第十章 ワキガ少女が異世界へ転生したところ、皆ワキガフェチだったため、少女は異世界を征服することに決めました

 「そっちに行ったぞ!」


 「逃がすな! 追え!」


 「槍を持て!」


 宮崎航平は、背後から追ってくるリーニア国の治安維持隊から必死に逃げていた。


 「くそ!」


 航平は路地裏へ入り、全力で駆けながら悪態をつく。


 どうしてこんなことに。自分はただこの国で平穏に過ごしていただけだったはず。


 異世界へ転生し、リーニア国に辿り着いてから航平は、頼る者がいない厳しい環境に身を置いていた。


 航平は、リーニアの首都であるビルニの街にある食堂で、何とか職を得て働き始めた。実家が定食屋を営んでいた関係で、料理が得意であったことと、店長に頭を下げた結果によるものだ。


 外国よりも異質な世界で、苦心して暮らす日々。犯罪も行わず、波風立てないよう心掛けた。


 四ヶ月ほどが経過し、ようやく生活が安定してきた頃。思いもよらない出来事が身に降りかかった。


 突如として治安維持部隊の兵士たちが航平の働く食堂に押しかけ、逮捕状を突きつけたのだ。


 品行方正な生活を送ってきたにも関わらず、身に覚えのない嫌疑に、混乱をきたす航平。意味もわからないまま、拘束されそうになった時、航平は隙を見て逃げ出したのだ。


 治安維持の兵たちは航平を追ってきた。なぜか、異様なほど鬼気迫る勢いだった。


 航平は必死に逃げ、そして路地裏へ入ったのだ。


 背後を気にしながら、航平は路地裏をしばらく走り続けた。いくつか別れ道を通過し、入り組んだ狭い道を死に物狂いで駆け抜ける。


 そのお陰か、気がつくと、背後から追ってくる足音が消えていた。立ち止まり、過呼吸かと思うほど荒くなった息を整えながら、来た道を振り返る。


 静まり返った路地裏が、目線の先に続いていた。兵士たちは、追ってきていないようだった。


 徒競走の自己ベストを更新しそうなほど、限界を超えて走ったのだ。撒いてしまうのは当然かもしれない。


 それでも航平は荒い息のまま、路地裏を歩いた。油断したら、すぐにまた発見されてしまう。その不安があった。


 息が落ち着き始めた頃。航平は路地裏から表通りへと出る道へ差し掛かった。馬車の音や、人々が立てる喧騒が聞こえてくる。


 航平は雑踏を前に、しばし悩む。このまま人混みに紛れた方がいいか。それとも路地裏を進んだ方がいいか。


 逡巡した後、航平は前者を選択した。治安維持隊は航平が路地裏へ侵入したことを知っている。かく乱のためにも、人混みに紛れた方が懸命かもしれない。


 航平は、表通りに向かって足を進めた。


 歩きながら、航平の胸中へ不安が去来してくる。


 仮にこのまま逃げおおせたとして、その後は? 治安維持隊が自分を追っている以上、もうこの国で生きていくことができないのではないのか。そればかりか、指名手配でもされれば、他の国でも同じではないのか。


 このままでは、破滅は必至だ。ようやく生活が安定してきた矢先なのに。


 どうしてこんな――。


 「くそ!」


 航平は再び悪態をついた。唐突に降りかかった身に覚えのない容疑。事故に遭い、異世界へと転生するはめになった己の運命。あまりにも不条理だと思う。


 その時だった。


 「動かないで」


 突如として、背後から声がかかった。女の声だ。


 航平は、ぎょっとして、声の主の方へ振り向こうとする。だが、押し止めるようにして、何かが背中に当たった。槍の先端のような固くて尖った物体だ。


 おそらく、武器の類だろう。それが背に突きつけられているのだ。いわば、ホールドアップの状態なのだと航平は悟る。


 その場で硬直している航平に対し、背後にいる女は指示を下した。


 「ゆっくりとこちらを向きなさい」


 航平は言われるまま、ゆっくりと振り返る。


 航平の目に映ったのは、どこかの民族衣装のような物を身に纏った若い女だった。のっぺりとした地味な顔。赤い宝石がワンポイントに施されたチョーカーのような物を首に巻いている。


