12月16日【いざ宇宙へ】


 ゆみこさんのお家は、波をかき分け、海を進みます。どんなに進んでも、陸はどこにも見えません。そもそも宇宙をめざしているのですから、陸を見つけても仕方がないのですが。


 海は、椎の木のクリスマスツリーの根元にある、方ソーダ石のお盆と同じ色をしています。青く、灰色がかっていて、白い波が現れては消え、消えてはまた現れます。

 時おり、渡りの鳥の群れが、ゆみこさんのお家の屋根で休憩をしました。彼らはうみねこの姿をしており、どこでもない海を越え、時空から時空を渡って暮らしています。


 オパールの人が、窓を開けてうみねこたちに訊きました。

「おうい。おれたち宇宙まで行きたいんだがね、今のころは、風はどっち向きに吹くだろう」

 うみねこたちは、みゃうみゃうと返事をします。

「風はオリオンの三つ星へ」

「オリオンの三つ星へ向かって」

「三つ星へ向かって吹いているよ」

 それを聞いて、オパールの人は「そりゃいい」と櫂を握りなおします。

「ちょうど、追い風だ。ありがとう、うみねこたち」


 みゃうみゃうと、鳴きながら屋根を離れて行くうみねこたちを、窓から身を乗り出すようにして、みーちゃんが見送っています。ちょっとお家が揺れましたら、あっという間に海に転げ落ちてしまいそうなので、男の子が、みーちゃんの襟首をしっかりとつかんでいます。

「うみねこって、猫なのに翼とくちばしがあるのね」

 感心したように、みーちゃんが言いました。

「だけど、お耳も尻尾もないんだわ。変な猫ねえ」



 この日のお昼を過ぎるころ、オパールの人が皆に言いました。これからいよいよ宇宙へ出るから、みんな、覚悟をしているように。

「覚悟って、いったい何をすればいいんでしょう」

 なんだか怖くなって、ゆみこさんは訊きました。なにせ、宇宙へ出るなんて初めてです。どんな心構えをしておけば良いかなんて、なんにも知らないのです。

 何か、恐ろしいことが起こるのかしら。怪我をしたり、良くないことが起こるのならば、子供たちをしっかり見てやっていなくては。


 オパールの人は「うん」と重々しくうなずきます。

「宇宙に出るとき最も重要な覚悟は、とにかく、夜と間違えて眠ってしまわないことだ。ひとたび宇宙へ出ると、窓の外には闇と星しか見えませんからね。それを夜だと思ってしまったら、もう一日じゅう、ずっと眠っていなくてはならないから」

 なんだ、そんなことか。ゆみこさんはほっと胸をなでおろし、ちょっとだけ笑ってしまったのですが、しかし子供たちは真剣な顔で、オパールの人が言うことを聞いています。

「夜だと思わないように、しないとね」

「暗くても、夜じゃなくて、宇宙なんだもんね。うっかり寝ちゃわないようにしなくっちゃ」

「部屋じゅう、明るくしているといいよね」

「でも、そうしたら、今度は本当の夜がいつなのか、分からなくなるね」

「じゃあ、しっかり時計を見ていないと」

 男の子とみーちゃんは、顔を突き合わせて、真剣に話し込んでいます。



 そこでゆみこさんは、彼らと共に行く宇宙の旅のために、明かりと時計を用意することにしました。


 明かりは、長江商店で購入したクリスマスキャンドルがありましたので、それを使うことにします。今のお家は舟であり、舟は時おり大きく揺れますので、明かりに炎を使うのは危険です。代わりに、落とし物箱の中で休んでいた、蛍たちに協力してもらうことにしました。


 蛍たちはキャンドルの先にとまりますと、目を閉じて祈るような仕草をするのです。そうしますと、蛍たちの体が、ぼっと山吹色に燃え上がるのです。驚いたゆみこさんが、蛍の炎に手を伸ばします。蛍の炎は熱くなく、しかしはっきりと明るくて、「蛍さん」と呼びかけると、返事をするようにちらちら瞬くのでした。



 時計は、二階の物置部屋にあった古い時計を、石炭の局員さんに頼んで取ってきてもらいました。ぜんまい式の柱時計は、いつだかの三時二十分ですっかり時を止めてしまっており、埃をたっぷりかぶっています。

 埃を払って綺麗にしてから、石炭の局員さんが、真鍮の懐中時計を取り出します。柱時計の、固まってしまった針を動かし、現在時刻に合わせまして、ぜんまいを巻きました。ぎこ、ぎこ、ぎこ。しかし、時計は動き出しません。


