第4夜

フロアと違って音がないからさきほどよりは騒がしくはないように感じた。ふぅと息を吐く俺の顔に影がかかるような気がした。もう戻ってきたのかと目を開けると俺はぎょっとした。


「おや行き倒れてはいないようで。」

「おかわいそうに。酔ってしまったのでしょうか。」

「ふん。軟弱な人間だ。」

「(蛇腹、十目、豺狼・・・だっけ。)」


昨日のステージ上がっていたトップ3が目の前おり、俺を見下ろしていた。三人そろって見下ろされると威圧感が想像以上に凄い。まさかこんなに早く顔を合わせることになると思っていなかったので心の準備ができておらず、俺の口からは言葉はでてこない。


「惜しかったな蛇腹。目が覚めたのでお前の胃袋には収まらなさそうだぞ。」

「私の負けでしたか、いやはや残念。今回は豺狼の勝ちですね。」

「こら。本人の目の前でそんなことをいうものではありません。知らなければ彼も不幸になることはないのだから。」


会話を理解するのが恐ろしい。胃袋?負け?勝ち?不幸?だが三人の空気はなんとも穏やかなもので、言い争っている空気はひとつもない。会話との温度の差にますますついていけなくなり、頭が痛くなった。俺は勝手知らぬうちに賭けごとの対象とされていたのか。しかもかなり物騒な。俺が固まっていると俺の体調が悪そうに見えたのか蛇腹さんが手を差し出してくる。


「顔色が優れませんね。いけない、筋肉が強張っているようで美味しそうなのが半減・・・おっと失礼。」


恐ろしい発言に俺は顔を青くしながら首を横に振った。大丈夫です気にしないでくださいと声には出せない。俺は差し出された手に触れないように首を逆側に傾けた。その様子を見ていた十目さんが困ったように眉根を下げる。


「あぁ、可哀そうに怯えているようです。蛇腹、仕事中ですよ。」

「十目もそういいながら助けることはしないのですね。」

「きっとこれが彼の運命なのでしょう。それに従うほかないと判断したまでです。」

「おい新人。ここでは自分の足で立たないものから食われていくぞ。わかったのならさっさと立て。」


豺狼さんはそういうと俺の腕を掴んで無理やり立たせた。掴まれた腕がやや・・・というよりかなり痛い。どんな握力をしているのだと思わず豺狼さんをみるが、口から覗いている大きな牙にひゅと息を飲んだ。獣人特有の牙がちらちらと見える。それをみただけで心臓がばくばくと騒ぎだす。こんな牙で噛まれたらひとたまりもない。そんな俺に気づいたのか、十目さんが顔を近づけてきた。顔についた4つの目が一気にぎょろりと俺を見つめる。そえだけではない。首や手のひらについている目も一気に俺をみはじめるものだから大変居心地が悪い。息がかかるほどの距離に驚いてのけぞると、それを阻止したのもまた蛇腹さんだった。俺の肩をがっしりとつかんで動けなくし、にこにことした笑みで覗き込むように見つめてきた。


「ご安心ください。働く意思のある従業員を食べる趣味はありませんので。」

「(なにも安心できない!)」


つまり俺が働かないと問答無用で食べるといっているようなものじゃないか。嫌な汗が背中を伝っていくのを感じる。そんな俺の様子を気にも留めず、蛇特有の長い舌を出した蛇腹さんに豺狼さんがため息を吐く。


「蛇腹。その人間は曲がりなりにもまだ俺の部下であることを忘れるな。」

「あなたの部下ということは私の部下でもありますよね?」

「そもそもオーナー様のものですよ、私たちを含めて。」

「そうだね~!だ~いせ~いかい!"Corner"」


昨日いやと聞いた声がして、腕の圧迫感が消える。蛇腹、十目、豺狼はその声を聞いた途端、俺から離れて壁側を向いてじっとし始めた。声のした方へ顔を向けるとそこには道化方の姿があった。