 航平は、すぐに目の前の女の正体に気づく。少し前まで、同じ部屋で机を並べていた人間なのだから。


 「井谷和枝さん!?」


 航平は、驚愕の声を上げた。異世界へ転生し、初めて出会ったクラスメイト。だが……。


 航平の視線は、和枝の手元に吸い寄せられた。


 彼女は、手にボウガンのようなものを持ち、それをこちらへ向けていた。さっき、背中に当てられていたのはこれだろう。


 どうやら彼女は、味方ではないようだ。しかし、一体、和枝はどこから現れたのか。確実に追っ手はいなかった。彼女はまるで、煙のように出現したのだ。瞬間移動か、透明人間のように。


 和枝はこちらを見据えたまま、はっきりとした口調で言う。


 「同盟国条約に基づき宮崎航平、あなたを拘束します」


 航平が唖然としたままでいると、和枝の背後から、ドタドタと、兵士たちが駆けてくる足音が聞こえてきた。




 「ご苦労様。井谷さん」


 リーニア国首都ビルニの王宮にある謁見の間にて、豪華な椅子に座っていた晴香は、兵士らと共に入ってきた和枝へ労いの言葉をかけた。


 和枝は黙って頭を下げる。


 「それで、例の人間は?」


 晴香がそう訊くと、和枝の背後にいた治安維持隊の兵士が口を開く。


 「はっ。こちらに」


 兵士は、縄で拘束された一人の人間を引きずるようにして、連れてきた。


 それから、晴香の前へ乱暴に放り出す。


 その人物は、手も後ろに拘束されているため、受身が取れず、晴香の目の前で派手に転倒した。その後、痛みに呻きながら、ゆっくりと顔を上げてこちらを見る。


 すぐさま、彼の表情が大きく変化した。


 晴香はその男を見下ろしながら、声をかける。


 「久しぶりね。宮崎航平君」


 「峰崎さん……。なんで君がここに?」


 再会したクラスメイトたちから幾度となく聞いた驚きの言葉を、航平も口にした。


 「あなたが知る必要はないわ。それよりステータス画面を見せなさい」


 「え?」


 一切の状況が飲み込めず、航平はキョトンとした表情を見せた。


 「どうしてステータス画面を?」


 航平の隣にいた兵士が、彼の首根っこを掴み、脅す口調で怒鳴る。


 「さっさと晴香様の言う通りにするんだ!」


 航平は怯えたように身を縮め、ステータス画面を目の前に出した。


 晴香は椅子から立ち上がり、それを覗き込む。


 『調理(中)』


 彼のスキル欄に表示されていた名称は、それだけだった。


 確か宮崎航平は、実家が定食屋を営んでいる関係で、料理が得意だったはず。つまりこれは、彼が女神から貰ったスキルではないのだ。


 晴香は鼻で笑った。


 「なんだ。あなたスキルを開発してないじゃないの。どおりで捕獲の際、スキルを使わなかったのね」


 航平は、困ったような仕草を取る。


 「スキルって、転生前に女神だと名乗る女が言っていたやつか? あれは本当の話なのか?」


 晴香は心底呆れ返る。異世界という現実を目の当たりにし、ステータス画面まで開いておきながら、女神の言うことを疑っていたらしい。


 やはり、この男は馬鹿なのだ。


 晴香は航平へ告げた。


 「ある意味ラッキーだったわね。下手にスキルを使っていたら、宮崎君、あなたはとっくに殺されていたかもしれないよ。とはいっても、どっち道、すぐにあなたは処刑されるけどね」


