力から生み出される筋肉魔法がこの世界の魔法だ。

 鍛え抜かれた筋肉に不可能はない、らしい。んなアホな、と俺も思う。でも実際に魔法使いが使用する力任せの筋肉魔法は凄まじい。

 拳を振るえばあまりの威力で衝撃波が生まれ大地を粉砕し、遠距離魔法とか言って指で石を弾けば鉄板をも易々と貫通する。先の戦争でも、投槍を筋肉で弾いていたしな。

 馬鹿らしいとどれだけ俺が思っても、実際に魔法使いから繰り出される筋肉魔法は脅威の一言に尽きるのだ。

 魔法使いは、その特性上体を鍛え抜くため筋骨隆々だ。

 そのため大柄な男性が非常に多い。異世界転移したばかりの俺を拾ってくれたのも、そんな魔法使いのひとりだった。


「鍛えられていないな」

 師匠が俺の身体を見て言った。

 戦場から帰ってくるなり休む間もなく俺を鍛錬場に連れて行った師匠は、おもむろにそう告げた。

 師匠は身長190センチ、体重は100キロを超える巨漢であり、暇さえあれば鍛えている筋肉のおかげで尚更デカく見える。子供が街角で出会ったら威圧感で一瞬で泣くレベルだ。

 対して俺は元インドア派、2年前に比べれば筋肉もついてがっしりしてきたが師匠に比べればモヤシに近い。仕方ないだろ、何故か降ってきた鉄アレイのせいでこの異世界に転移してからトレーニングを続けてきたといえ、元々の上背がまるで違うのだ。

「健全な魔法は健全な肉体に宿るのだ。異世界人のオマエであってもそれは同じ。今回無傷で戦いが終わったのは単なる運にすぎぬぞ」

 苦言を呈しながら自身もトレーニングマシンに向かう。師匠はトレーニングジャンキーだ。だからこそ王国宮廷魔法使いになれたんだろうが。

 師匠の言うことはもっともで、魔法を教えてくれるって言われたときから納得はしている(魔法の鍛錬って言って筋トレしかしていないが)。異世界人でまったく生活基盤もコネもない俺はある程度の力がないと生きていくことも難しい。魔法を覚えて軍に入れば少なくとも収入は安定するし、だからこそ俺は今日まで師匠の世話になりつつも生きてこられた。

 だけど、俺はそもそも肉がつきにくい体質なんだ。仮に筋肉がついたとして、師匠のような出鱈目な筋力が手に入るのか疑問なんだが。

「儂もそろそろ歳だ。魔力も若干だが衰えつつある。それまでに戦えるようにならんと、食い倒れることになりかねんぞ?」

 わかってる。師匠にいつまでも甘えられないことは。

 ちなみに師匠の言う魔力というのは、単に筋肉量の話だ。減ってるか? そうは見えない。


◾️◾️◾️

 先の戦争から半年。俺はいっそうトレーニングに励んだ。

「はは、ついに手に入れたぞ……!」

 俺は鏡に映る自身の肉体を見て確信した。

 シックスパックに割れた腹筋。引き締まった脚。美しく盛り上がった上腕二頭筋……!

 これぞ夢にまで見た細マッチョ! 女の子にモテモテの理想体型の極致に辿り着いたぞ! 俺はやったのだ!

 以前の俺では耐えられなかったトレーニングも、実際の生活がかかってくれば話は別だ。節制と増量とトレーニングを繰り返し、俺は成功したのだ。

 これなら、この腹筋と上腕筋ならば女の子にキャーキャー持て囃されるだろう。モテモテの時代の到来だ。最近気になっているシンディちゃんもこれなら……

「足りぬ」

「おわぁっ!?」

 いつの間にか背後に立っていた師匠が、俺を見下ろし言った。

「そのような肉体では魔法を扱えん。魔法とはもっと雄々しき体から発するものなのだぞ。このような、な!」

 師匠はローブを脱ぎ去る。ローブの下はいつもと同じふんどし一丁の正装だ。一歩間違えば変態として連行されかねない姿になると、師匠は今にも耳から血が出そうなほど全身に力を込め始める。

