第3夜

見慣れない部屋の天井が視界に映り、ここはどこだと一瞬思考回路が停止をしたがあぁ俺はとんでもないところに来てしまったんだと体を起こす。頭がずきずきと鈍い痛みを発し、一体何をしていたのだろうかと痛む頭を手で押さえながら考えを張り巡らす。


「起きた?」

「わ!?や、大和。」


ノックもなしに開かれた扉の先にいたのは大和だった。バニースーツはとうに脱いだのか、ラフな格好をしている。俺が驚く様子に肩をすくめて笑い、ベッドサイドのスツールに腰かけて顔を覗き込まれる。


「気分はどう?」

「あんまりいいものではないかな。」

「それもそうね。蔵匿くん、あのあと倒れて大変だったから。」


お水どうぞと差し出されたグラスを素直に受け取る。あのあとというと、あの男が自分の舌を・・・あまり鮮明には思い出したくないな。あの男のことをなるべく考えない様にグラスに口を付け、渇いた喉を潤していく。冷たい水が心地良くて半分ほど飲み切るとグラスから口を離す。


「纏は?」

「すぐ戻ると思うけど。」

「ふーん。」

「・・・ここで働いていくこと、躊躇わないの?」


心配そうな声色で大和が俺にいってきた。確かにあんなことのあった、あのオーナーの元で働くのは少々・・・いや、かなり勇気がいるだろうな。いつもの俺なら回れ右をして帰っているところだ。だが、もうきっと俺は帰れないところまでいているのだろう。それはきっとあの友人とも言えない男にこうして紙に勝手に名前を書かれたあの日から。大和の問いに少し悩んでから口を開くと、彼女はただ「そう。」と呟いただけだった。


「え、それだけ?」

「正直、同情はしない。私はもうここの生活に慣れきってしまったから。」

「お、おう・・・。」


大和のきっぱりとした言い分にたじろぐ。彼女に同情された方がよかったというわけではないが、こうなんの迷いもなく言い切られてしまうと気が滅入ってしまうものだ。大和はまだほかに比べてまともな人と思っていたから、少し期待していただけ余計に残念だ。


「でも、同情はしないけど手助けはしてあげられる。」

「手助け・・・?」

「君がこの監獄から抜け出す手助けをってことだよ。」


ノックなしで入ってきた纏はそう言いのけた。お前ら兄妹は部屋をノックするという文化を覚えろ。だが、それよりも気になるのは彼たちのその強い意志の籠った言葉だ。


「カジノを抜け出すことなんてできるのか?」

「昨日みていただろう?道化方に負けた男の末路。」

「みてだ・・・けど。」

「ようは道化方に勝てばいい。」

「んな簡単にいうな・・・。」


オーナー・・・道化方さんに勝てばなんでも願いをかなえてもらえる。つまりこのカジノから、借金返済から逃げ出すことができる。なんてことはよくわかった。だが、あの悲惨な末路をみてしまったあとでは、そんな行動を起こす気さえなくなってしまう。それをしろというのかこの男は。


「いっておくが、あんなの日常茶飯事だぞ。」

「オーナーに勝負をしかけたスタッフはそこそこいるのよ。勝った人は誰一人といないけど。」

「無謀じゃん。」

「だが、絶対なんてことはない。」


纏の不敵な言い方に少し息をのむ。こうやって強がってはいるものの、実際問題かなりヤバい賭けに出ているのではないだろうかと冷や汗が背筋を垂れた。俺は真っ当な人生を送るはずだったのに、こんなところに巻き込まれてしまって被害者でしかない。これ以上平穏を乱すようなことは極力したくない!切実に!言葉に出してはいないが俺が考えていることを理解したのか、纏と大和は気が向いたら、いつでも聞いてくれとこの話は終わりになった。話は終わったが仕事は終わらない。今日もスーツに身を包んだ俺は、バニースーツを着ている纏と大和の後に続く。昨日はろくに仕事内容は聞けなかった。主に俺が途中でぶっ倒れたからというのが大きい。カジノコンシェルジュの仕事内容は、客にドリンクを提供し、カジノ内を巡回しトラブルが起きたときはスタッフを呼ぶというものらしい。ドリンクを運ぶ際、何か要望があれば応えられる範囲で応じるというもので、客を楽しませるために働くとのことだ。


