第一部 7



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 アキラはサイトウとクラブやバーで飲んだり、コースで晩飯食ったりしている間に映画オタクのサイトウから最近見た戦争映画や第二次世界大戦のドキュメンタリー・シリーズの話を聞かされるに従って、その方面への関心が徐々に膨らみ始めた。そういったきっかかでローランド・エメリッヒミッドウェイを見た。シェフだったアキラは戦闘前にアメリカ軍兵士が食べていたステーキの感じを見て、あれはきっとウェルダンに違いないと思った。それから、他の戦争映画も見てみたいと思い、配信版を検索してみたところ《トラ・トラ・トラ!》を見つけた。公開年は1970年だったので、古いから今見るとガッカリするパターンに違いないと一瞬思ったが、一般レビューを読むとかなりの高評価だったので購入して鑑賞してみた。エメリッヒより良かった。真珠湾攻撃シーンは全て実物を飛ばして実物を破壊する圧巻の出来だった。実物のゼロ戦の大群が大空を編隊飛行するショットは壮観の一言だった。当時だとまだ飛べるゼロ戦が残っていたのかなと思った。興味を抱いて調べてみると、米国製航空機を改造してゼロ戦っぽいのを作ったみたいで、この映画の為に調達されたゼロ戦もどきはその後の戦争映画、例えば《ファイナル・カウントダウン》などにも使い回され大活躍したそうだ。実機以外に一部ミニチュアによる特撮も使われてはいるが、全く実写と遜色ないレベルだ。

 だが、肝心な点は戦闘シーンのリアリズムよりも常にドラマにある。ハムレットは何故復讐し、オセローは何故騙され、ブルータスは何故シーザーを暗殺したのか。日本は如何にしてこのような史上稀にみる大胆な作戦を発案し実行し得たのか。アキラはその点についても調査を進める。真珠湾攻撃を発案したのは連合艦隊司令長官、山本五十六だった。彼は米国との開戦に反対していたが、もしやるのであれば、最大の効果を発揮する方法で徹底的にやらなければならないと確信していた。企画段階で無茶な提案をしても現場の反発とか馴れ合いとかでそれなりのものにこなれるのが一般的な流れだが、山本の場合は最初の無茶な要求を押し通し彼の理想通りの作戦を実行した。相手の米国は国力が十倍ある。そうしなければやる意味がない。権力者タカモリへのクーデターを企むアキラは自身を山本五十六に重ね合わせた。これは、俺にとっての個人的真珠湾攻撃なのかもしれない。

 アキラはバーのカウンター席でウィスキー・ソーダを飲みながらサイトウの歌を聞いていた。いずれはサイトウにもクーデターについて話さなければならない。彼はサイトウにも自分の会社で働いてもらおうと思っていた。だが、話すのはまだ早い。まだ計画進行段階だった。この段階では秘密を知る人間の数は少なければ少ないほどいい。タイミングが問題だ。アキラはサイトウの歌を聞きながら思った。歌と同じだ。タイミングが合っていなければ、それだけで全て台無しになる。リズミカルでアップテンポでほとんど早口言葉みたいな曲を聞きながらそんなことを考えていたアキラはバーの入り口から入って来た女性客を目にした。彼女はすっきりとした黒のパンツスーツを着ていた。