 航平は顔を強張らせた。


 「どういう意味だ?」


 「言葉のとおりよ」


 晴香は、クラスでの航平の言動を思い出す。


 修学旅行における第二班の男子。穏健派だが、誰かが晴香をからかうと、それに乗じる短絡な性格の持ち主だ。


 晴香に苦渋を与えた人間の一人でもある。生かしておく理由なんてない。


 「峰崎さん、説明してくれ」


 航平は、唾を飛ばしながら叫ぶ。鼻をひくつかせているため、こちらのワキガ臭が届いていることは確実だろう。


 晴香は訊く。


 「ねえ。私のワキガは臭いかしら?」


 航平は、当惑しながら答える。


 「ああ、臭いよ。それがどうした? 早く説明してくれ」


 晴香は薄く笑う。失格だ。頭が悪いと、言葉も選べないらしい。もっとも、何と答えようとも、結果は変わらないが。


 「もう充分よ。連れて行きなさい。処刑執行は明後日にするわ」


 終始状況を飲み込めないまま、死刑宣告を受けた航平は、あんぐりと間抜けな顔を見せた。


 命令を受けた兵士が航平の腰縄を持ち、連れて行こうとする。航平は抵抗したが、所詮は大した体格のない男子高校生だ。あっさりとねじ伏せられた。


 航平は最後の足掻きとして、近くにいた和枝へ助けを求める。


 「井谷さん! 助けてくれ!」


 しかし、和枝は聞く耳を持たなかった。当然だ。すでに和枝は『調教済み』であるため、晴香の下僕と化している。料理だけが取り得の、馬鹿な男の言葉など届くわけがなかった。


 自身を捕獲した元クラスメイトの女子からも見捨てられた航平は、観念したのか、がっくりと肩を落とし、兵士に連れられて謁見の間を出て行った。


 これから彼は特殊監獄へ収監され、やがて処刑されるだろう。


 謁見の間に残っていた他の治安維持隊や、和枝も部屋を出て行く。


 部屋の中が落ち着いたところで、隅の方で成り行きを見守っていたバリス・オギンスキ新国王が、拍手をしながら近くに寄ってきた。


 「さすが僕の晴香だ。見事なまでに容易く事を終えたね」


 バリスは、にこやかに笑いかける。綺麗な白い歯が、唇の隙間から見えた。


 晴香は、バリスに頭を下げる。


 「バリス新国王。この度、ご協力していただき、ありがとうございました」


 バリスは首を振る。


 「とんでもない。晴香の願いだ。何でも言うこと聞くよ」


 そう言った後、バリスはハンサムな顔を歪めた。


 「しかし、あの航平とかいう男、甚だ異常な男だったな。ワキガが臭いだなんて、人間とは思えない言葉だ。そんな奴は確実に処刑しなければね」


 「ええ。お願いしますわ」


 晴香は笑顔で答えた。


 バリスは頷くと、話題を変える。


 「ところで晴香、僕の求婚を受け入れる気になったかい?」


 晴香は首を横に振った。


 「申し訳ありません。今はまだやるべきことがあるので、受け入れられないのです」


 バリスは真剣な面持ちになる。


 「殺したい連中がいる話のことかい?」


 「ええ」


 「理由はわからないけど、もしも、その件が片付いたら、その時こそは僕との結婚を考えてくれるかな?」


 晴香はしばし悩む仕草を取った後、首肯した。


 「はい。その時はちゃんとあなたと向き合います」


 バリスは破顔した。瞳が輝いている。


 「だったらリーニア国の全てを以って、君の目的に協力するよ」


 バリス・オギンスキ新国王は、はっきりとそう言った。


 「ありがとうございます」


 晴香は、深々と頭を下げた。




 数日後、晴香はラビア国の中央にある首都、リーガを訪問した。


 シンデレラ城を思わせる白亜の城、リーガ城の玉座の間にて、ペトラ・ヴァスクスと共に晴香は近衛兵と相対した。


 近衛兵は、土嚢のようなものを担いでいた。


 「遺体をお持ちいたしました」


 近衛兵が晴香の前に運んできたのは、大沢貴の遺体だった。


 貴の遺体は、無造作に床へ転がされる。


 貴が纏っている農民のような服は血にまみれており、目はかっと見開いていた。その姿は、彼が凄惨な状況に陥ったことを無言で証明していた。


 ラビア国にいたクラスメイトは、大沢貴だった。彼以外のクラスメイトはいなかった。晴香がラビア国全域の兵隊たちに命令し、捜索させた結果の報告であるため、間違いはないはずだ。


