第1夜

人生なんて何が起きるか分からない。なんて無責任な言葉だと今は思う。人生できっと二度と乗ることのないリムジンに強制的に押し込まれた俺の隣でピエロ男はのんきに鼻歌を歌っていた。


「(・・・はぁ、俺はなんでここにいるんだろ。)」

「友だちは選ぶべきだったねぇ~。」


俺の今の心境を読み取ったのかピエロ男は笑いながらそう言った。シャンパンはいかがかな?とグラスを傾けられたが、とてもじゃないが飲む気になれないのでそっと押し返して遠慮の姿勢をみせた。無理強いはされないが、半ば拉致してきたこの男に無理強いをしないというのも滑稽だ。


「・・・知っているか、人間はトラブルってものが嫌いなんだ。」

「?勿論、知っているよ。僕は楽しいトラブルだ~いすき!サプライズみたいだからね。」


それに僕は人間じゃないものと笑うピエロにますます思考なんて読めなかった。異形なんて身近にいなかったが、みんなこんな感じに癖が強いのだろうか。


「気に入ってくれるかな~。僕が作り上げた楽園。」


至極楽しそうに笑うピエロに俺はため息をついて車窓から外を眺めた。車内から見える風景は暗闇を照らすネオンの光ばかりで落ち着かない。怪しい光に目がチカチカしてきて思わず細めた。きっと真っ当なサラリーマンをやっていたときはこんなん場所に来るとは思っていなかっただろうに。しばらく走っていたかと思えば、車が止まりとうとう来てしまったのかと思った。ピエロ男がリムジンから降りるのに続くようにリムジンを降りると、俺の目の前には堅牢そうな白い壁が立ちはだかっていた。


「は、」


なんだ・・・ここ。と口に出す前にピエロ男がそれを口にする。


「ようこそ!僕が経営するエデンへ‼」


これがカジノ・・・と圧倒されるが、高い壁に囲まれていて楽園というよりは監獄の様だと思ったのが正直なところだった。笑うピエロ男は両手を広げながらただいまといいながらカジノへ入っていく。入口に立っていた男に睨まれながら後をついていくと、中にはスタッフもお客さんも誰もいなかった。ただ目の前には地下へ続く階段があった。


「さ、いこう。」

「どこに・・・、」


ピエロ男に促されるまま地下に降りていく。警戒も何もなく、なんなら地下に降りていることを忘れてしまうほど案内人のピエロ男は異質だった。


「ここだよ。」


ピエロ男が指をさす先にあったのは地下とは思えないくらい大きな扉だった。扉には大きくWELCOMEと書かれているだけだった。ピエロ男は俺の手を引きながらぐいぐいと扉の中に連れ込んでいった。抵抗したいものの、今さら抵抗をしたところでどうにかなるというわけではない。仕方ないと割り切りピエロ男が連れていかれるがまま入室していく。中に入ってみると、外のネオンに負けないぐらいきらびやかな光が目を覆った。思わず目を細めればピエロ男に手を引かれるまま奥へ奥へと進んでいく。

上の階とは比べ物にならないぐらいの賑わいに目を見張ってしまう。ここがカジノなのか。


「オーナー、お帰りなさいませ。」

「蛇腹、これ新人の蔵匿くんね。」


どんと前に押し出されてよろけそうになるが、腹部に覆われた圧迫感でその場に足をついた。ぐるりと腹部に巻かれた黒い鱗が目につき思わず身を強張らせる。爬虫類特有の肌だ。


「だめですよ、オーナー。人間は脆いのですから。この間のことをお忘れですか?」


そういいながらも蛇腹と呼ばれた男の伸びた尻尾が変わらず腹部に巻かれたままで心なしかだんだんと巻き付く力が強くなっている。


「そのときはそのときだね。あ、ねぇねぇ纏くんは。」

「お呼びしておきます。」

「じゃあ僕の部屋に。」


おいで蔵匿くんと呼ばれ、尻尾から解放された俺はピエロ男についていく。一瞬、蛇腹と呼ばれた男を盗み見してみると切れ長な目と視線が合い、舌を出された。蛇だ・・・と思わず出た独り言に蛇腹はにっこりと笑った。まるで獲物を選定するかのような目だった。


「ここが僕の部屋だよ~。」


ピエロ男に手を引かれながら俺は部屋に通される。カジノというよりはバーのような内装だ。部屋にある窓からはカジノ内を見渡される。奥の大きなソファにピエロ男は座ると隣をぽんぽんと叩いた。隣に座れと促されるまま隣に座るとピエロ男はにこにこと笑いながらいう。


