12月17日【星の糸紡ぎ】


 宇宙というものがどういうものなのか、ゆみこさんは初めて知りました。静かで、冷たくて、広くて、深いのです。寂しく、恐ろしく、美しい場所です。

 ゆみこさんは、窓の外の宇宙を眺めながら、今日も靴下を編んでいます。宇宙と同じ色の、黒色の靴下です。金色の毛糸を編みこんでありますので、それが宇宙の星に見えて、まさに宇宙の靴下と言えます。


 ゆみこさんのお家は、宇宙の闇の中を、順調に進んでいます。舵を取っているのはオパールの人で、地図を見ながら指示を出しているのは石炭の局員さんです。

「どうやら私たちは、目的地よりだいぶ西側に出てしまったようです。このまま天の川水系を東に下って行きましょう」

「では、取り合えずは、すばるを目標に進めば良いかね」

 宇宙の闇の中に、ひときわ明るく目立つ、青白い光があります。リビングの窓のちょうど中央に、その光が据えられました。あれを見失わないように、進めばいいのです。


「あの光が窓の端っこに寄ったり、見えなくなったりしたら、すぐに知らせるんだよ」

 オパールの人から仕事を与えられ、子供たちは張り切っています。男の子は窓の真ん前に陣取って、みーちゃんは男の子のお膝の上に陣取って、すばるの光を見つめます。決して、見失わないように。

 ゆみこさんは、彼らが疲れたであろうタイミングを見計らって、飲み物だったり、メレンゲクッキーだったりを差し入れました。



 どれほど闇を行ったころでしょう。窓の向こうに見えるすばるは、ずいぶん近くなったようです。青白い光がリビングに差し込んで、カーペットの上に影を落としています。それから、宇宙の闇が、少し薄くなったように思えます。星の数が、増えたのです。

「お星さまの上を、渡っているみたい」

 みーちゃんの言う通り、闇の上に浮かんでいたはずのお家は、いつの間にか、光の上に浮かんでいるのでした。金や銀、白や赤の光の粒をかき分けて、お家は進んでいるのです。

「いよいよすばるが近いからかな。それにしても、光が多いなあ」

 と、オパールの人が言いました。窓の外は、もうほとんど光ばかりで、しかしそんな中でも、目印にしている青白い星は、一等明るく輝いているのでした。


 このまま順調に、この光の原を抜けられると、もちろん、ゆみこさんはそう思っていました。しかし、ゆみこさんのお家は次第に減速し、やがて音もなく、光の中に止まってしまったのです。

「どうしたの?」

 と、男の子が言いました。オパールの人が困った顔で、リビングの窓をほんの少しだけ、開きます。わずかな隙間から、ざあっと音を立てて、光の粒がリビングの中へ流れ込んできました。オパールの人は櫂でもって、その粒をかき分けます。

「思っていたより、光が多くって。どうやら乗り上げてしまったようだ。進むにも戻るにも、どうにも難しいですよ」

 つまり、光の中に立ち往生してしまったのです。

「二、三日待って、宇宙風がびゅんと吹けば、光どもも吹き飛ばされて、また進めるようになるだろうけど。どうします、待ちますか」


 オパールの人は、ゆみこさんに尋ねます。このお家はゆみこさんのお家なので、決定権はゆみこさんにあるのです。とはいっても、ゆみこさんだって困ってしまいます。

 二、三日も待っていては、その間に迷子のお手紙たちはどんどん増えてしまうでしょう。問題の解決は、早いにこしたことはないのです。けれど、だからといってどうすればいいのか、ゆみこさんには分かりません。



 ゆみこさんが悩んでいますと、キンコーン。玄関のチャイムが鳴りました。ここは宇宙です。いったい誰が、玄関のチャイムを鳴らすというのでしょう。

 不思議に思いながらも、出ないわけにはいきませんから、ゆみこさんは玄関へと向かいました。そして、そっと玄関のドアを開きます。そこに立っていたのは、青白い衣に身を包んだ、ほっそりとした少年でした。


「こんにちは。何か、お困りではないですか」

 少年の言う通り、まさに、お困りでしたゆみこさんは、思わず「ええ」と答えてしまいます。少年はにっこり笑って、「では、ぼくたちお役に立てますよ」と言いました。そして、ゆみこさんのそばを通り抜けて、軽い足取りで、お家へ上がり込んだのです。