「ふんぬぅあああああ!」

「う、うおおおおおお!?」

 意味不明な師匠の行動だが、結果だけはわかりやすい。

 ただでさえ筋肉の塊である師匠が全身をパンプアップし、更にひとまわり——いやふたまわりは筋肉が巨大化し隆起していた。

 なんてことだ。化け物かよ。こんなんじゃモテないぞ。だから独身なんだよ。

 様々な悪態が脳裏をよぎったが、かろうじて声には出さずに済んだ。

 ともあれ師匠は俺の作った美しい筋肉が気に入らないらしい。まぁ、確かに魔法は使えないけどな。

 しかし、俺と師匠が言い争うよりも先に、周囲に警報が響き渡った。

 敵襲警報。

 新たな戦争の始まりの合図だった。


 拠点から飛び出した俺達の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

 ふんどし一丁のおっさんが、空高く舞っていた。

 迸る汗と油で体をテカらせたそのおっさんには見覚えがあった。半年前の戦いで師匠に吹っ飛ばされた、敵国の魔法使いのおっさんだ。

 敵国魔法使いのおっさんは遥か頭上でくるりと一回転すると、

「くらえぃ、アァァァスクエェェェェイク!」

 そのまま右拳を突き出したまま拠点に向かって流星の如く降ってきた。

 激突、爆音。

 おっさんの拳が拠点の天井に突き刺さると、地震のように地面が揺れる。そんな馬鹿な。どんな腕力してやがるんだ。

 おっさんは拠点に腕を突き立てたままニヤリと笑う。

「借りを返しに来たぞ」

 そしてそのまま首を傾げると、深刻な顔つきで続けた。

「手が抜けん」

 危うく師匠がそのまま殴り殺してしまいそうになったが、敵魔法使いはかろうじて周囲ごと左拳で破壊して逃れた。惜しい。そのままエンディング流れるかと思ったんだが。

 

 仕切り直しになったが、既に拠点周囲には敵国兵士が陣形を組み終わっていた。その前に立つのは威風堂々たるおっさん魔法使い。先ほどの失態がなければ完璧な展開だった。

 前に立つのは我らが王国宮廷魔法使いたる師匠だ。俺とのトレーニングルームでのやりとりの際に既にローブは脱ぎ捨てているため、ふんどし一丁の姿だ。師匠の背後には俺を含めて我が国の兵士が並ぶ。しかし先程の敵の大魔法で現場は混乱しており、陣形はまともに組めていない。このままぶつかるのであれば敗北は必至だろう。

 どうするかと思いきや、敵魔法使いから師匠へ意外な提案があった。

「俺と一騎討ちで再戦しろ」

 なんでも半年前のあの敗戦で、彼はドン底まで落ちたらしい。敗北の記憶に魘され、プロテインは1日200グラムしか摂れず、体は痩せに痩せた。トレーニングも1日19時間しか行えず、味方からは虚弱と罵られたそうだ。

 ……痩せたか? 大して変わらんように見えるが。

「だが! 俺はその極限状態の中、貴様への復讐心を燃やし続け、ついに新たな魔法の習得に至ったのだ! これぞまさに筋肉の思し召し! この力で必ずや貴様を滅し、改めて世界に名を轟かすのだ!」