「蔵匿くんはもう少し他人を疑って生きたほうがいいかもね!」


すぐここだと呑まれそうだなぁといわれ、少しばかり身を固くする。すぐにでも逃げることが出来るようにと神経を研ぎ澄ませる。そんな俺の様子にピエロ男は笑った。


「リラ~ックス!僕はなにもしないよ!だって蔵匿くんはタイプじゃないからね。」

「(ありがたいとだけ思っておこう。)」


こんな奴にタイプですといわれるのも厄介だと考えていると、部屋のドアが開かれた。


「いらっしゃい、纏くん。」


ピエロ男の言葉にそちらを見ると、そこには頭がダーツの形をした男性がいた。バニースーツを着ている纏と呼ばれた男がまっすぐ俺たちへと向かってきた。近くに来られてよりわかった。かなりの長身に加えて、筋肉質な体に頭に物体が乗っていると迫力がある。表情がわからないのもあり、正直威圧感がすごい。


「異形頭は初めてみたかい?」


ピエロ男に尋ねられて素直に頷く。話には聞いていたが、こうして話す機会には恵まれなかった。異形には様々な種族が存在する。首から下は人間そのものなのに、首から上が人の頭部ではないものたちを総じて異形頭と呼ぶと聞いていたが、本当にいたのだなとさえ思う。まだ先ほどの蛇腹さんのような蛇男のほうがよく見かけるといってもいいぐらいだ。


「ダ~メじゃないか、纏くん。そんな黙って見下ろしていると、蔵匿くんが怯えちゃうよ~。"Knell"だよ?」

「・・・。」

「(にーる?)」


ピエロ男が投げかけた言葉に反応したのか、纏と呼ばれているダーツの男はその場に跪いた。ソファに座っている俺たちより視線が低くなったのもあり、先ほどのような威圧感は消えていた。


「これで満足か?」


纏の言葉にピエロ男はにっこりと笑うと、良くできました~といって手をぱちんと叩いた。すると纏の肩から力が抜けていくようだった。


「纏くん、この子が新人の蔵匿くんだよ。この世界のこと、な~んにも知らないみたいだから教えてあげてね。」

「俺が?」

「纏くんと大和ちゃんの二人で教えてあげてね。二人いればお人よしの蔵匿も安心できるでしょ。」

「・・・わかった。」

「じゃあ蔵匿くん、お仕事頑張ってね~。」

「はぁ。」


なんだか勝手に話が進められていたが、俺はとにかくこの纏っていう人・・・?についていけばいいのだろうか。ダーツの男が立ち上がろうとしたのだが、それよりも前にピエロ男が彼の肩に手をかけた。


「あ、コマンドちゃんとできたからご褒美あげないとね!」

「?!」


ぐっとダーツの男の襟を掴んで引き寄せたかと思えば、ピエロ男は仮面をずらしてその露になった彼の肌に舌を這わせた。ぎょっとしている俺をよそに、じゅっと吸われる音が生々しく響き、顔が離れたころには鬱血痕ができていた。


「おっけー!もう行っていいよ~!ばいば~い。」


突然の行動に困惑していると、纏さんが勢いよく立ち上がり、俺の腕を引っ張り部屋から出ていく。なんなんだ、なんだったんだ?!と軽くパニックを起こす。俺は一体なにを見せられたというんだ。先ほどピエロ男と歩いたカジノ内ではなく、おそらく従業員専用の通路まで引っ張られると廊下に放り出された。今度こそ床と対面した俺はぶつけた鼻を抑えながら文句の一ついってやりたい気持ちに駆られる。


「おい。」

「・・・なんでしょう。」


もちろんそんな気持ちに駆られただけで実際にはいえなかった。なんなんだよ、コイツ。と思っていると纏は面倒くさそうにしながら俺を見下してくる。


「お前、なにを知っている。」

「な、なにをとは。」

「人間と異形の立場。DomとSubの関係。カジノの仕事内容。」

「あまり・・・。」

「・・・。」


あ、わかったぞ。表情はないが絶対これは呆れている。なんとなく空気に伝わってきた。気まずい、気まずいぞ。なんでずっと黙り込んでいるのか。こういうときどうすればいいかなんて俺は知らないぞ。


「あー蔵匿くんだっけ、君。」

「そ、うです。」

「俺、矢嶋纏。纏でいいよ。」


よろしくと差し出された手に手を重ねると、ぐっと手を引かれて立ち上がらされた。あれ、もしかしてそんなに悪くない人かもしれない。比べる対象が、あのピエロ男なのであれ以上にとんでもない人がきたらそれはそれで嫌だ。


「ようこそ新人。カジノエデンへ。」


歓迎するよ、という言葉に俺はこくりと頷くことしかできなかった。矢嶋纏という男は少々ぶっきらぼうなところはあるが、面倒見のよい奴なのだろう。俺の返答に満足したのか纏はついてこいと先に歩く。


「んで、蔵匿くんはなにしたの。」

「なにとは。」

「道化方になにかやらかしたのだろ。なにしたの。」

「道化方?」

「ピエロ野郎。」


あぁ、あのピエロ男は道化方というのか。そもそも一応の雇い主のはずなのに名前を聞いていなかったなんて。いや聞いたかもしれないけどそれ以上にインパクトのあることがありすぎて忘れていただけなのかもしれない。