 晴香は貴一人だと知ると、すぐに彼の捕縛を兵士たちに命じた。


 本来、女王であるペトラ・ヴァスクスがこの国の実権を握っているのだが、彼女の望みにより、権限はほとんど晴香へと譲渡されていた。


 兵士たちは彼の住処を訪れ、拘束しようとした。そこで、戦闘へ発展したようだ。


 交戦した兵たちの話を聞くと、彼のスキルは、極めて攻撃的なものだったらしい。地面や壁が隆起し、まるで凶器のように襲い掛かってきたとのことだ。


 それでも何とか殺すことに成功したのは、物量により押し切ったためだ。結果、ラビア国側の兵士から、大量の死傷者を出すこととなった。彩音という治療役がいながらである。


 ラビア国側の被害から、貴には相当な戦闘能力が備わっていたことが把握できた。やはりこの異世界において、転生人が持つスキルは、イレギュラーと言えるほどの脅威を誇る存在だということを再認識させられた。


 もっとも、肝心の貴が死んでしまった以上、彼のスキルの名前はおろか、詳細な性質やレベルすらもわからず仕舞いだったが。


 「わかったわ。ありがとう。遺体は処分しておいて」


 目的がさらに一つ達成され、晴香は満足気に自身の唇を舐める。


 これで葬ったのは三人目。順調だと言えるだろう。


 貴の遺体が運び出され、一通り事が収束した後、ペトラ女王が話しかけてくる。


 「ねえ、晴香様。この後時間がおありでしょうか?」


 「時間? ありますけど……」


 ペトラは、興奮した様相を見せた。


 「地下に拷問室を造りました。そこで私を朝までいじめて下さいませんか?」


 ペトラのマゾ願望は顕在だった。物騒なことを平気でお願いしてくる。


 恨みのある相手ならともかく、そうでない相手では乗り気にはなれない。晴香はサディストではないのだ。


 「あの、私はあまりそんなことはしたくないんです」


 晴香はペトラの気迫に押されながら、両手をヒラヒラとさせて断った。


 だが、ペトラは聞いていないようだった。


 ペトラはエルフ特有の白い頬を赤らめ、忘我した様子で自身のドレスの胸元に手を当てた。


 「実は私、このドレスの下で自分の体を縄で縛っているんです。あなたにお会いできるとわかってから用意しました」


 ペトラは、ドレスの胸元のギャザーを開ける。下からは確かに、縄のようなものが見え隠れしていた。


 「この縄は侍女にお願いして縛ってもらいました。でも、あなたから縛られた方がもっと興奮できると思うんです」


 晴香は戸惑う。このマゾヒストを、どうあしらえばいいのか。


 ペトラは続けた。気分が昂じているようで、長い耳がピクピクと動いているのが見て取れる。


 「晴香様のワキガの匂いを嗅ぎながら縄で縛られ、鞭で打たれたら、どんなに幸せか。どうか私めをラファエロのように天国へいざないくださいませ」


 ペトラはその場で、土下座を行った。豪奢なドレスが、水面のように床へ広がる。


 晴香は、さらに困惑する。


 彼女がこれほど性癖に溺れるのも、晴香のワキガの影響だろう。見境なしに、ワキガの効果を振り撒くのも、考え物だと晴香はこの時思った。


 晴香は言う。


 「以前に話したように、私にはやることがあります。だからそのために別のことをする余裕がないのです」


 ペトラは土下座をしたまま、顔を上げて訊いた。


 「それは殺したい者たちの話のことですか?」


 「ええ。そうです」


 ペトラは勢い込んで言う。


 「だったら、もしもその目的を達成できたら、その時こそは私を全力でいじめてくれますか?」


 晴香は少し考え、やがて首肯した。


 「その時は本気で考えてみます」


 ペトラ・ヴァスクス女王は、高揚したように眉目秀麗な顔をほころばせた。


 「ならば、ラビア国全ての力を以って、あなた様の目的に協力いたしますわ」


 ペトラはもう一度床へ頭を付け、土下座を行った。




 それからさらに数日後。晴香は、次にエルドア大陸の南に位置するアニトス国を訪れていた。


 アニトスには、クラスメイトが二人いた。清水有希と海池健斗である。修学旅行における第二班の女子と、第三班の男子。


