第二部 1

    第二部


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 サイトウが勤務するコンビニに敵対者が再来したのは、ハロウィン当日だった。店長による正式な出入り禁止指定から八か月後のことだった。八か月前、敵対者は例の何かの料金支払い行為を実行しに黒い自転車、一般にママチャリと呼ばれるモデルで昼下がりに来店し当時勤務していた女性店員に侮辱的発言をしたことから口論が勃発、瞬時に通報、緊急出動した完全武装の警官隊によって確保、連行され、それからぱったりと音沙汰が途絶えていた。音沙汰は途絶えていたとしても敵対者はしっかりと存在し、食事し、栄養を蓄え、生活し、甘いお菓子を食べ、よく冷えたスパークリングワインを飲みながら虎視眈々と逆襲の機会を窺っていたのだ。彼は機会を窺っている最中にクルマを買ったらしい。そのクルマは真新しい白いSUV。現行のホンダ・ヴェゼルだった。

 サイトウは前回の一連の敵対者によるサディスティックな脅迫的行為によって心理的に損なわれたことからしばらくコンビニを辞めていた。仕事を辞めたもう一つの要因は旧友のアキラから彼が勤務する飲食店グループの仕事に誘われたこともある。だが、アキラが謎の暗殺者に殺されてしまったので、その飲食店グループとのパイプも鉈でバッサリと切り落とされてしまった為、サイトウはまた元のコンビニに復帰したのである。

 敵対者のクルマは見て一瞬で車種を判別した。いや、実は思い出すのにネットでちょっと調べた。だが、敵対者本人はどうやら五キロほど太ったらしく間近であの凶悪そうな目を見るまでは判然としなかった。それが十一月一日の午前一時半のことだった。それに先立つ二時間前に敵対者から電話がかかって来た。電話のベルはその後に巻き起こる禍を警告するかのように空気を緊張させるひどく張り詰めた音をけたたましく鳴り響かせた。電話の内容は以下のようなものだった。

 三時間くらい前にサイトウが働くコンビニに来店した敵対者は携帯電話と連動した料金支払いを実行しようとしたが、やり方が分からなかったので店員に「すいません」と声を掛けたが、反応が無かったのでもっと大きな声で「すいません」と言ったら、サイトウが勤務する前にいた男性店員から「大きな声を出さないでください」と言われたことに対して憤りを感じた。その対応は断じて許されるものではない。大体こんな感じの内容を脅迫的な口調で、大声と渾身の絶叫を交えて延々と三十分間に渡って主張し続けた。

 後の調査で発覚したが、敵対者が訪れた店はサイトウの勤務する店ではなかった。あるいは完全な捏造であるかもしれない。よって実際はハロウィン当日には彼は来店していない。だが、その時はそんなことは分からなかったし、サイトウは一度も彼と電話で話したことが無かったので、電話のスピーカーによって若干変質した声の持ち主が誰なのか全く分からなかった。ただ、一連の過程における特徴的な脅迫的口調から敵対者ではないかと疑念を抱いたが確信にはいたらなかった。

 サイトウはその渾身の絶叫を交えた主張に対して、お馴染みのキーワードを交えて謝罪した。申し訳ございません。大変なご迷惑をお掛けしました。恐れ入ります。とかなんとかを闇雲に並べて謝った振りをしていたら、よく分からないが、敵対者は徐々に友好的態度に移行し、最終的には上機嫌で電話を切った。「お前は話の分かる奴だな」とも感慨を交えた口調で言われ、謎に革命運動の同志か戦友でもあるかのような気分に包まれた。最後のほうで敵対者はサイトウの店に行ってもいいかどうかを確認した。話の流れからダメとは言いにくいので、どうぞご自由にお越しくださいませと答えた。出入り禁止ではないかどうかとも質問されたが、その時は相手が誰かはっきりと分からなかったのでサイトウは条件を提示して質問した。