「最初は私か兄さんにくっついてきてもらえればサポートするから。」

「が、がんばる。」


このような仕事は生まれて初めてだが、ようはウェイターのカジノ版と思えばいいかな。そう思えばなんとかやっていけそうだと俺がのんきに考えているときだった。


「あららあららー!ねぇねぇ纏くんに大和ちゃん、この子新人ちゃん?」

「わ!?」


肩に急激な重みが乗ったと思ったら頭上から声がする。誰かが俺の上に乗っているようだが顔があげられず、誰が何をしているのかが全く分からなかった。


「揚羽ちゃん。新人くんがつぶれているよ。」

「やだやだー私ったら!人間って弱い生き物だったものね。私たち蝶と同じようにね。」


纏の制止の声が入り、俺の上に乗っていたものが元気よく離れて行く。首を捻り声の人物を見上げるとそこには、色鮮やかな黄色の羽根を持った小柄な女性がそこに立っていた。大きな黒い瞳が俺を覗いている。


「ねぇねぇ大和ちゃん、わたしにも人間の新人くん紹介してして?」

「揚羽さん、彼は蔵匿くん。コンシェルジュとしてオーナーに雇われたみたい。蔵匿くん、彼女は揚羽さん。カジノのフロアパーソンよ。」

「揚羽・・・さん?」

「こんにちは~♪ わたし揚羽です♪ みんなが楽しく遊べるようにお手伝いしますっ! 何か困ったことがあったら、いつでも声をかけてね♪ 」


自己紹介をした彼女はにっこりと笑って俺にそういう。喋り方も行動もコミカルで明るい性格なようだ。とてもじゃないがこのような場所で働いているような人とは思えなかった。ふわりと彼女の周囲から匂い立つ甘い匂いは俺をくらくらさせるには十分な威力だった。


「あー気をつけて気をつけて!私の鱗粉、人間にはすこ~し毒だから。」

「え⁉」


慌てて口と鼻を押さえる。なんてことを笑顔でいうんだこの人は。慌てる俺をよそに纏は揚羽さんに落ち着くように窘めている。


「揚羽ちゃん、蔵匿くんをあまりからかっちゃだめだよ。」

「えへへえへへ!ごめんね。」

「まぁ蔵匿くんなら大丈夫か。」


随分俺というより、女性陣との扱いの差があるように感じるぞ。こっそりと大和が纏は少しフェミニストが入っているからと耳打ちをしてくれた。なるほどなと納得できてしまう。


「わたしねわたしね。こうみえてもフロアパーソンなの!」

「ふ、フロアパーソンってなんですか。」

「フロアパーソンっていうのは、主にゲームがきちんと進行がされているかチェックをする人のことをいう。ディーラーとしても優秀な方だよ。」

「ひらひらとねひらひらとね、飛んでテーブルのチェックをするよ♪」


つまりサポート役の人なのかな。ちらりと大和の方を見やれば頷いてくれたのでおそらくそうなのだろう。にしても、こんな人も道化方さんに借金があるのか・・・。まったくイメージが付かなくて少し驚いてしまう。裏の世界とは無縁そうな人なのに。失礼とは思ったがじろじろと揚羽さんをみてしまう。


「うふふうふふ。なぁに?わたしのこと気になるの?」

「え、あ、いや。その。」

「蔵匿くん、あまり女性をじろじろとみるの失礼だぞ。」


纏の咎めるような言葉に思わず口を紡いだ。失礼なことは重々承知である。だが、彼女があまりにもこの場と不釣り合いで少し面をくらってしまった。揚羽さんは俺の返答に気を悪くした様子はなく、むしろにこにこと笑顔を浮かべていた。


