第2夜

シャツとスラックスに身を包んだ俺は続いて纏にホールへと案内された。一見するときらびやかな世界にみえるが、これが欲望渦巻くカジノという実態は変わらない。客の服装は絢爛豪華なもので、煌びやかな装飾や大きな宝石をつけたものもいれば、先ほど纏がいっていたようにきっとチンピラやゴロツキというようなものたちまでいる。各テーブルのディーラーとのやり取りに気を取られていると、纏に名前を呼ばれた。


「じろじろみるな、失礼だ。」


そういって纏が俺の腕をつかんでいた。詮索はしないというルールを思い出し、頷く俺に纏はそのまま前を歩いていく。纏は勝手知ったるといった様子でずんずんと進んでいく。客の間をすり抜け、時に客から絡まれるのをかわしながら、バーカウンターの前にやってきた。


「大和ちゃん。」


纏がバーカウンター内に声をかけると、しゃがんで作業をしていたのか大和と呼ばれた人物が立ち上がった。


「呼んだ?」

「(あぁ、妹さん。)」


纏と同じようにダーツの頭をしている女性だった。女性らしい丸みを帯びていて、身に纏っているバニーガールの恰好がとても似合っている。なんて感想をこぼしたらきっと隣にいる纏に締め上げられそうなので心の中だけに留めておこう。


「新人の蔵匿くん。道化方の命令で俺たちが教育係になった。」

「あらそう。初めましてようこそエデンへ。矢嶋大和よ。」

「初めまして、蔵匿です。」


簡単な自己紹介と一緒に差し出された手を握り返す。これだけは構わないだろうと思いつつも、隣からそれとなく醸し出される威圧感に背中から汗が噴き出してくる。


「愚兄がなにか失礼なこといわなかったかしら。」

「失礼だな、大和ちゃん。俺はいつでも優しいだろう?」

「(どの口が。)」


口なんてパーツは彼らにはないが、そう思わずにはいられなかった。纏はよほど大和さんを大切に思っているらしい。あんなオーナーの下で働いているのだからやや過保護にもなるのはしょうがないのかもしれない。


「蔵匿くんはどこまで聞いた?仕事内容とか。」

「ここのことを少し聞いただけで、まだ仕事内容とかは聞いていないです。」

「そう。私と纏はここでカジノコンシェルジュとして働いているわ。蔵匿くんもそうなると思う。」

「カジノコンシェルジュ?」

「ゲームの進行の補助、お客様のご案内、お客様に飲み物の提供、VIPルームでの接客とか。」

「結構大仕事ですね。」

「新人は大体先輩に付けられていろんなことを勉強するから、私か纏が一緒になることが多いと思う。だから困ったことがあれば聞いてね。」


ここにきてようやくまともな人に会えた。心の安寧は大和のおかげで保つことができるだろう。だが、あんまり近づきすぎると隣でじっと俺を見下ろしている纏が黙っていないだろうから、甘えすぎずほどほどにてしおこうと心に固く誓った。


「オーナー以外に誰かと会った?」

「えっと、」


先ほどあった蛇の見た目をした男性の話をしようとしたときだった。突然、カジノ内の照明が消えて辺りが暗闇に包まれた。停電かと驚く俺に対して纏と大和の二人はいやに落ち着ていた。


「ちょうどいい。」

「な、なにが⁉」

「蔵匿くん、中央ステージをよく見ておいて。」


後ろから頬を掴まれ、ぐりんと無理やり顔の方向を変えられた。俺が悲鳴を上げるのと、照明がついたのは同時だった。


「Good eveining friends!」


中央ステージに照明が集められている。そこに立っていたのはオーナーの道化方だった。高らかに声を上げた道化方が、マイクを手に取りカジノを見回した。


「お客さま方にご挨拶申し上げます。本日もご来店いただき誠にありがとうございます。わたくし、このエデンの支配人であり、お客さま方を楽しませる道化方でございます。どうぞ最後まで楽しんでくださいませ。」


