第3話 パティシエ
小さいころから、私は母の淹れてくれる紅茶が好きだった。どんなことがあっても、母の淹れてくれる紅茶を飲めば、心が落ち着いた。いつも母だけは私に優しかった。
「ママ、どうして私って、髪の毛が金色なの?」
私は不思議だった。どうして私だけ髪色が違うのか。どうして髪色が違うだけでみんなは受け入れてくれないのか。どうして、みんなと違うだけで、「不良」とよばれたり、「気持ち悪い」と言われたりするのか。
「それは、あなたが特別だからよ。神様からのギフトなの。」
私が暗い顔をすれば、いつも母は私に答えと一杯の紅茶をくれた。小さいなりに、私はその答えが正しくないことは知っていた。しかし、私にとっては十分だった。母の入れる紅茶は、なんとなく、私に安らぎをくれた。
私は母の料理が好きだった。母の料理はどれも、優しい味がした。私が傘を取られてびしょ濡れで家に帰ったときも、泥だらけになって汚れて帰ったときも、家に帰れば暖かい料理があった。
「あのね、ママ。私ね、将来パティシエになるの。ママのお料理、好きだもん。世界一のパティシエになるの。」
そういうと、母はうれしそうな顔をしていたのを覚えている。
「そうね。カレンならきっとなれるわ。」
彼女は、よく私に料理を教えてくれた。私がまだ小学生だった頃も、中学生、高校生になってからも。私は、母の遺伝子をついでいたからか、料理が下手ではなかった。中高では料理部に入って、料理好きの友達もできた。中高生の持つ理性は、私の少しだけ異質な容姿を受けいれた。私は、料理が楽しかった。だんだんと、学校も楽しくなっていった。
楽しい日々は、唐突に終わりを迎えた。私が高校二年生だったあの日、母は帰ってこなかった。十時になっても、十一時になっても、十二時になっても。私は心配して、警察に連絡した。母に帰ってきてほしかった。人生でおそらく最も長い二時間が過ぎた後、警察から連絡があった。母は、交通事故で死んでいた。その後のことはぼんやりとしか覚えていない。ただ、悲しかった。私の知っている唯一の家族と、私の一番の心のよりどころは消えた。私は、次の日に一人家に帰った。学校に行く気力など残っていなかった。
何日かして、警察に連れられて学校に行った。当面の間は施設で暮らすようだったので、学校に手続きがいるようだった。その時、私は久しぶりにかつての友人に出会った。彼女は、やつれはてた私を一瞥し、逃げていった。私は、受け入れられてはいなかったのだ。
私は、家にお別れがしたい、と言って家に一日だけ泊まれることになった。やることは決まっていた。もう生きる理由など残っていないのだ。薬を飲む水を求めてシンクに行くと、よく見慣れた紅茶があった。いつも、母が入れてくれた紅茶。スーパーに売っているけど、世界で一番おいしかった紅茶。最後の晩餐はこれにしたい、と思った。私は震える手で紅茶をいれようとした。
その時だった。茶葉の「色」が初めて見えたのは。茶葉自体の色はもちろん変わらない。しかし、私には見えた。燃えるような「赤」。お湯を入れると、それは「オレンジ」になり、「桃色」になり、やがて「白」になった。私は戸惑った。しかし、それは私を止める理由にはならなかった。私は、薬を口に運んだ。これで終わり、と考えると、少し楽な気分になった。紅茶で薬を喉に通そうと思って、私はのみこんだ。しかし、私は死ねなかった。吐いてしまった。泣きながらなんど飲みなおそうとしても同じ。何度も吐き戻すだけ。吐き戻した紅茶は「黒」に見えた。
「なんでよ…!」
私は怒った。私自身の命さえ私は自由にできないのか。私は紅茶の入ったカップを地面にたたきつけた。
ガシャン。
カップは砕けた。私が小さいころから使っていたカップ。紅茶のついたカップの破片は「黄色」に見えた。母親がいつもつけていたエプロンの色。長い脚に合わせて作られたエプロンをつけた母の姿が脳裏をよぎる。
私ははっとした。私、お母さんと約束したのに。
「パティシエ…。」
私は死ねなかった。生きる理由が一つだけあった。
私は、料理の専門高校へ転校した。私は、いろいろな料理に、「色」が見えるようになっていった。理由はよくわからないけど、「白」になれば完璧。何を加えれば「白」になるのかも、なんとなく自分でわかっていた。母親に教えてもらった技術は私の助けになった。
私は、高校生ながら、パティシエとして働いていた。初めは施設の厨房でお菓子を作った。次に、街のケーキ屋。そこで店長の熱烈な推薦があって、今度は東京のホテルのデザートを任されることになった。私はどんな料理も「白」になるように作れたし、「白」になった料理は誰にも絶賛された。高校を卒業すると同時に、私はホテルの料理長に進められて国際コンクールに参加した。世界一のパティシエになれるのなら、と私は喜んで参加した。結果は、世界六位というものだった。私はよく知らなかったが、そのコンクールは相当大きなものだったらしい。無名の十八歳の登場に、かなり料理人たちは驚いたようだった。「花園カレン」の名は、途端にパティシエの間で有名になった。
私は、ホテルで二年間働いた。私のケーキを食べにくる人は皆、私の名前を聞いて納得し、「おいしい」と言った。しかし、私は何か違うと思った。母親の料理とは違う。ここのお客は、みんな、「花園カレン」の作ったケーキだからおいしいと言っているのだ。多分、まったく同じケーキを無名のパティシエが作ったら、「まあまあだね」というのだろう。私は肌でそれを感じた。私のケーキは、ここにいる限り、誰かの心の拠り所にはなれない。
私はホテルから逃げ出した。契約はまだ三年あったし、給料もよかったが、それでは足りなかった。母が私に残してくれたこの才能は、こんなことに使うためのものじゃない。私が生きる理由は、こんな茶番に満足するためじゃない。
私は髪を黒く染めた。金髪は好きだけれど、ばれてしまっては仕方ないから。私は名前を隠した。大好きな名前だけど、また元には戻りたくないから。私は、ホテルで働いたときに貯めたお金で、東京の僻地に小さなカフェを立てた。料理はしたいけれど、私がここにいるのはばれたくなかったから。
世界一のパティシエという夢を捨てたわけじゃない。けれど、私の名が世間に知られてしまっては、私に母のような料理は作れない。だから、今は、ここに来てくれるお客さんに、私の料理を喜んでもらえればそれで良い。
「さて、今日はお客さん来るかな。」
カレンは、また今日も、少ないお客のために、店を開ける。
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