12月14日【奇妙なクリスマスツリー】


 かさり。小さな音で、ゆみこさんは目を覚ましました。


 それは、衣擦れの音よりもかすかで、野鼠の寝息よりも小さくて、だけど粉雪の積もる音よりは少し大きな、ささやかな音でした。


 何の音でしょう。ゆみこさんが目を開くと、目の前に、みーちゃんの寝顔がありました。そういえば、昨日は椎の木の下で、みんなで並んで眠ったのです。

 寝返りを打って、反対側を向きますと、男の子の寝顔がありました。ゆみこさんはにっこり笑って、男の子を起こしてしまわないように、そっと、彼の頭を撫でました。



 さて、子供たちの寝顔を堪能しましたら、ゆみこさんは厚手の毛布を肩にかけて、さっきの音の正体を探りに行きます。音は、上の方からしたようでした。

 昨日、網に引っ掛かった落とし物の中に、確か、双眼鏡があったはず。ゆみこさんは落とし物箱の中を探し、そして見つけました。

 灰色の双眼鏡は、おもちゃみたいに軽くて、事実、子供のおもちゃなのでしょう。


 双眼鏡で椎の木の梢を見上げますと、何やら白いものが引っ掛かっているのが見えました。あれは、どうやら封筒です。かさり、とかすかに聞こえたのは、お手紙が届いた音だったのです。


 封筒は、ずいぶん高い場所に引っ掛かっており、とても届きそうにありません。どうやって受け取ろうかしら。と、ゆみこさんが考えていますと、落とし物箱から飛び立つものがありました。


 それは、一羽のハクセキレイです。昨日、落とし物として網にかかった、小鳥の雛が成長したのです。

 ハクセキレイはチチチと鳴いて、封筒の引っ掛かっている枝に降り立ちます。そして、くちばしで封筒をつつきました。封筒は音もなく、木の葉のように、ゆみこさんの足元へと舞い落ちます。

「ありがとう」

 ゆみこさんがお礼を言いますと、ハクセキレイはまたチチチと鳴いて、落とし物箱の片隅へ戻りました。



 椎の木の梢に引っ掛かっていた封筒は、ひんやりとしていて透明な、そう、朝霜の子がここへ来るのに入っていた封筒と、ほとんど同じものでした。

 ゆみこさんは、まだ眠っている朝霜の子の肩を、そっと揺すります。

「おはよう。お手紙が、届いていますよ」

 ゆみこさんの声を聞くや否や、朝霜の子は、ぴょんと跳ね起きました。お隣で眠っていたメレンゲの王様が「なんだ、朝から騒々しい」と、むにゃむにゃ文句を言います。朝霜の子は、メレンゲの王様に「ごめんなさい」と謝ってから、封筒を受け取りました。


 封筒は、冬の朝の空気を思い出させる冷たさで、朝霜の子の手によくなじみました。ゆみこさんが、木製のペーパーナイフを手渡しますと、朝霜の子は恐るおそる、封筒を開きます。


 封筒の中から、白い煙が立ち上りました。それは、空気の中にある小さな水の粒が、寒さのために凍り付き、煙のように見えるのです。氷の煙は、見る間に人の姿になっていきます。ひとり、ふたり、さんにん……氷の人が、たくさん。


「やあ、ようやく会えた。どこへ行っていたの」

 封筒から現れた氷の人が、朝霜の子の手を握りました。朝霜の子の目から、ぽろぽろ、氷の涙がこぼれます。どうやら、会いたかった人に、会えたようです。

 氷の人々は、朝霜の子を取り囲んで、口々に再会を喜びました。

「大きな椎の木が見えたから、この葉になら降りられるかと思って、みんなでここへ来たんだよ」

「今朝もあんまり寒くはなかったけど、ちゃんと降りられてよかったね」

「崩れた橋から、おまえが一番あとに落ちたから、おまえだけ、違う場所へ着いたんだね」

「怪我はない? どこも痛くない? お腹はすいていない?」

 朝霜の子は、みんなから頭やら肩やらを撫でられて、嬉しそうです。


 氷の人々が騒がしくしたために、いつもより早い時間でしたが、子供たちもみんな起きてしまいました。そして、朝霜の子が大勢のお友達に囲まれているのを見て、これが夢ではないことを確かめて、みんな、喜びました。



 存分に朝霜の子を構ったあとで、氷の人のうち、一番背の大きなものが、ゆみこさんに頭を下げました。

「はじめまして。友達が、たいへんお世話になりました」

「いいえ、なんてことないんですよ。良かったですね、また会えて」

「ええ、本当に。ちょうど霜の降りやすい、常緑樹の葉があって助かりました」

 つまり、ゆみこさんの作戦は大成功だったというわけです。


 自分の考えが上手くいったことも、朝霜の子がお友達に会えたことも、それを見た子供たちがにこにこ笑っていることも、何もかもが嬉しくて、ゆみこさんは張り切って、人数分の朝ごはんをこしらえました。