「蔵匿くん昨日ぶり~。どうどう?ぼくの楽園は。」

「ど、道化方さん。」

「君たち、ダメじゃないか~。蔵匿くんはまだここの従業員だから食べちゃダメだよ。」


お仕置きねと話す道化方さんの言葉に三人は肩を震わせていた。あんなにも怖かったのに今はその陰すら感じない三人に、どれだけDomの言葉が強いのか俺は改めて目のあたりにした。道化方さんはゆっくりと俺に近づくと、楽しそうな声色で聞いてくる。


「ここの従業員はぼくのもの、君を含めてね。ぼくのものであるうちは手を出されないと思うから安心してね。」

「はぁ・・・。」


なんの保証もない言葉に俺は不安しか感じない。だがこのまずい状態を回避できただけまだいいのかもしれないと息を吐こうとしたが、ぐっと道化方さんに手首を掴まれて持ち上げられた。突然の浮遊感に内臓が浮く感じとぎりぎりと痛む手首に

俺は顔をゆがめる。痛さに悶えそうになるが、道化方はそんなことお構いなしに顔を近づけてきて、冷たい仮面が目の前に現れる。


「あの子たちに手をだしたら、ぼく、蔵匿くんのこと殺しちゃうかも?」

「あ、のこたち?」


殺すというワードに気を取られて、俺は初め道化方さんが一体誰のことをいっているのかわからなかった。この人がここまで言葉に感情をこめずに、さも当たり前といっているかのように、殺すと直接的にいうなんて。未だにピンときていない俺に道化方さんは拘束していた手を離した。床に倒れ込んだ俺を見下ろしながらいう。


「纏くんと大和ちゃん。あの二人は絶対に手を出さないでね。ぼくのお気に入りなんだから。」


道化方の警告に俺はただ頷くことしかできなかった。


「じゃあね蔵匿くん。さぁ君たちもおいで~"Come"。」


それだけ言い残すと道化方は三人を引き連れて去っていく。取り残された俺は、痛みを訴える手首をみながら、これは痕が残りそうだなと、少し冷静な頭で考えながら深いため息を吐いた。そのあと俺は纏たちと再会したが、カジノの狂気染みた内部にとてもじゃないが仕事なんて身に入らなかった。

明け方、昼間のことが衝撃的過ぎて俺は変な時間に目が覚めてしまった。ベッドから体を起こし、水でも飲ませてもらえないかと部屋を後にする。纏と大和が教えてくれた従業員が自由に使っていいといっていた水場を思い出しながら、薄暗い通路を一人で歩いていく。すでにカジノ内は静まり返っていて、先ほどの賑やかな雰囲気とは一転している。カウンターへやってきたがそこには誰もいなかった。グラスを一つ拝借をし、水で喉を潤す。

ぼぅとする頭で宙を見つめていると、ふと視界の端で何かが動いたような気がした。


「ん?」

「・・・。」

「⁉」


何かが動いたさきへ何気なく視線を動かしたら、金色に輝く何かと目線があう。思わず叫びそうになった俺の口を柔らかい何かが塞いだ。叫びたくでも覆われたなにかに吸い込まれていくようで声がでなかった。だんだんと目が慣れていき、正体をみとめる。制帽を被った猫のような男が俺の口をその手で覆っていた。


「・・・。」


なにも話さない目の前の猫男に俺は次第に冷静さを取り戻し、なんとか手を離してもらえないかと控えめにそれを叩く。すると猫男は俺の気持ちを察したのか手をゆっくりと外してくれた。


「・・・。」

「は、はい。」


静かにといっているかのように、口元に指をあててしぃと呟いた猫男は俺に興味をなくしたのか、カウンターから離れてフロアへと歩いていく。一体だれなんだろうかと気になってしまい、俺はゆっくりと猫男の後をついていった。スロットマシーンの近くまできた猫男のほかに誰かがそこにいた。