そういって頭を下げる道化方に歓声と拍手が響き渡る。大きな手振り身振りでみんなの視線を集めている姿はピエロそのものだ。


「それでは私の忠実な仲間たちをご紹介しましょう。」


パチンッと指を鳴らすと同時に再びカジノ内の照明が薄暗くなった。スポットライトの光が一点に注がれる。そこには一人の男性が立っていた。さっきの蛇男だ。


「皆さん、初めまして。カジノエデンのカジノマネージャーを務めさせていただいております、蛇腹と申します。皆さまにひとときの夢を楽しんでいただけるよう心掛けております。どんなご要望でも遠慮無く申し付けください。この場所でのできごとが、皆さまにとって忘れられない思い出となりますように。それでは、どうぞお楽しみくださいませ。」


蛇男は大きく頭を下げながら、その体を自在に操っている。人間の自分でもあそこまで手足を自由に動かせるだろうか。客たちもスポットライトに照らされた黒い鱗に見惚れて、拍手を送っていた。俺もつられて拍手をしてしまう。


「蛇腹は実質ここのナンバー2だから油断しないほうがいいぞ。」

「そうなのか?」

「蛇腹さんはオーナーの崇拝者気質なところがあるから。」


オーナーがいないときの責任者っていうところと話す大和に、いつの間にか蛇腹ステージから静かに下がっていく。同時にざわざわとカジノ内が騒がしくなってきた。じぃとステージの上をみていると、突然シルエットが浮かび上がり、人が立っていた。


「な、なんだ。」

「初めからいたよ、十目さんは。」


マジックかと驚く俺をよそに、大和は冷静だ。初めからステージに立っていたといっても、今まで姿形はみえなかったのにどこにいたというのだろう。俺はもう一度ステージ上をみた。顔に目がつついていて、白髪の男性がそこにいた。光に当たってよくみえなかったが、背中に透明な羽が生えているようだ。


「ごきげんよう、皆様。テーブルゲームマネージャーの十目です。このカジノのテーブルでは、皆様が心ゆくまでお楽しみいただけるよう、心を込めてお手伝いさせていただきます。皆様の一日が、最高のエンターテイメントとなるよう願っております。どうぞお楽しみくださいませ。」


喋り始めたときにちらっとみえたが、顔だけではない、あの男の首や手にも目がついている。何個ついているんだ・・・。


「十目さんは名前の通り、目が十個ついているわよ。」

「あの目ですべてのテーブルのゲームの進行をみているんだ。」

「そんな化け物染みた芸当ができるのかよ。」

「できるんだな、これが。」


纏はさも当たり前のように話すが、こんなのをみせられたら自分の常識なんてとっくに壊されている。十目と名乗った男はぐるりと周りを見回してから大きく頭を下げてステージから降りて行った。あの目にみられると、なぜか寒気がした。心の奥底まで見透かされるような気分だ。


「さぁ、いよいよラストだ。」

「まだいらっしゃるんですか・・・。」

「オーナーが紹介するのは3トップだけ。蔵匿くんがまだ知っておいたほうがいいスタッフは他にもいるけど追々紹介するわ。」


そんなことをいわれている間に、辺りが手拍子で包まれていた。なんだこの手拍子は。すると大きな雄叫びが聞こえてきて思わず耳を塞ぐ。しかしカジノ内の盛り上がりは収まることを知らない。


「出やがったな。」


纏が低い声でそういって、中央のステージに目をやった。真っ黒な毛並みを蓄えた狼のような井出立ちの男がそこに君臨していた。


「よく来たな。私が豺狼、ここのピットボスだ。この場所の番犬として、何か問題があったら私にいえ。だが、私の目の前で騙すようなことをすれば後悔するぞ。それでは、お前たちも楽しめ。」


地ならしのような声が響き、カジノ内のボルテージはMaxにまであがっているようだった。だが、


「ず、随分と乱暴な。」

「豺狼さんはいわゆる私たちの直属の上司と思っていいわよ。」

「え、あんな人が?」

「言っただろ、ここにはいろんな奴がいる。」


纏がそういうと、ステージ上にまた道化方、蛇腹、十目、豺狼が集まり客人に向かって手を振っている。そのときだった。

なにか、とんがったものが道化方に飛んでくるのが見えた。そのとんがったものが道化方の頭に刺さる前に豺狼がそれを爪ではじき返して床に転がった。そこでようやくカジノ内の客が静まり返る。状況把握に数秒かかった。