 お鍋でじっくり温めたミルクに、ふわふわのパンを浸します。そこに、粉雪のようなお砂糖をふりかけますと、甘いパン粥の完成です。

 雪雲さんと朝霜の人々、それからメレンゲの王様は、真っ白なパン粥を真っ白なまま。男の子は、きな粉をふりかけて。みーちゃんは、みーちゃんのスカートやお靴とおんなじ色の、赤いイチゴジャムを混ぜて。オパールの人とゆみこさんは、はちみつを溶かして。


 真っ白の中に、それぞれの色と味を、足したり足さなかったりした、それぞれの朝ごはん。みんなでテーブルを囲みまして、いただきます。



「いや、しかし、良かった良かった」

 忙しくスプーンを口に運びながら、オパールの人が言いました。

「何とかなって、良かった。あと何日も探すようだったら、おれの商売が、上がったりになるところだった」

 憎まれ口をきいていても、ゆみこさんは見ていたのです。朝霜の子がお友達と再会したとき、それを見て、オパールの人もにこにこして、手を叩いて喜んでいたこと。


「そうね。あなたにもお仕事があったでしょうに、舟を出してくれて、ありがとうございました」

 ですので、ゆみこさんは丁寧に、オパールの人にお礼を言いました。

「子供たちも、あなたの舟に乗ることが出来て、きっと楽しかったでしょう。本当に、ありがとうございます」

「うん。まあ、そうだろうね」

 オパールの人は、がつがつと、お皿に残っていたパン粥をかき込みました。そして残らず食べてしまうと、さっさとテーブルを離れて舟に戻り、ゆみこさんに背を向けて、網の繕いを始めました。

「そうだろうね。そうだろうよ。うん、良かった良かった」

 などと、なんだか、ぶつぶつ呟きながら。



 朝霜の子らは、オパールの人よりもずっとゆっくり、味わって、パン粥をいただきました。食べながら、味わいながらも、お喋りが止まりません。ここに来るまでに、どうしていたか。どこでもない海の中で、椎の木がどれほど目立ち、朝霜にとってどれほど魅力的な木に見えたか。


「それで、おまえ、怖い思いはしなかったの」

 朝霜たちの中で一番大きい、さっきゆみこさんに挨拶をした子供が、心配そうに言いました。

「ぼくたちは、すぐに互いを見付けられたけれど、おまえはひとりぼっちだったろう」

「うん。でもぼく、すぐにひとりでなくなったから、大丈夫だったよ」

 朝霜の子の視線の先には、男の子がおり、みーちゃんがおり、雪雲さんやメレンゲの王様がおりました。そして、朝霜の子とゆみこさんの目があって、ふたりとも、微笑み合います。

 それを見て、一番年長の子供は、ほっと胸をなでおろしたのでした。




 団らんでなごやかな時間を過ごしておりますと、突然、キンコーン。玄関のチャイムが鳴りましたので、ゆみこさんはびっくりして、銀のスプーンを取り落としました。お客さまがいらしたのです。

 落としたスプーンを拾いながら、ゆみこさんは、そういえば今日は何曜日かしら、と考えました。そして、「あ、いけない」と呟いて、玄関へ向かいました。


「ゆみこさん、こんにちは。配達に参りましたよ」

 玄関を開けますと、長江商店のヨシオさんが、たくさんの荷物を抱えて立っていました。

 そうです。今日は木曜日。ヨシオさんが、荷物を届けに来てくれる日です。すっかり忘れていました。


 ゆみこさんは、たくさん、お買い物をしました。ですので、ヨシオさんが持って来た荷物もたくさんです。パンに小麦粉、卵に牛乳、お砂糖、はちみつ、きな粉、ジャム。食べもの以外もたくさん買ってあります。石鹸、歯ブラシ、小さなタオルに大きなタオル。それからもちろん、毛糸をたくさん。


 リビングから、男の子が駆けてきて、何も言わずに段ボールをひとつ、抱えました。

「ぼく、久しぶり。また手伝ってくれるのかい」

 ヨシオさんのことは無視をして、男の子は黙って、段ボールを運びにかかります。

「相変わらず、頑固な子だなあ。さて、ぼくも運びましょう」

 ヨシオさんは大きな段ボールをみっつも抱えていますので、ゆみこさんはもちろん、それらを家の中へ運んでもらうほか、ないのです。


 今、ゆみこさんのお家には、たくさんの不思議なものがあります。雪雲さんやメレンゲの王様がいます。それに、氷や霜の子供たちもいますし、オパールの人もいます。リビングには大きな椎の木が、天井を突き破って立っていますし、それにそもそも、今、このお家は海を漂っているのです。

 いったい、ヨシオさんを招き入れてしまって、大丈夫なのでしょうか。



 なんて、ゆみこさんの心配はまったく杞憂に終わりました。

「おや、みーちゃん。元気にしてたかい」

 段ボールを運び終わって、ヨシオさんは、みーちゃんの頭を撫でています。みーちゃんはごろごろ喉を鳴らして、撫でられるがままになっています。


 ゆみこさんは驚きました。リビングは、いつもの通りのリビングだったのです。

 つまり、カーペットから椎の木は生えておりませんし、天井もまっさら綺麗なまま。窓の外には、ゆみこさんのお家のお庭と、ゆみこさんの住む町が広がっています。海なんて、どこにもありません。