「修復、修復、完了。」

「あ、あのぉ・・・。」

「不審者、否、スタッフ。挨拶。」

「あ、どうも初めまして。」


大きな歯車が顔についた機械仕掛けのロボットのような姿をしたものだった。その隣でさきほどの猫男は尻尾をくねらせて、大きな瞳でまた俺をじっと見つめた。


「吾輩、枢機。カジノ、心臓部。機械、支配者。機能、維持、故障、修復、目的。私、存在、全て、正確。修理、必要、呼べ。猫、此処、監視員、幻影。」

「・・・。」

「す、枢機さんに幻影さんですね。俺、新人の蔵匿です。よろしくお願いします。」


果たして人とカウントしていいのか最大の謎である生命体に会ってしまった。片言ではあるがなんとなく意味は通じる。そういえば大和がまだ合わせたい人たちがいるけど、また明日にしようと話していたのは彼らのことだろうか。彼女曰く、悪い人たちではないとはいっていたが。長く居座って作業の邪魔をするのも申し訳ないな。早く立ち去ろうと俺はその場をあとにしようとする。すると、黙っていた幻影さんが話しかけてきた。


「まっすぐ帰った方が身のため。」

「まっすぐ。」

「好奇心は猫をも殺す。」

「(自虐か?)」

「忠告はした。あとは好きにしろ。」


ふぃと目線を逸らした幻影さんに枢機はまた機会の修復作業に戻っていて、俺のことは気にしていないようだった。一礼をして足早にその場から離れる。まっすぐ帰った方がいいという忠告のままに足を進めていたのだが、どこから来たのかわからなくなってしまう。エレベーターホールへいけばいいのだが、その辺の道筋がわからない。どうしようと佇んでいると、ある部屋から光が漏れ出しているのがみえた。そういえば部屋がわからなくなっても困ると、少し部屋のドアを開けてきたんだった。


「よかった。なんとかついたのか。」


早くベッドに戻ろうとドアノブに手をかけたときだった。誰かが部屋にいる気配を感じ取り、俺は思わず手をひっこめた。危ない、もう少しで別の部屋に入るところだった。こんな時間に俺以外に目が覚めている従業員がいるのかと、俺は少し空いたドアの隙間から部屋の中を覗き込んだ。このとき俺はすっかり忘れていたのだ。まっすぐに帰った方がいいと忠告した幻影さんの言葉を。


「"Strip"。」

「(纏に・・・道化方さん⁉)」


思わず体が硬直する。俺の視界からはベッドを背にした纏と、椅子に腰をかけた道化方さんの後姿がみえた。道化方さんから発せられた言葉はきっとコマンドなんだろう。強制的に発せられたその言葉に纏は従順に服を脱ぎ始めている。纏と呼んで止めに入りたかったが、昼間の言葉を思い出す。

纏くんと大和ちゃん。あの二人は絶対に手を出さないでね。ぼくのお気に入りなんだから。


「(お気に入りってそういうことかよ。)」

「"Crawl"」

「っ・・・。」


中から漏れ出るその声に思わず顔が熱くなった。これはきっとそういうことなんだろうな。こんなところで営みの覗きをしていることをみつかれば、なにをされるかわからない。昼間に釘を刺されたばかりだというのに。そう思いながらも、俺はその場から動くことができなかった。動いてくれ、動いてくれと念じたのが届いたのか、俺はその場から離れることができた。いや、正確にいえば、俺の腕を引っ張ってくれる人のお陰で立ち上がりその場から離れることができたのだ。見慣れた廊下まで引っ張られ、部屋へと押し込まれる。今度こそ俺の部屋だ。俺は部屋に押し込んだ人物をゆっくりみた。


「や、大和。」

「・・・みた?」


少し緊張感のある声に俺は背筋を伸ばしてしまった。さきほどの部屋の様子をそのまま彼女に伝えてもいいのか、だが大和は纏の妹で、兄があんな目に合っているのを知っているのかと思考がぐるぐる回る。俺が躊躇っているのをみた大和は困ったように、ため息を吐いた。