 有希の方は首都タリーンに、健斗は辺境のベルヌという港街を拠点にし、生活しているようだ。


 アニトスの兵士を使った調査の結果、二人共すでにスキルを開発していることがわかった。しかも、両名共攻撃型のスキルであるようだ。


 幸い、有希と健斗は同じ国に居住しているものの、互いの存在を知らないようで、徒党を組まれる心配はなかった。


 強力な力を持つ個人が複数集まったならば、脅威は何倍にも膨れ上がる。今回はその心配はしなくて済みそうだ。自然と、各個撃破が可能となる。


 ただ、それでもスキル持ちである以上、油断は禁物であった。危険な相手であることに、変わりはない。


 さらに都合が良いことに、アニトスの兵には獣人が多かった。獣人はヒューマンやエルフに比べると、身体能力が遥かに高く、戦力としては申し分なしだ。


 晴香は首都にあるベルヌ城で、獣人が構成のほとんどを占める制圧部隊に対し、まずは有希を捕縛するよう命じた。


 有希のスキルは、猛毒を操るものだった。直接本人の手で触れたものが毒化し、さらにそれを他の生物が触れると、すぐさま毒に罹患する。


 毒のタイプは複数選択できるようで、致死性のものから、睡眠、麻痺など多様性を誇っていた。


 有希はリビア国での大沢貴同様、捕縛しようと制圧部隊が訪れると、激しく抵抗した。


 そして戦闘になる。


 有希はとても強かった。数ヶ月前まで一介の女子高生だった少女とは思えないほど、躊躇わずこちらを殺しにかかってきた。そのことからも、有希はスキルを得てから、頻繁に人殺しを行っていたのだと思われた。


 戦闘は激化し、制圧部隊の過半数が殺された。今回も彩音が衛生兵として戦闘のサポートに回っていたが、それでも犠牲者は増える一方である。


 有希のスキルの特性上、飛び道具が有効らしく、残った兵士による弓矢やボウガン、スリングショットの雨霰の攻撃が行われ、有希の体は徐々に損壊していった。


 やがて有希は全身の骨が砕かれ、矢を生け花のように全身から生やし、ようやく絶命した。


 見事、有希を仕留めたのだ。


 有希を始末したならば、次は海池健斗である。


 有希との戦闘で相当数失われた制圧部隊の人員を補充し、辺境の街に住む健斗の元へ派遣した。


 今度は捕縛しようとはせず、始めから相手を殺しにかかった。いわば奇襲である。


 しかし、健斗のスキルも強力であった。彼のスキルは、水を自在に操ることが可能なスキルだった。


 水を大量に宙に浮かせ、相手を飲み込み、溺死させる。ウォーターカッターのように水を発射し、相手の体を貫く。壁のように水を展開させ、攻撃を防ぐ。


 彼のスキルは、攻守共に優れた性能を誇っていた。なぜ彼が港街に常駐しているのかの理由もわかった。彼のスキルにとって、打って付けの環境だからだ。


 獣人たちは晴香の命に従い、果敢に健斗と戦った。次々と死体が港街に築かれていく。有希の時以上に死者は多かった。


 だがそれでもついには、兵士たちは健斗の腹部に剣を突き刺すことに成功した。腹部を押さえ、苦しそうに喘ぐ健斗の全身に、刃物が次々と突き立てられる。


 健斗は体中から薔薇を咲かせたかのように血を吹き出し、やがて絶命した。



 

 この時点で『復讐』したクラスメイトは、五人目となった。




 ベルヌ城の貴賓室で、ヴィレム・サダニアン国王は、晴香の前に跪いていた。熊に似た容貌を持つ獣人の彼は、猛々しい顔を伏せ、敬服した口調で言う。


 「晴香様のご命令どおり、全て事が終わりました」


 晴香の個人的な目的のために、自国の兵から多数の犠牲者を出しているにもかかわらず、ヴィレムは少しも責める気配をみせていなかった。


 「ありがとうございます。ヴィレム王」


 晴香は、礼を言った。


 貴賓室の中央には、健斗と有希の遺体が置かれてある。すでに腐敗が始まっているらしく、臭いも漂い出していた。


 だが、決して不快ではなかった。むしろ心地良ささえ感じる。なぜなら、この臭いは成果なのだから。


 他種族よりも嗅覚が鋭いヴィレム王も、不快感を覚えていないようだった。しかし、こちらは晴香のワキガ臭によりマスキングされているようで、定石通り、ワキガに魅了される異世界人の反応を示していた。