 もしかして、夢だったのかしら。そんなふうに思ってしまいそうでしたが、しかし、リビングの真ん中にあるものを見付けて、ゆみこさんは思わず笑ってしまいました。

 カーペットの上、みーちゃんが椎の実を植えたあたりに、クリスマスツリーが立っているのです。


 それは、とても奇妙なクリスマスツリーです。鉢植えから生えているでもなく、丸や四角の台に乗っているでもなく、三脚で立っているでもなく、それは円盤状のお盆の上に、根を張って生えているのです。

 お盆はどうやら石で出来ていて、ゆみこさんはその石の名を知らなかったのですが、それは方ソーダ石という鉱石なのでした。波打つ海原によく似た、青い、綺麗な鉱石です。その鉱石から生えている木は、もちろん椎の木です。

 椎の木に、がらくたのようなオーナメントがたくさん引っ掛かって、それぞれでたらめな光を放っています。


 そのでたらめっぷりったら、もう本当に、みんな、慌てて隠れたのでしょう。

 ゆみこさんがくすくす笑うので、ヨシオさんは不思議そうに、ゆみこさんの視線の先を辿ります。


「お、クリスマスツリーじゃないですか」

 でも、クリスマスツリーにしては珍しいかたちをしているなあ。と、ヨシオさんが首をかしげるのも、無理もない話です。椎の木のクリスマスツリーなんて、滅多にありはしないでしょう。


 ヨシオさんは、奇妙なツリーに興味津々です。

「おかしなオーナメントですね。鳥や魚や松ぼっくりはまだしも、これは舟かな? それに、これは双眼鏡。これはサッカーボール。これは……これは、何だろう?」

「それ、メレンゲだよ」

 男の子が、教えてあげます。

「メレンゲの王様だよ。ほら、ここに王冠をかぶってる」

「ああ、本当だ。王冠みたいに見えるね。それにしても、メレンゲのお菓子にしては、いびつな形の飾りだなあ」

 今ごろ王様は、オーナメントのふりをしながら、「なんと無礼な!」と怒っていることでしょう。それを想像して、ゆみこさんも男の子も、にやっと笑いました。みーちゃんは、にゃーんと鳴きました。



 ひととおりツリーを眺めてから、ゆみこさんは今日もヨシオさんに飲み物を勧めたのですが、ヨシオさんは、断りました。今日は、ヨシオさんのお父さんの具合が悪いので、早めに帰りたいのだそうです。

 ヨシオさんのお父さんも、昔は長江商店の店主をやっていました。ゆみこさんとは、顔なじみの仲良しです。長江商店は、代々ずっとこの町でお店をやっていますので、この町に生まれ育った人とは、みんな顔なじみなのです。


「一緒にお茶が出来ないのは残念ですが、お父さまに、どうぞよろしくお伝えくださいね。どうかお大事にと」

「ええ、ありがとうございます。では、また来ます。ぼく、またね」

 ヨシオさんは、男の子に手を振りました。男の子は、むすっとした顔のまま、手を振り返しました。みーちゃんも、にゃーんと鳴いて、またねの挨拶をしました。



 ばたん。玄関のドアが閉まりましたら、

「なんだ、あの男は。無礼にもほどがある!」

 やっぱり、メレンゲの王様が、一番に怒りだしました。


「このメレンゲの王様をつかまえて、言うに事を欠いていびつな形だと! まったく、あのものはけしからん」

「でも王様、ヨシオさんがお荷物を届けてくださるから、私たち、毎日美味しいものが食べられるんですよ」

 ゆみこさんがなだめますと、王様は「うむ」と言っておとなしくなりました。


 王様に続いて、オパールの人もツリーを飛び出して、うーんと背伸びをします。

「オーナメントに舟というのは、そんなにおかしな組み合わせかね。おれは、良いと思うがなあ」

 オパールの人も、ヨシオさんに言われたことを、ちょっとだけ気にしているようです。

「変じゃないよ。ツリーに舟があったら、葉っぱの上をざかざか漕いでいけそうで、すてき」

 みーちゃんが励ましますと、オパールの人は「そうだろう。おれも、そう思う」と言って、機嫌をなおし、網の点検に取り掛かりました。


 雪雲さんと朝霜の子らは、いつまでたっても、ツリーから出て来ようとはしませんでした。ツリーの上にはしんしんと雪が降り、椎の葉には真っ白な霜が降りたまま。どうやら、ツリーの上が気に入ったようです。



「クリスマスらしくなったね」

 奇妙なクリスマスツリーを眺めながら、男の子が、嬉しそうに言いました。

 椎の木のクリスマスツリーは、その葉に霜をたたえつつ、落とし物たちによるでたらめなオーナメントに彩られています。片っぽの靴、双眼鏡、ハクセキレイに蛇の抜け殻。本当に、なんて奇妙なクリスマスツリーなんでしょう。


「変なの。変で、たのしいね」

 みーちゃんが言いました。

「そうね。変で、楽しいね」

 ゆみこさんも、言いました。



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