「壊れてしまったのかしら」

 ゆみこさんが呟くと、局員さんが首を横に振ります。

「きっと、あんまり長いこと休んでいたもので、時の刻み方を忘れてしまったのでしょう。お手本を見せてあげれば、すぐに動き出すはずです」

 そう言って、自分の懐中時計の文字盤の方を、柱時計へ向けました。

「もっとたくさん、お手本があれば良いのですが」

「時計があれば良いんですね」

 ゆみこさんは、家じゅうの時計を集めることにしました。ゆみこさんのお家には、結構たくさん、時計があるのです。


 まず、リビングの壁にかかっている時計。それから、玄関の、靴箱の上に置いてある時計。寝室の、ベッドの枕元の目覚まし時計。

「ここにも、あったよ」

 と、男の子が、どうやら子供用らしい小さな腕時計を持ってきます。落とし物箱の中に入っていた、誰かの落とし物です。

 集めた時計たちを並べて、みんな文字盤を柱時計の方へ向けて置きます。どうでしょう。柱時計は、時の刻み方を思い出すでしょうか。



 カチカチカチ。秒針の音が響きます。カチカチカチ。規則正しいその音は、集まった時計の数ぶん、重なって、大きく聞こえます。

 カチカチカチ。いつしかそれが、秒針の音ではなく、靴の音になっていることに、ゆみこさんは気が付きました。そして、あら、これは靴の音だわ。と思った瞬間、時計の文字盤から床へ向けて、影が伸びていることにも気が付いたのです。


 影はちょうど、とんがりが五つあるお星さまのような形をしています。頂点のとんがりが頭、横に向かって伸びたとんがりが両腕で、下側のとんがりが両足です。お星さまは見事に足並みを揃えたタップダンスをしており、タップを踏むたびに、靴の裏に打った鋲が、文字盤に打ち付けられます。それが、秒針の進む音なのです。


 カチカチカチ。カッチカッチカッチ。影たちのタップダンスは、寸分も狂わないリズムで続けられます。やがて、柱時計の足元から、音もなく、影が伸びました。

 その影は、自分がどんな形を取れば良いのか、迷っているようでした。ぐにゃり、ぐにゃりと変形しながら、丸くなったり、ウニみたいにたくさんのとんがりを突き出したり。けれど、周りの時計たちがどんな姿をしているのかを見て、やがて同じ、五つのとんがりのあるお星さまの形に落ち着きます。


 カチカチカチ。カッチカッチカッチ。柱時計の影は、おずおずと、タップを踏み始めました。久しぶりなので、あまり自信がないのです。

 ですが、間もなくそのリズムははっきりと自信に満ち、力強い音になっていきます。経験の長さでいえば、ここにあるどの時計たちよりも、あるいはベテランなのです。だってこの柱時計は、ゆみこさんがほんの小さな子供だったころから、このお家にあるのですから。


 カチカチカチ。カッチカッチカッチ。やがてどの時計たちも、全く同じリズムで、正確に、時を刻み始めます。ボーン、ボーンと柱時計の鐘が鳴りました。

「さあ、いよいよこの先が、宇宙だぞ!」

 鐘の音と同時に、オパールの人が、大声で言いました。

「皆、椅子に座って。しっかり掴まっていなさい!」

 ゆみこさんと局員さんは、椅子に深く座って、テーブルの端を掴みました。男の子とみーちゃんは、メレンゲの王様を抱えてソファに座り、頭から毛布をかぶりました。椎の木のクリスマスツリーも、頭の上の雪雲さんや、葉の上の朝霜たちを振り落としてしまわないように、方ソーダ石のお盆の上に、しっかと根を張ってふんばりました。


「いくぞお!」

 オパールの人の掛け声と共に、お家が大きく揺れました。窓の外に跳ねる白い波が、ぱあっと輝いたかと思うと、光の粒になり、窓にぶつかって四方へ弾けました。

 青く深い海はよりいっそう深くなり、やがて青から濃紺へ、そして黒へと変わります。波の音が、耳の奥へと遠ざかります。ゆみこさんの瞼の奥に、夕焼けみたいに赤い光が、すうっと差し込み、そして消えていきました。



 そんなふうにして、ゆみこさんのお家は、とうとう宇宙へと乗り出したのです。宇宙の冷たい闇の中に浮かび、銀河の光の粒をかき分けながら、ゆみこさんのお家は、宇宙の果てを目指す航路へ付いたのでした。

「すごいなあ。本当に、宇宙に来たんだ」

 窓に頬っぺたをくっ付けて、遥かかなたを一生懸命透かし見ながら、男の子が溜め息をつきました。

「本当に、夜みたいだ」

 そうなのです。窓の外は真っ暗。そして、とても静かで、真夜中みたいです。でも、今はまだ、夕方にもならない時間です。ダンス上手な柱時計が、正確な時間を教えてくれているので、間違いありません。


「あなたがいれば、お外がずっと真っ暗でも、朝になったか夜になったか、ちゃんと分かりますね。ありがとう」

 柱時計の足元で、タップダンスを踊っているお星さまの影に、ゆみこさんはお礼を言いました。


「そうね。まだおゆうはん、食べる時間じゃないんだものね」

 みーちゃんが、男の子の隣に座って宇宙を眺めながら、言いました。

「でも、真っ暗だから、やっぱり、夜みたい」

 そして、大きなあくびをひとつ、むにゃむにゃと呑み込んだのでした。


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