第一部 4

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 タカモリがボン・ジョヴィのコンサートに行ったのは四年前の十一月だった。パンデミックも戦争も無い幸福な時代だった。今では考えられない時代だ。その時はちょうど史上初の米朝首脳会談が五か月前に行われたばかりでドナルド・トランプとキム・ジョンウンでさえ結構友好ムードだった。今では考えられない時代。それがたった四年前だった。

 タカモリは完全なボン・ジョヴィ世代とは言い難かった。ボン・ジョヴィの人気が高まった辺りは、まだ小学生でドラえもんとスターウォーズとガンダムとウルトラマンとファミコンで忙しがったのでそれどころではなかったし、中学や高校、大学にかけても、まんが道とマイケル・ジャクソンとマドンナとプリンスとスヌープ・ドッグとタランティーノとニンテンドー64で多忙を極めていた.。勉強する暇なんか全く無かった。タカモリがボン・ジョヴィを明確に認知するのは2000年発表のアルバム《クラッシュ》からシングルカットされた《イッツ・マイ・ライフ》を本屋とCD屋をうろついていた時に聞くのを待たれた。その《イッツ・マイ・ライフ》を聞くために《クラッシュ》ではなく日本限定ベスト盤の《TOKYO ROAD》を買ってクルマを運転しながら聞きまくり往年の名曲リビング・オン・ア・プレイヤー、《バッド・メディスン》等を知るようになる順序を踏む第二波世代にタカモリは属していたのだった。

 彼はその頃既に妻と離婚しており、付き合っていた女性もいなかったので、会社の部下数人に声を掛けてみた。当時の彼は既に輸入車販売業をやめ、アキラと共にレストランビジネスに参入し、ちょうど四店目となるステーキハウスをオープンさせた直後だった。従業員連中の中で最も年上がアキラだったが、アキラでさえ辛うじてボン・ジョヴィの活躍を知っている程度で、そういうアメリカのロックとかにはあまり興味はなく、それ以外の若い連中は世代的にも全く興味がないようだった。そんな訳で、結局、タカモリはたった一人で東京ドームに行くことにしたのだった。

 十一月二十六日、タカモリは新幹線で上野へ向かった。彼は上野からタクシーで東京ドームに行き、通算百一回目五年振りのボン・ジョヴィ日本公演THIS HOUSE IS NOT FOR SALE 2018 TOURを鑑賞した。往年の名曲リビング・オン・ア・プレイヤーはセットリスト最終曲だった。死ぬほどキーが高い曲なのでタカモリ自身はこれをカラオケで歌う時はなるべく声帯の消耗が小さい前半部に配置するのが鉄則だったが本人は真逆なんだなと思った。ヒット曲をきっちり揃え、原曲の跡形を残さない訳の分からないアレンジを加えることもない良心的なセットリストで、口パク無しの全曲生歌だった。マドンナの真逆だなと思った。全く知らない新曲もたくさんあったが、お馴染みのヒット曲は一緒に歌って存分にボン・ジョヴィを堪能したタカモリはコンサートの後、夕食を食べに行った。

 六本木のウルフギャングでリブアイ・ステーキ食べようと思っていたが気が変わってシーフードが食べたくなったので、海鮮居酒屋の魚真乃木坂店へ入った。とりあえず刺身を注文し、ビールを飲みながら食べた。飲食店経営者としての好奇心からメニューを隅々まで確認しながらビールを飲んでいたら気にかかる一品があったので注文してみた。

 それは鯛の兜焼きだった。来てみると量が多過ぎだった。あれこれちょっとずつ食べて優雅な晩餐を楽しみたいという願望を抱いていた彼はちょっと後悔した。残せばいいが、そんなことをしたら礼節をわきまえない成金のクズ野郎だと思われるかもしれない。かもしれないどころか間違いなくそう思われる。成金って時点ですでにクズだと思われているはずだ。料理を残したらブラックリスト扱いだろう。何らかの解決策を考案しなければならないと必死に頭を回転させまくっていたタカモリの目に同じカウンター席で食事をする外国人カップルの姿が映った。タカモリは耳を澄ませた。西洋人のカップルが英語で会話しているのを確認してから彼は英語で話しかけた。

「Excuse me, sir. Can I have a minute?」

女性の方は若く魅力的で男性は中高年で何らかの権力を持っていそうだった。見た目はCEOとその秘書兼愛人だった。

「Yeah, sure.」

「Look, I ordered this dish, but the portion turned out to be too much for myself. So I`d like you to have half of the dish for me, if it doesn`t bother you.」

「Okay. Why not? Sounds great for us.」

「Oh, thank you so much. By the way my name is Takamori. Good to see you, sir.」プレパンデミック期だったのでタカモリは手を伸ばして相手と握手した。