「いいの・・・兄さんがそういうことをされているって私、知っているから。」

「え、」

「私も・・・オーナーにされているから。」

「そ、そうだったのか・・・?」


なんて言葉しかだせなかった。お気に入りということはきっと二人は道化方さんとプレイをしたことがあるということだ。


「・・・びっくりしたでしょう。」

「かなり。」


気の利いた言葉なんていえるわけもなく、俺は感じたままいってしまった。大和は俺に座るように促してくれて、俺は促されるままベッドに腰かける。大和も隣へ腰を下ろした。


「兄さんから聞かされたことあると思うけど、ここの従業員はSubなの。厳密にいえば、異形と呼ばれる従業員たちがね。」

「あぁ。」

「人間のスタッフはなにかがあっても異形の脅威ではない。だけど異形同士は違う。脅威になりえる存在をオーナーは管理できるように強制的に私たちをSubにした。」

「・・・そんなことができるのか?」


もともとDomとSubは生まれ持った性質だったはず。そんな強制的にSubにするなんてこと、今まで聞いたことがなかった。


「あんな兄さんの姿をみてまで、嘘だと思う?」

「・・・ごめん。」


そうだ。纏は道化方さんに向かって少なからず敵意を持っていた。もし大和が言っていることが本当なら納得がつく。纏が道化方に反抗心を持つのも。自分自身と、そして妹があんな目に強制的にあわせられているとなれば、敵意を持つのは当たり前だ。


「私と兄さんは実の親に売られたわ。そこからは地獄のような日だった。オーナーは私たちを玩具としかみていないもの。ほかの従業員も気に入らなければコマンドで強制的に従わせて、トラウマを植え付ける。みんな、オーナーに怯えているのよ。」


弱弱しく話す大和に自分はなんて言葉をかけていいのか、わからなかった。いや、きっとどんな言葉も無力に終わってしまうだろう。大和は纏と同じで道化方に気に入られている。だが、そこにあるのは愛情なんて可愛いものではない。逃げたくても逃げられない。纏がここを監獄と呼んでいた理由がわかった気がする。


「私たちが普通に働いたって、オーナーからは逃げられない。現にもう借金はとうに残っていないはずだもの。」

「そんな。」

「私たちがここから逃げ出すのには、オーナーをその地位から落とすしかない。」


さきほどの弱弱しく話す彼女とは打って変わって、力強く彼女は言い切った。思わず釘付けになるほどだ。


「お願い、私と兄さんだけではDomにオーナーに逆らえない。DomでもSubでもない、あなたの協力が必要なの。オーナーを失脚させる手伝いをしてほしい。」


力強く握られた手は少しばかり震えていた。俺は何も言えなかった。きっと、これは関わってはいけない案件だ。かかわればきっと面倒なことになると直感が告げている。だが、ここまで聞いてしまっては逃げることなんてできない。きっと断れば俺はこの先も後悔をするだろう。沈黙を貫く俺を無視と受け取ったのか、彼女は立ち上がって部屋を出ていこうとする。何かいわきゃいけないと、俺は思わず引き留めるべく手を掴んでいた。


「俺、協力するよ。」

「・・・ほんとう?」

「うん。」


ここまで聞いておいて、やっぱりやめたなんて言えるわけがない。それに少なからず俺にここでの生き方を教えてくれた二人の為にどうにかしてあげたいという気持ちが勝った。俺が大和の手を離さずにいると、ふいに部屋のドアが開いた。俺はすぐにドアへと視線を向けるが、そこにいたのは纏だった。少し体は濡れていて気怠そうな彼はゆっくりと俺に近付きいい放つ。


「その言葉に後悔はないか。」


きっとドアの向こうで聞いていたのだろう。その言葉には無理はしなくていいという意味がこめられているような気がした。・・・だが俺の答えはとうに決まっていた。


「ない!」

「そうか・・・よろしく。蔵匿くん。」

「よろしくな。」


手を差し出されたので握手を交わそうと俺は手を出す。少し強めに握られた手は、逃げることは許されないといっているようだった。望むところだ。俺は落ちるところまで落ちているのだから。


「安心したよ。蔵匿くんが協力してくれて。」

「おぉ。」

「なにかあったらいつでもいってちょうだいね。」

「ありがとうな。」

「ところでいつまで大和ちゃんの腕を掴んでいるんだ。」


今すぐ離せ。距離を開けろと話す纏に、俺は思わず手をはなした。こればっかりは見逃してくれよ。

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