「もしお客様が当店の従業員から出入り禁止を通達されていれば、出入りは出来ませんけども、そういったことは言われておりませんか?」

 彼は虚偽の返事をした。

「いいや」

「でしたら大丈夫です。どうぞご自由にお越し下さいませ」

 謝罪側の立場とは言え条件は最低限提示したので、これで司法的責任は回避可能なはずだ。「どうぞご自由にお越し下さい」とは言ったがそれは飽くまでも敵対者が出入り禁止を通達されていない場合に限定される。敵対者は警察の立ち合いのもと、明確に出入り禁止を通達されていた。

 あたかも戦争で執拗に殺し合った後、安全保障条約を締結した同盟国同士ででもあるかのようにサイトウは敵対者に接客した。敵対者は最初の方ではちょっとした文句も言っていたが最終的には丁寧な接客に大層満足して退店した。買ったのはロゼのスパークリングワイン二本とナッツが入ったチョコレート菓子、そして例の何かの料金支払いを行った。戦争はまるで夢ででもあったかのように如何なるトラブルも無かった。和平交渉で双方は合意に至り、国交は完全に回復したかに装われた。全ては完全な偽装工作だった。

 サイトウは店長に全て報告し、店長は「次回、入店した時点で即刻警察に通報せよ」との反撃命令を下した。その命令を受けて最前線で戦うサイトウが策定した作戦は以下のようなものである。敵対者には出入り禁止を通告済なので入店した時点で不法侵入罪が成立する。ただ、通報してから警察が来るまでの間に逃げてしまうと確保できない。よって、敵が入店した時点でサイトウは速やかにバックルーム内へ移動。内側からドアの鍵をロックし速やかに警察に通報し、そのままそこに退避し続ける。そうすれば、敵が店内で商品を物色したり、料金収納の申し込みを実行する装置を操作し、無人のレジに来て店員を呼んだりなんかしている内に、警察が到着し、彼を違反行為の実行によって逮捕する。サイトウは警察が到着した時点でバックルームから悠揚と売り場に出て警察に協力する。

 サイトウは翌日も前日同様の夜勤だった。彼は出勤した時に夕勤で勤務していた男性店員から情報収集した。男性店員によると、敵対者は近隣一帯のコンビニでも同様の迷惑行為を繰り返しており、警察も既に要注意人物としてマークしていた。サイトウはその情報から類推する。他の店で警察に通報されていればそこには行きにくいはずだ。とすれば、前日気分良く快適に買い物が出来たこの店に今日も来店する可能性が高い。奴は今夜、必ず来る。

 サイトウは奴が来た時、可能な限り素早く通報出来るように警戒態勢を最高レベルに引き上げた。紛らわしい白いSUVなんかが来ると緊張は極限に達した。漆黒の暗闇に包まれた最前線の戦場でサイトウの心は束の間の平穏をも得られなかった。彼は森の中でボルトアクション・ライフルを構えて獲物を待ち伏せるハンターだった。最初の一発で仕留めなければ、脱兎のごとく逃げられる。反応の遅延は決して許されない。時間は刻々と過ぎ去る。二時間が過ぎ、三時間が過ぎた。奴は来ない。いや、絶対来る。決着は今夜だ。

 夜が明け、早起きの鳥たちの気持ちの良いさえずりが聞こえ始めた。結局奴は来なかった。敵対者は一度この店で警察に確保されているのでその時点で警察は彼の個人情報は入手済みのはずだ。であれば、既に警察が動き奴のアジトを襲撃し、射殺もしくは逮捕かなんかしてしまったかもしれない。ただ、仮にそうだとしても射殺されていなければ、起訴されて執行猶予もしくは服役後にこの社会に復帰した後で、スパークリングワインと甘いお菓子を買いにこのコンビニに再びやって来るかもしれない。絶対そうさせない為には、敵対者の息の根を止める必要があった。奴を確実に殺すにはピストルが必要だ。出来れば一流メーカーの正規品がいい。そう思ったサイトウだったが、彼にはピストルの所持を完全に禁止するとてつもなく厳格な法律があるこの国で一流メーカーの正規品でなくともいかなる類いのピストルをも手に入れる方法なんか見当もつかなかった――その時は。ただ、この時の彼は知る由もなかったが、その近い将来、彼は自身の潜在的発想力によってその方法を解き明かすことになるのである。


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