「Good to see you too. My name is Shaker, Billy Shaker. And this is my secretery, Christy.」

「Hi, good to see you Mr. Ta...」

「Takamori. Good to see you too, Christy」

 ビリー・シェイカーはアメリカ合衆国出身者だった。それから食事をしながら話が弾んだ。彼はアメリカで貿易関係の会社の経営者でちょっと休暇で東京に遊びに来たそうだ。年齢は五十六歳だった。だときっと完全なボン・ジョヴィ世代かもしれないと思い、聞いてみたらまあまあ好きみたいで、それをきっかけにしてアメリカン・ロック談議へと移行した。食事が終わった後、ビリーは提案した。

「どうだ、これからクリスティをホテルに送ってからまた二人でどこかで飲まないか?」

「いいよ」

 ビリーは赤坂にお気に入りのバーがあるということだったので、二人はタクシーでそこに行った。暗過ぎない暖色照明のオシャレなバーだった。ビリーはピニャコラーダ、タカモリはマルガリータを注文した。話はアメリカン・ロックから道を外れいつしか聊かいかがわしい方面を彷徨い始める。

「ビリー、秘書と旅行ってさ、ワイフに怒られないの?」

「離婚した」

「離婚? 俺も」

「そうなの。同じ穴のムジナだな」

「で、あの秘書って、秘書って言っても実際は愛人なんだろ」

「まあな」

「いいな、俺もああいう秘書が欲しいよ。で、何で離婚したんだ?」タカモリは質問した。

「まあ、ちょっと、パクられてね」

「そうか、不運だったな」

「ああ、不運だ」ビリーはため息とともにピニャコラーダを飲んだ。

「で、そのパクられたってのは、そういう感じの仕事もしてるみたいなことか?」

「まあ、何て言うか、裏ではな」

「裏?」

「ああ」

「ふうん。だと何て言うか、例えばマフィア的なことなのかな、その裏ってのは」

「それほどドラマティックじゃないよ、タカモリ。まさかマフィアな訳は無いだろ。全く、ロマンティックな奴だな」

「へえ」

「ただこう近からず遠からずって言うか」

「えーっと、何だって?」

「だから、裏でこうこっそりささやかにやってるってだけだよ」

「ヤバい仕事をってこと?」

「ちょっとね」

 タカモリは笑いながら言った。

「面白そうだな。例えばどんな感じの?」

「だからそう期待で胸を膨らませないでくれよ。結局」彼はグラスを持った。「ドン・コルレオーネはピニャコラーダなんか飲まないだろ、違うか?」

「どっちのコルレオーネの話だ。ヴィトーか」タカモリはマルガリータを飲んだ。「それともマイケルか?」

 四年後その会話の続きを思い出したのは従業員からある報告を受けた時だった。

「ところでタカモリ。お前、殺したい奴はいるか?」

「うーん……いない、かな」

「そうか。じゃあ、この話はいいか……」

「いやいやだからそう言われると気になるじゃない」

「聞きたいの?」

「まあ」

「まあ。あんま聞きたそうじゃないな」

「聞きたいよ。是非とも聞かせてれ」

 その話とは殺し屋を雇う方法についてだった。ネットで何でも買えるように、殺し屋もネットで雇えるそうで、しかもそれが刑事訴訟回避の観点から言っても最も安全なオプションとなっていた。ビリーは説明を続けた。

「チェチェン・マフィアがブローカーとしてダーク・ウェブにサイトを開設している。そのサイトで世界中のコントラクト・キラーがサービスを提供し世界中のクライアントが群がる。犯罪組織の抗争、保険金目当て、浮気した配偶者への復讐、それ以外のあらゆる復讐……これがそのサイトだ」

 ビリーはタカモリに携帯電話の画面を見せた。タカモリはそのサイトへアクセスする方法を教えてもらった。いつか役に立つ時が来るかもしれない。そのいつかが訪れた訳だ。タカモリが従業員から受けた報告とは、あらゆる全体主義支配体制国家で推奨ないしは強制されるいわゆる密告だった。

 密告者はアキラの部下だった。系列店中で最初にオープンしたイタリアン・レストランのマネージャー(店長)で、組織全体における実質的なナンバー3だった。彼のもたらした情報によってアキラが独立を画策していることが明らかになった。それもこの会社のスタッフをごっそり引き抜いて。恐るべき陰謀だった。事実上の乗っ取りだ。大した策略家だよ、アキラ。思ったより度胸あるじゃない。このままでもささやかな成功者としていい暮らしを送れたというのに。ただ、こっちも易々そんな陰謀を見逃す訳にはいかないよ。アキラ。なんとしてでも阻止してやる――どんな手を使ってでもね。

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