 彼女の目は意志で溢れていた。アキラはその目を気に入った。確固たる目標の為の揺るぎない計画を立案し、その計画を断固として実行する者だけが持つ目だ。美しい女性も美しい目も数多く目にしたアキラだったが、彼女の目はエクセプショナルだった。アキラはその目の虜になった。彼は彼女と話がしたくてたまらなくなった。彼は彼女と話をしなくてはならなかった。タイミングなんかどうでもよかった。とにかく一刻も早く彼女に話しかけたかった。だが、ここでいきなり彼女に話しかけるのはマナー違反だ。彼女も彼と話したいと思っていればいい。それは数学的に考えると50%の確率しかない。もし彼女が彼と話したくないと思っていた場合には彼女を不快にさせ、彼女は帰ってしまうだろう。そうなると、彼の話しかけるという行為によって彼女の退店時間を早めたことによる経済的損害を店に負わせることになる。幸いこのバーはアキラの行きつけで、ホーム・アドバンテージがあった。彼はそれを利用した。彼はバーテンダーに頼んで、一杯奢って少し話してもいいかどうか彼女に聞いて貰った。好き勝手にナンパされるよりはこのように店側に依頼して交渉を代行して貰ったほうがトラブル回避等の観点からも店から歓迎されるといった裏事情をアキラは毎日飲みに行った経験から段階的に学習していた。すなわち彼の行動はふと思いついた突発的行動ではなく、事前にシミュレートし準備を重ねた極めて戦略的なプロジェクトだった。

「どうも、アキラっていいます。お名前は?」

「ユミコです」

「ユミコさんね。よろしく。飲み物は何にしますか?」

「そうね。シャンパンが飲みたい」

「いいね」

 アキラはバーテンダーにシャンパンのボトルとグラスを二つ頼んだ。ユミコはサイトウの歌を聞きながらアキラに訊いた。

「ねえ、この曲知ってる」

「え? いや、知らないな」

「有名だよ」

「へえ、教えてよ」

「《ステイ》って曲。ジャスティン・ビーバーが二番のメロディ部分を歌って、それ以外をザ・キッド・ラロイが歌ってるの」

「ふうん。好きなの?」

「うん」

「他に好きな曲あったら言ってよ。彼、最近よく聞く洋楽なら大概歌えるから」

「往年の曲も大概歌えるよ」

 歌い終わったサイトウが補足した。ユミコはその情報を鑑みて自らの希望を口にした。

「《フラッシュ・ダンス》のテーマソングが聞きたい」

「大好きな曲だ」

 そう言ったサイトウはカラオケのリモコンで《What a Feeling》を検索した。サイトウが検索している間、アキラはユミコに見とれていた。彼女の美しさは純粋だった。何らかの思惑によって巧妙に構築された陰謀のように複雑な美しさではなかった。シンプルで強力で溌剌としていた。彼女の発する声を聞くのが心地よかった。それは音楽だった。あるいはメロディだった。そのメロディは聞く者を至福に導いた。メロディアスな福音だった。彼女の声を聞くだけで全ての苦悩から解放された。アキラはそれまで体験したことのない時間を過ごした。彼は時間を忘れた。もう何時間たったのか、全く見当がつかなかった。彼は夢中で彼女と話した。全てのエピソードに感動した。彼女の話は何もかも感動的に聞こえた。いつまでも聞いていたいと思った。閉店時間が迫った。サイトウは歌い疲れていた。ユミコは笑っていた。アキラはその笑顔をいつまでも見続けたかった。俺はこの人に恋してる。アキラはそんな気がした。

「ねえ、俺の家で《フラッシュ・ダンス》見ようよ」

「いいよ」

 アキラが住む瀟洒な集合住宅のリビングルームのテレビでは、配信版の映画をレンタルしてストリーミング再生が出来た。彼は携帯電話で《フラッシュ・ダンス》が視聴可能かどうか確認した。彼は想像する。サイトウとはバーで別れ、ユミコとタクシーに乗る。タクシーは彼の集合住宅の前に到着する。二人は深夜のエレベーターに乗る。当然、二人はそこでキスをするだろう。アキラは夢を見るような心地になるだろう。ドアを開け、部屋に入る。冷蔵庫から常備してあるシャンパンを取り、蓋を開ける。ちょっと待って、つまみでも作るよ。アキラはそう言って、トマトとモッツァレラチーズを冷蔵庫から出し、包丁を取る。彼はカプレーゼを作る。カプレーゼは一瞬で出来上がる。お待たせ。シャンパンを飲みカプレーゼをつまみながら映画を観始める。これ、おいしい。ありがとう。二人はきっと映画を最後まで見ないだろう。アキラは想像を続ける。


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