 おっさん魔法使いは叫ぶ。

「さあ、見よ! これぞ究極、飛行魔法だ!」


◾️◾️◾️

 俺は唖然としていた。

 おっさん魔法使いは、襲撃時と同じように高々と空を舞っていた——驚異的な脚力で。

 空中で両腕を広げ、まるで滑空する鳥のようだ。

 それはジャンプだった。ただのジャンプ。とんでもない高度ではあるけれど。

 その証拠に、空中で留まったり方向転換したりしない。ただ飛び上がって落ちてくるだけの軌道だ。

 しかし、しかしだ。

 上から降ってくるというのは、力学的に見れば効率的だ。高い位置にはそれだけでエネルギーがあり、脅威なのだ。その結果が拠点を破壊し尽くしたアースクエイク、大魔法なのだ。

 このままではまずい。先程の光景の焼き増しになってしまう。

 兵士達が更なる混乱に陥りそうになったその時、我が国の希望も空に飛び立った。

 師匠だ。ムキムキのふんどし一丁もまた、空に飛び上がったのだ。

「空中で迎撃する気か!? 馬鹿め、ここは俺の領域よ!」

 おっさん魔法使いが嘲笑う。確かに師匠も人とは思えない跳躍を見せたが、おっさん魔法使いはその更に上空。

 魔法使い同士の空中戦——その高度に差があるのであれば、優劣は覆らない。

「地獄で苦渋を舐めて習得した俺の新魔法、容易く破れるものではないわ!」

 おっさん魔法使いがくるりと一回転する。その勢いのまま丸太のように太い左脚を繰り出した。

「くらえ、そして死ねぃ!」

 俺達を守るために空中戦を挑み、絶体絶命の師匠。それでも師匠は不適な笑みを浮かべると、何もない空間に向かって拳を振るった。

 乾いた音が戦場に響き渡る。そしておっさん魔法使いがミサイルのような蹴りを放ったその場所に、師匠は既にいなかった。

「空中を……滑った!?」

「不可能を可能にする——それが儂の魔法だ」

 信じられないが、師匠は空気を殴って空中で軌道変化していた。どれほどの筋力があればそんなことが可能になるのか。まさに奇跡の魔法だった。

 慌てて師匠を追撃しようとするも、おっさん魔法使いは完全に体勢を崩している。無理に攻撃を加えようとした結果、バランスを取れずに失墜していく。

「うおおおお、そんな馬鹿なぁぁぁぁぁ!?」

「儂の番だ……落ちよ」

 みしりとここからでも聞こえそうなほど、師匠の腕がバキバキになる。

 墜落するおっさん魔法使いに、ダメ押しとばかりに師匠の攻撃が叩き込まれる。

 まるでボールのようにおっさん魔法使いは地面に叩き落とされた。

 頭から拠点の残骸に突き刺さり、ピクリとも動かない。

 その横に師匠は土煙と共に降り立つと、無言のままアブドミナル•アンドサイをキメた。

「うおおおおおおおおお!」

「王国最強! 王国最強!」

「肩にちっちゃい要塞載せてんのかい!?」

「王国筋肉博物館!」

 混乱から立ち直った王国兵士達が歓声を上げる。

 敵国兵士が逃げていく。

 俺達は勝ったのだ。


◾️◾️◾️

 俺達は拠点を破壊されたものの敵将を打ち破り勝利した。

 一騎討ちで勝利した師匠は、戦後に更なる栄光を手にした。

 いわく、「魔法の極み」「筋肉の頂」

 王国宮廷魔法使いとしてだけでなく、それ以上の賞賛を浴びることになった師匠は、しかしいつもと変わらなかった。

「儂などまだまだ筋肉道の入り口に過ぎん」

 そう言って、日に21時間だったトレーニング時間を22時間に伸ばしていた。

 俺も気の迷いからか、ちょっとだけ師匠に憧れてトレーニング時間を増やした。

 今のところまだ魔法は使えていないが、身体つきはどんどん分厚くなってきている。いずれ魔法を使うこともできるだろう。

 師匠の引退するころには、俺も一端の魔法使いになりたい。

 そうすれば師匠を安心させることもできるだろう。


 シンディちゃんにはフラれた。

 線の細い少年が好きだと言われて、夜少しだけ泣いた。

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