「いいよいいよ!今日はオーナーの機嫌もよかったからね!コマンドも強制にはされなかったからわたし元気!」


満面の笑みで揚羽さんがそういうので思わず肩の力が抜ける。よかったと思いつつも、この人もSubなんだとこの言葉で実感をした。


「揚羽さん、もし私たちの手が塞がっていて蔵匿くんが困っているとき彼を助けてほしいの。」

「いいよいいよ~!蔵匿くんは人間だけど、いい子っぽいから揚羽助けてあげる!」


人懐っこそうな笑みでそういった彼女をみて大和は安心したように息を吐いた。俺もなにかあったときの保証は多いことに越したことはないと少しばかり安心する。そんな俺の心情を察したのか揚羽さんが肩を組んできた。思わず面食らう。その反応を見てか彼女が悪戯に笑い、ばいばいとこの場を去っていった。彼女の背中をみつめながらぼそっと纏が呟いた。


「揚羽ちゃんはかつて人間に飼われていたんだ。」

「飼われて・・・いた?」

「人身売買に近いかな。」

「な⁉犯罪じゃ、」

「表の世界であればな。」

「彼女を飼っていた人間が道化方に借金をしていて、彼女はその担保としてここに引き取られたのよ。」


纏と大和はそれ以上何も答えなくなった。嫌な事を思い出させてしまったと焦るが、二人は困ったようにここではそういうことで溢れていると寂しそうにいった。人間に無理やり飼われていたのなら、人間のことを嫌いになりそうなものなのに、それなのに彼女が俺を助けてくれるというのだろうか。そもそもそんな彼女になぜ俺を助けてあげてと大和はいったのだろう。俺が内心首を傾げているとぽんと肩を叩かれて思わず身を強張らせた。


「内緒話とは感心。ここでは情報こそが命だからね。」


耳元でささやかれるようにその言葉を聞かされた俺の背筋に寒気が走る。俺がその声にばッと振り返るとそこには長い耳に安全ピンが刺さった兎の男だった。鮮やかな紫色の瞳が俺をじっと見つめると、にっこりと口角を上げる。その笑みにぞくりと背筋を這うような冷たさを感じた。そんな俺を庇うかのように大和が手を引いて身を抱き寄せ、俺と兎男の間に纏が割って入った。


「狡兎、新人いびりはよくないぞ。」

「いびりなんてそんな。いっただろう、感心すると。聞いていた話、この世界とは無縁の男がやってきたと聞いていたからさ。」


纏に狡兎と呼ばれた男は一歩後ろへ下がり、大げさに頭を下げた。


「ようこそ哀れな人間くん。私こそが狡兎、ゲームの運命を転がす者だ。ここではディーラーとして身を置いているよ。一瞬の隙間を見逃すことなく、勝者と敗者を決める。人間くんもゲームをしたくなったらいつでも声をかけておいで。」


そういうと再び笑顔を浮かべる。どうやらとても上機嫌のようだ。道化方と同じく人を小ばかにする態度ではあるが、道化方とどこか違うような雰囲気を感じる。俺は小さく蔵匿ですとしか答えることができなかった。


「それで、揚羽とはどんな内緒話をしていたんだい?私も聞かせてほしいなぁ。同じ仲間として。」

「内緒話ってほどじゃない。何かあったら蔵匿くんを助けてやってほしいと頼んだだけだ。」

「ふ~ん。」


狡兎は纏の言葉を聞くと途端に興味がなくなったように話を切り上げた。その態度があまりにも露骨だったがすぐに狡兎はにっこりと笑いながら口を開いた。


「じゃあ、私もなにかあったら助けてあげるよ。」

「・・・どういう風の吹き回しだ?」

「なあに。ただの暇つぶしだよ。じゃあね人間くん、せいぜい長生きしようじゃないか。」


そういって狡兎は纏をわざわざ押しのけて俺と握手をしてから去って行った。どんどんとにぎやかになっていくフロアで、俺はいろんなことが一度に起こりすぎて頭がパンクしそうになっていた。キャパオーバーを迎えている俺に気づいた二人はフロアから一時退散し、従業員専用の通路へと引っ張っていった。


「蔵匿くん、大丈夫?」

「あまり・・・?」

「少し顔色がよくないな。揚羽さんの鱗粉が原因か・・・。大和ちゃん水を頼んでもいいかい?」

「わかったわ。」

「蔵匿くん、少しここで待っていてくれ。できれば顔は伏せたまま。」

「すぐ戻るわね。」


従業員専用の通路の壁にもたれかかるように腰を下ろした俺を見届けて、纏と大和はその場を離れた。

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