「な、なんだ!?」

「今日はいろいろ起こるわね。まるで蔵匿くんを歓迎しているみたいに。」

「そうだな。新人、まだ目を逸らすのには早いみたいだぞ。」


ここからがカジノエデンの本質だと纏が呟くと同時に、豺狼が唸り声をあげた。


「誰だ、こんなつまらないものでオーナーを仕留められるとでも思った奴は!」

「6時の方向。距離からして彼の仕業でしょう。」


叫ぶ豺狼とは対照的に十目は冷静にある男を指さした。すると素早く蛇腹がその男を締めあげて拘束をする。その男は俺と似たような恰好をした人間だった。


「くそっ! くそぉっ!」

「あぁ忌々しい。人間風情がオーナー様に何をしでかそうとしているのか。」


蛇腹に押さえつけられた男は手足をばたつかせながら、ひどく暴れている。だがその抵抗虚しく、男はずるずると引きずられていき、道化方さんの目の前に差し出された。さきほど自分が狙われたはずの道化方は、気にしないといわんばかりに男に近づき、話しかけていた。


「ねぇねぇねぇ!あ~んなナイフをぼくに投げつけてど~したの?ナイフ投げでもしたかった?」

「帰せ!俺を、家に帰してくれぇ!」

「ん~。でも君、まだここの借金返し終わっていないからなぁ。」


帰してあげられないよ~と道化方さんはおどけたように言い放った。纏がさきほどいっていた言葉を思い出す。ここのスタッフはみんななにかしら道化方に借りがあるから。あの男も例外ではなく、道化方さんに借金があるのだろう。


「それに君はぼくとの勝負に負けただろう~?それで返してくれなんて可笑しな話だと思わないかい。」

「ひっ・・・くるな、くるな!」

「勝負って。」

「あの人、先週オーナーにカジノ勝負を仕掛けた人なの。」

「一発逆転をかけた大勝負。ここのスタッフがオーナーに一度だけ仕掛けることができる。勝てばなんでも願いを叶えてくれる。それが借金をチャラにしてくれって願いでもだ。」

「え、じゃあオーナーに勝てば。」

「勝てれば、の話。」


纏と大和は怯える男に対し哀れんでいるようだった。オーナーとの勝負に勝てばここから抜け出せる。つまり、勝てないときは。


「そのときは一生ここで過ごすことになる。借金を返し終えた後もきっと。」

「オーナーの呪縛から抜け出せなくなる。」

「そんな勝負を仕掛ける人なんているのか・・・?」


あぁ、でも現にいるのか。今目の前にいるこの男が。俺はステージ上で暴れる男を見ながら考えた。一生出られなくなる可能性を持ってまで勝負をする意味はあるのか、俺にはわからない。だが、あの人が今そこに立っているということは、そういうことなのだろう。だが、あの人は負けてしまった。


「いやだいやだいやだいやだいやだぁぁぁ!!」


そのときだった。ステージで暴れていた男が喚き出し、大きく口を開いたかと思ったらそのまま舌を噛み切った。思わず目を覆った。今まで大暴れしていた男の舌からだらだらと血が流れ出す。その様子を見た道化方が先ほどまでのおどけっぷりはどこへいったのやら、冷めた表情で男を眺めていた。しかし、すぐに


「皆々様!この男はぼくとの人生の賭けにすら負けてしまったようです!ハハハハハッ!さぁ皆々様、ぼくとこの男のショーはいかがでしたでしょうか!」


まるで踊っているかのような声音でそう叫ぶ道化方オーナーにカジノ内は再び拍手と歓声で溢れかえった。人が死んだというのに、この異様な光景はなんだ。カジノ内の気温が上がっていくのに対し、俺の指先はどんどん冷えていくように感じた。


「これがカジノエデンの本性よ。」

「ようこそ新人君、エデンという名の監獄へ。」


纏と大和の声が聞こえた気がしたが、俺は目の前の光景を処理するのに精一杯でそれどころではなかった。

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