 腐敗が始まった遺体の臭いよりも、晴香のワキガの方が臭いは強いらしい。


 ヴィレム国王は、床に伏せたまま、晴香の足元へ這いずってくる。


 「晴香様の極上の芳香、獣人の私にはあまりにも強烈過ぎますぞ」


 ヴィレムは、犬のようにして、晴香の足に自らの頬をすり寄せた。


 「晴香様、どうか私めに三日三晩ワキガの香りを堪能させてくださいませ」


 ヴィレムは、甘える子犬のように、くうんと鼻を鳴らした。


 晴香は、有希と健斗の遺体に目を走らせる。


 「申し訳ないのですが、今の私にはやるべきことがあり、その時間がないのです」


 ヴィレムは顔を上げ、上目使いに晴香を見る。


 「それは今回のように、命を奪いたい相手がいるためですか?」


 晴香は、コクリと頷いた。


 ヴィレムは訊く。


 「では、その者たちが全滅したならば、私へワキガの香りを三日三晩嗅がせていただけるのでしょうか?」


 晴香は答える。


 「はい。その時は、できるだけ期待に添えられるよう、努力します」


 ヴィレムは顔を明るくした。強面の相貌がプレゼントを受け取った少年のように、朗らかになる。


 ヴィレムは、額を床へ擦りつけた。


 「それならば、リビア国のあらゆる力を使い、晴香様へご尽力いたします」


 貴賓室に、ヴィレムの低い声が響き渡った。




 三ヶ国にいたクラスメイトたちを無事葬り去り、おおよその計画が完了したところで、晴香は協力してくれた王たちをマロウス城へ招待した。


 謝恩会を催すためである。


 この謝恩会は、四カ国同時の外交も兼ねているため、始めに歓迎のパレードが行われた。


 四カ国の要人たちを乗せた馬車や馬、そして人の隊列が、マロウス城下街の大通りを進む。


 パレードは、パグパイプやアコーディオンによって音楽が奏でられ、とても晴れやかだった。歩道は見物に訪れた大勢の市民で溢れかえり、大いに賑わっている。


 外交と感謝のパレード。しかし、先頭を進む一際豪華な馬車に鎮座しているのは、三ヶ国の王でも、ましてやアーニャでもなかった。


 晴香である。パレードを見守る市民の歓声も、ほとんどが晴香に対し向けられていた。


 晴香はワキガの臭いにより、すでにマロウス城下に住むほとんどの市民を虜にしていた。市民だけではない。マロウス城に常駐する兵士や大臣、侍女や馬係に至るまで、ほぼ全ての者が晴香のワキガを嗅ぎ、隷属化しているのだ。


 「晴香様ー! こちらを見てください!」


 「どうか私にワキガの匂いを!」


 「ワキガの香りが染み込んだ服が欲しいわ!」


 「ワキガ万歳!」


 市民は口々に、晴香のワキガを称賛する。


 これほどの人数から讃えられるのは、生まれて初めての経験だ。宙に浮いているような高揚感と共に、悦びが全身を震えさせる。


 この感覚は、クラスメイトを殺した時とはまた違う、えもいわれぬ快感を晴香にもたらした。


 おそらく人間の根幹に存在する、本能的な欲求を満たしているためだろう。


 前の世界で、金メダルを取ったスポーツ選手が、凱旋パレードにて大量の声援を浴びる光景をテレビで観たことがあるが、こんな気分に包まれていたのかもしれない。


 晴香は浮ついた気分で、馬車に揺られ続ける。ひっきりなしに、晴香へと向けられる歓声。晴香は笑顔で手を振り、それに応える。さらに歓声は大きくなる。


 前の世界では、想像すらしたことのない光景だ。


 晴香の心は喜び打ち震えていた。




 パレードの隊列は、マロウス城下街の南に存在する記念広場で停止した。


 式典の会場となるこの記念広場は、かつてマロウスと諸外国との戦争の際、戦場となった場所だ。東京ドームが三個入るほどの広さがあり、中央には、ワシントン記念塔のような犠牲者を弔うモニュメントがそびえ立っている。