「おじゃまします」

「おじゃまします」

「おじゃまします。わあ、すてきなクリスマスツリー」

 なんと、びっくり。全く同じ顔をした少年たちが、六人。次々と現れたかと思いますと、ゆみこさんのお家に上がっていきました。少年たちはみんな、青白い服に青白い巻き髪、青白い瞳はすばるのように輝いています。


「だれ?」

 男の子の不躾な質問にも、少年たちはにっこりと笑って答えます。

「こんにちは。だれって、きみたち、ずっと見ていたでしょ」

「そうだよ、きみたちがぼくたちをずっと見ていた」

「ぼくたちもきみたちを、ずっと見ていたよ」

 男の子は、ちょっとムッとした様子でしたが、青白い少年たちのあんまりの毒気のなさに、喧嘩をする気にもならないようでした。みーちゃんは、きらきら光を放ちながらくるんと丸まっている、少年たちの巻き髪が気になるようです。


 いったいどうなっているのかは分かりませんが、お迎えしてしまった以上は、おもてなしをしないわけにはいきません。ゆみこさんは、飲み物のリクエストを訊きました。少年たちは「紅茶がいいな」「コーヒーがいい」「ミルクをちょうだい」と口々に答えます。全く同じ姿をしているけれど、飲み物の好みは違うようです。

 全てのリクエストに応えるために、ゆみこさんはたくさん準備をしなければなりません。紅茶の茶葉を出して、コーヒー豆を挽いて、ミルクを温めて、はちみつ漬けのレモンの瓶を出して、お湯を沸かして……。あんまり大変でしたので、局員さんと男の子が、それを手伝いました。


 けっこうな手間をかけて、数種類の飲み物をきっちり準備したゆみこさんは、六人の少年たちそれぞれの前に、それぞれのリクエストした飲み物をお出しします。

 紅茶、コーヒー、ホットミルクにホットレモネード。それからほうじ茶に、甘いココア。少年たちは、大切そうにマグカップを抱え持ち、ゆっくり味わって、飲み物をいただきました。温かな飲み物を飲んで、ほうっと吐き出される彼らの吐息は、白と銀とが混ざった星雲のようで、しばらく空中に留まり、青白い光を放ちました。



「ありがとう、ゆみこさん。ごちそうさまでした」

 すっかり綺麗に飲み終わって、青白い少年たちは微笑みます。

「どういたしまして。それで、もしかして何か手助けをしてくれるために、いらしたのかしら」

 ゆみこさんが尋ねますと、少年たちは「ああそうだ」と、小さな手のひらを口元へ当てました。

「そうそう。ぼくたちを目指していた舟が、光に座礁してしまったからね」

「そうそう。助けに来たんだよね。放っておけなくて」


 では、やっぱり、彼らはすばるなのです。

 すばるというのは、遠くからでは一つの大きな星に見えるのですが、本当は六つかそれ以上の星々の集まりなのです。だから、彼らはこんなにそっくりなのでしょう。にっこりと頬を緩めるのも、うなずくのも、まばたきをするのも、彼らは全く同じタイミングでするのです。


 すばるの六つ子たちは、リビングの窓をいっぱいに開けるよう言いました。今は光りの中に座礁していて、そんなことをしたら、光が雪崩のようにリビングに入ってきます。オパールの人がそう指摘しましたが、すばる少年は「大丈夫」と言って、ガラス戸を開け放ちました。