「まともそうだけど借金でもしているのか。」

「俺がというよりは、」

「連帯保証人か、ご愁傷様。」

「(軽いな・・・。)そもそもなんで俺が道化方、さんに、やらかしたと思ったか。」

「ここのスタッフはみんななにかしら道化方に借りがあるから。」


俺も含めてなと小さく呟かれた言葉は、随分と弱弱しく聞こえた。道化方という存在はどうやら相当のやり手のようだ。とんでもないところから金を借りていたんだなあいつ。


「ま、いいや。ついてきな、新人。」


纏に案内されてある部屋に案内された。簡易のベッドに机にクローゼットがある。おもむろに纏はクローゼットを開けると、中に入っていたスーツを俺に向かって投げつけた。


「制服。これ着てホールに出るといい。」

「ありがとう、ございます。」


渡されたスーツを受取り、纏のほうを見ると彼はまた椅子に座っていた。あ、よかった。


「(纏みたくバニースーツとかじゃなくてよかった。)」


流石にまだそれを着る勇気はない。さっさと着替えるとしよう。あまり長く待たせては悪いし。スーツのボタンを留めていると纏が口を開いた。


「ここで働く上で覚えておくべきルールを教える。着替えながらでいいから覚えろ。」


纏はスーツのポケットからメモとペンを取り出す。それを器用にも俺に見やすいように折り畳むと手渡してくれた。


「客の素性を探るな。ここでは地上のルールは通用しない。」

「というと?」

「地上では一番偉いのは人間だろ。力なき人間が異形に排除されないために決められた法律。」

「あぁ異業種平和協定。」

「だがこの地下カジノ…エデンでは法律なんてものは通用しない。強いていうなら道化方がルールだ。」

「オーナーが・・・。」

「そうだ。ここでのルールはすべて道化方、オーナーが決める。それが地上でどんなに法に触れることでもだ。」


思わずごくりと生唾を飲み込む。纏は机に肘をついて、その手の上に顎を乗せると俺を見てきた。


「ここに来る客は各地の用人からゴロツキまで色々いる。みんな自分の身分を隠している。」

「迂闊に探りを入れた場合は、」

「・・・。」


ふっと笑われたような気がした。な、なんなんだ。探りたいわけではないけど、はぐらかされると余計知りたくなってしまうのが人間の性だ。だがわが身が可愛いので追及はしない。素性を探るなといわれたばかりだし。


「次いで、DomとSubの関係。」

「は、はい!」

「ここのスタッフは基本Subの性質を持っている。俺も含めてだな。例外もいるがそれは追々・・・。君はNormalっぽいけど。」

「ドのつくNormalだと思ってください。」

「ん。ちなみにオーナーはDom。さっきの、・・・みたらわかるだろう。」


さっきのとなると道化方さんがニールといっていたあれか。苦虫を潰さんとする声色になんだか少し同情をする。DomとSubも話も噂話でしか聞いていなかったが、現実にいるんだ。だが、俺が噂で聞いていたような関係だとすると、なぜこんなにも苦々しい声をしているのだろうか。


「SubはDomに命令されたり支配されるのが心地良いと感じ、満たされる。DomはSubを支配したい、褒めたい、守りたい欲求がある。」

「(俺が噂で聞いていたのと同じ。)」

「だがすべてのSubが支配されたいとは思っていない。つまりなにがいいたいかわかるか?」

「・・・もう少しわかりやすくお願いします。」

「俺みたいに道化方を毛嫌っているのもいるってことだ。」

「(なるほど。つまり道化方さんがいっていたご褒美は、纏にとっては罰みたいなものなのか。)」

「君はNormalだから道化方に今すぐどうこうされるというのはなさそうだな。羨ましいね。」


なんだかとげとげしい言葉に俺は、どうも。としかいえなかった。よっぽどいやなのだろうな、道化方さんのこと。気をつけるに越したことはないといわれ、絶対安全じゃないのか?と疑問が浮かぶ。いやだ、いやだ。


「あともう一つ大事なことあるからちゃんと覚えておくこと。」

「大事なこと。」

「俺の妹もここで働いているんだ。大和っていう子。」

「大和さん。」

「手を出さないこと。」

「へ?」

「もし君が大和に手を出したら、道化方が君に手を下す前に、俺がお前を始末する。」


親指で首を横に切る仕草を見せられて俺は呆気に取られてしまう。妹に手を出すなという言葉は、家族思いの兄の言葉では普通なのだろうが、いかんせん気迫が凄まじく、少し度を超えているような言い草だ。


「返事。」

「え、」

「矢嶋大和には手を出さないことを神に誓え。」


前半二個の注意事項を紹介したときより、真剣な声色に、あ、やっぱりここにいる異形は変な奴らばかりなんだと気づいてしまった。誓いますといわないと、きっと俺は借金を返済する前に消されてしまうだろう。わが身が大事なので大人しく誓わせていただきます。

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