 現在、記念広場は大勢の市民で埋め尽くされていた。群集の正面にはコンサート会場のように、豪華なステージが用意されている。


 これからそこで、三ヶ国の王による挨拶と、マロウス王であるアーニャの訓辞、そして晴香の言葉が話される予定だ。


 やがて、式典は始まった。それぞれの国の長による挨拶が行われ、その後で、アーニャのたどたどしい訓辞が話された。聴衆は、野次を飛ばすことなく、ただ黙って聞いていた。


 そして、晴香の番になる。


 司会が晴香の名を告げた途端、聴衆から割れんばかりの歓声が轟いた。


 晴香はステージ脇から、ステージ中央に設けられた演台へ向かって歩いていく。ボリュームを上げるように、歓声も増していった。


 晴香の内にあった悦びが、火を点けたかのごとく、激しく燃え上がる。自身の全てを無条件で肯定されているような、強烈な陶酔感。


 これは、欲望の白き炎だ。身を焦がす悦楽の象徴。月夜のごとき、白炎。


 晴香は演台へと到達する。演台には、マイクに酷似した物体が備え付けられていた。拡大の魔石が組み込まれた拡声器である。


 晴香は、拡声器へ顔を近づけた。途端に打って変わって、聴衆は静まり返る。しわぶき一つ聞こえない。


 晴香は話し始める。拡大の魔石により、広場内に晴香の声が響く。


 忙しい中集まってくれた聴衆に対する礼と、諸外国の王に対する賛辞。そして、アーニャ王への礼賛。


 無難な内容であるが、聴衆は食い入るように聞いていた。先に挨拶や訓辞を行った三ヶ国の王や、自国の王に対してよりも、遥かに真剣な様子で。


 それは、聴衆だけではなかった。バリスなどの王たちや、大臣を含めた主要人たち、兵隊はおろか、アーニャでさえ同じだった。皆は誰よりも、晴香の言葉を神妙に聞き入った。


 晴香は、言葉を続けながら、自分へ視線を注ぐ人々の『目』を見ていた。


 尊敬、従属、賛美、称賛、魅了、煩殺、熱賛――。


 ありとあらゆる正の感情が、彼らの『目』に溢れていた。それを全て、晴香が一身に受けている。


 まるで、自分が神にでもなったような感覚に晴香は襲われた。大勢の信徒を持つ教祖は、もしかしてこんな気分なのかもしれない。そう思わせた。しかし、その教祖と明確に違う点が、晴香には存在した。


 自分には、はっきりとした『力』があるのだ。ワキガという特性が。


 そう。自分は『神』に相応しい力がある。全ての人間を魅了するヴィーナスのように。


 晴香の内に生じた白炎は、少しずつ大きくなっていく。天空に上る竜のごとく。


 やがて、晴香の話は終わった。終わると同時に、大地を揺るがすほどの拍手と声援が湧き起こった。


 聴衆や王、大臣たち、兵隊、ステージ脇で控えている護衛のタイスたちなど、ほとんどの者が、晴香の壇上での話を賛美した。涙を流している者も多い。


 たったあれしきの言葉でだ。たったあれだけで、皆は身を焦がすほどの感動と衝撃を受けたらしい。


 これもワキガによるものだ。皆を――異世界人たちを魅了するワキガの成せる業。

 拍手喝采の最中、晴香は人々を見渡した。


 ヒューマンや獣人、エルフなど様々な種族が混在している。彼らや彼女らは、一様に心酔しきった顔で晴香を見上げていた。神を見るかのように。


 晴香は、湧き起こる快感に体を震えさせる。


 短期間で四つの国を手中に収め、クラスメイトも五人葬り、二人隷属させた。


 これは偉業だ。おそらく、この世界でこれ程の成果を上げた人間など存在していないだろう。自分が『神』に等しい力を持っているからこそだ。


 復讐だけではない。もしかすると、私にはこの世界を制する資格があるのではないか。いや、そのために私は、この世界に転生したのではないのか。


 心の中の白き炎は、大きく立ち上り、やがて隣で燃え盛る黒い炎と同じ高さになった。そして、二つの炎は絡み合い、巨大な火柱となる。


 まるで魔王の化身のようになった炎は、晴香の身の内を全て焼き焦がした。


 なおも自身を賛美する万雷の拍手の中、晴香は確信する。己の存在意義が一体、なんであるかを。


 これは啓示だ。運命と言っていい。ワキガのせいで蔑まれ、差別を受け続けてきた自分が歩むべき道。


 私がこの世界に転生したのは、全てを手に入れるためなのだ。




 異世界人たちを見下ろしながら、晴香はこの瞬間、異世界を征服することに決めた。

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