 すると、やっぱり、大量の光の粒が、リビングの中に流れ込んできます。

「ああ、危ない。落とし物箱が、埋もれてしまう」

 メレンゲの王様が慌てて、窓のそばに置いてあった落とし物箱を抱えて、テーブルの上に避難させました。そして、すばる少年に憤慨します。

「どうするつもりなのだ。こんなに光でいっぱいにしてしまって」

 すばる少年は「大丈夫」とまた言って、自らの青白い衣の裾へ、手を突っ込みました。そして、衣の下から、何か大きなものを引っ張り出しました。


 それは、糸車です。すばる少年は、糸車を床に置いて、右手で糸車のハンドルを持ちました。そして左手に、今しがた流れ込んできたばかりの、光の粒をわしづかみました。

 そうしますと、どうでしょう。左手に掴んだ光の粒から、すうっと糸が伸びてきて、糸車のつむに巻き付いたのです。

 すばる少年が、糸車のハンドルを回します。糸車がカラカラ回りまして、つむに糸が巻き付いていきます。光の粒から取れました、光の糸です。


「星の光というものは、粒のうちはあんまり遠くへはいけなくて、何光年も離れた場所へ届けるには、こうして糸に紡いでやらないとだめなんです」

 ひとりのすばる少年が、糸を紡ぎ始めますと、ほかのすばる少年らも、それに続きます。

「粒のまんまでも、強い風に吹き飛ばされれば、天の川の向こう岸くらいなら行けるんですけれど、でも今年は、北風があんまり吹かないでしょう」

「ですから光の粒たちも、天の川の手前に吹き溜まってしまっていたんです」

 なるほどそれで、舟が動かなくなってしまうくらい、光の粒がたくさん溜まっていたのです。この座礁も、寒くない冬が原因だったなんて。驚きです。



 糸紡ぎの様子を、ゆみこさんが興味深そうに見つめていますと、ひとりのすばる少年が、服の下から、もうひとつ糸車を出してくれました。

「でも、やったこと、ないわ」

 ゆみこさんが言いますと、すばる少年はおかしそうに笑います。

「誰だって、一番最初は、やったことがないことをするんですよ」


 見よう見まねで、ゆみこさんは右手にハンドルを持ち、左手に光の粒を掴みました。ゆみこさんだけでなく、男の子やみーちゃんも、糸紡ぎに挑戦です。メレンゲの王様や、石炭の局員さんや、オパールの人までも、それぞれの糸車を渡されて、どうやら糸紡ぎをするようです。

「さあ、この光の粒を、光の糸に紡いでしまいましょう。そうすれば、光は天の川の向こうまで流れて行って、このあたりも、ちゃんと舟が浮かぶようになるはずですから。大丈夫、きっと上手に出来ますよ」

 すばる少年に励まされて、みんな、初めての糸紡ぎに臨みます。



 カラカラカラと、糸車が周り、光の糸が紡がれます。右手と左手でそれぞれ違う動きをするというのは、なんて難しいんでしょう。

 そこのところ、器用なのは局員さんでした。すぐにコツをつかんだようで、すばる少年らにも負けない速さと丁寧さで、どんどん糸を紡いでいきます。ただ、彼が紡いだ糸は、石炭の黒がついてしまうので、どうしても少し煤けてしまうのでした。


 オパールの人は、てんで苦手なようです。彼の紡いだ糸は、糸というよりも光がごちゃごちゃに絡まった綿のようで、もちろんつむには巻き付かず、オパールの人の手を離れて、雲のようにリビングを浮かびました。そして、椎の木の梢に引っ掛かって、そこでぴかぴか光り始めるありさまでした。


 男の子は、みーちゃんとメレンゲの王様と、三人ひと組で糸を紡ぎます。糸車は、みーちゃんやメレンゲの王様が扱うには、少し大きすぎたためです。男の子が、両手に光の粒を持ち、みーちゃんとメレンゲの王様が、協力してハンドルを回します。糸は紡げるのですが、ハンドルを回す速さが一定ではないせいか、細かったり太かったりする糸が紡がれます。

 もしかして、星を見上げたときに光が一定でなく、ちかちか瞬いて見えるのは、糸の長さが一定でないからかしら。と、ゆみこさんは思ったのでした。



 この日、ゆみこさんたちは一日じゅう、糸を紡いで過ごしました。カラカラカラ、と糸車の音。夜ごはんをいただいて、お風呂にも入って、毛布を敷いて寝る時間になっても、まだまだすばる少年らは、糸車を回し続けるのです。

「もう、そろそろ、眠りませんか」

 ゆみこさんが誘っても、すばる少年は微笑むばかり。彼らに、休息は必要ないのかもしれません。もう何億年も、ずっと光りっぱなしなのですから、そういうものなのかもしれません。


「では、お先に休ませていただきますね」

 ゆみこさんはそう断ってから、椎の木の根元に横になりました。子供たちは、もう疲れ切ってしまって、とっくに夢の中にいます。ゆみこさんが毛布に潜り込みますと、ゆみこさんの腕に、眠っているみーちゃんがぎゅうっと抱き着いてきました。

「おやすみなさい」

 ゆみこさんが言いますと、すばる少年のうち誰かが、「おやすみなさい」と言いました。



 ゆみこさんが目を閉じますと、カラカラ回る糸車の音が、まるで体に沁み込んでくるように思えました。枕に頭を押し付けたときに、耳元で鳴る、ごーっと低い血流の音みたいに。元からそれが、自分自身の音であるかのように、糸車の音は、頭の中に、じんと沁み込んでくるのでした。


 朝になるころには、きっと光の粒は、みんな糸に紡がれていることでしょう。そしてゆみこさんのお家は、また、宇宙へ漕ぎ出して行けるはずです。


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