12月6日【秋の便り】
今日も、いつものようにお湯を沸かして、朝ごはんを食べて、ゆみこさんの一日が始まります。
ここ数日で、ゆみこさんの周りにはたくさんの変化が訪れましたが、基本的なことは、何も変わりません。朝起きて、食事をして、靴下を編む。
「くつしたたくさん。早口言葉みたい」
ゆみこさんが編んだ靴下を、色や柄ごとに仕分けをしながら、男の子が言いました。
「早口言葉、言ってみて。くつしたたくさん」
男の子に促されて、子猫の女の子は「くつしたたくたん」と言いました。それを聞いて、男の子はケッケッケと笑います。
「たくたん、だって」
「言ってない、言ってない。たくさんって言った」
「たくたん、たくたん」
「言ってないったら! ひっかくぞー」
「うわ、爪はやめろよ。靴下が、ほつれる!」
靴下の海の中を、二人の子供が駆け回ります。ゆみこさんは「これ、やめなさい」と言いますが、その声色は優しく、子供たちを見つめる瞳は穏やかそのものです。
そんなふうに過ごしていますと、キンコーン。玄関のチャイムが鳴りました。もしかしたら、お客さまかしら。北風ゆうびん休憩所が開設して初めての、お客さまが来たのかもしれません。
ゆみこさんはドキドキしながら、玄関のドアを開けます。そして玄関ポーチに、封筒が置いてあることに気が付きました。
それは、落ち着いた色味の茶色の封筒でした。和紙を思わせる柔らかい手触りの封筒で、金色の蝋で封がしてあります。
ゆみこさんは封筒をリビングに持ち帰り、木製のペーパーナイフを手に取ります。
今さらながら、お手紙をここで開けてしまっても良いのかしら、と思ったのですが、局員さんには何も言われなかったし、これまで通りにして構わないでしょう。
すすっとペーパーナイフを動かして、ゆみこさんは、封筒を開けました。
すると、
「アー、疲れた。まったく今年はひどいものだわ」
「こんな年、滅多にないよねえ」
「夏が長い年はよくあるけど、こう何度も呼び出されるのはね」
「たまったもんじゃないわよねえ。ああ、疲れた!」
ワッと、声の波がリビングに溢れました。ゆみこさんは驚いて、辺りをきょろきょろ見回します。だって、声はこんなに溢れているのに、声の主たちがどこにも見当たらないのです。
「それにしても、もしかしたら、また行かなきゃならないんですってよ」
「まさか。だってもう師走でしょ。さすがに、もう出番はないわよ」
「それが、ありそうなんだよ。参っちゃうよね」
「でも、休憩所が出来て助かったわね。郵便局って、どうにも堅苦しくって、私、嫌いなの」
きゃあきゃあ、きゃらきゃら。声たちのお喋りは止まりません。まだ姿を見付けられないゆみこさんに、男の子が「ここだよ」と、テーブルの下を指差しました。
ゆみこさんが覗き込みますと、テーブルの下の暗がりに光がありました。よく見てみますと、光はゆみこさんの小指くらいの大きさの、人のかたちをしているのです。どんな顔かたちをしているのかは、分かりません。彼ら彼女らは絶え間なく明滅し、一時たりとも、同じ姿をしていないのです。
「あら、もしかして休憩所のかた?」
覗き込んでいるゆみこさんに気が付いて、光たちのひとりが、顔を上げました。ゆみこさんがまばたきをひとつしますと、光はぱちっと消えて、次の瞬間には、ゆみこさんの右手の方へ立っています。
「ごめんなさいね、暗いところの方が居心地がよくって」
「部屋を暗くしましょうか」
「お構いなく。光の中でだって、私たち、光ることができるから」
そう言って、光の人々はテーブルの上やらソファの上やら、とにかくかがみこまなくても見える場所へ移動しました。ゆみこさんは内心、胸をなでおろしました。かがみこむ姿勢というのは、どうにも体がつらいのです。
光たちは、まさに自由奔放といったふうに、リビング中を駆け回りました。チカッと煌めいては天井まで上り、平べったくなってひらひら舞い降ります。そうかと思えばカーペットの上をスキップして、まあるい足跡を残します。
「これ、どんぐりだ」
光たちの足跡を見て、男の子が言いました。今しがたまで足跡だったものは、まばたきひとつのうちにころりと床に転がって、金色のどんぐりになっているのです。
「あなたたち、もしかして、秋の便り?」
ゆみこさんが尋ねますと、光の人々は「そうよ」「そうだよ」「その通り!」と大喜びです。部屋中を踊りまわりながら、声高に歌います。
黄色はまだまだ夏のいろ キンモクセイにイチョウの並木
ほくほくふかしたサツマイモ ぱっくり割った甘いいろ
橙色こそ秋のいろ モミジにカエデ カキの実 カボチャ
夕焼けこやけの西の空 寂しい気持ちの懐かしいいろ
赤はもうすぐ冬のいろ ヒイラギ ナンテン クロガネモチ
ふくらみ始めたサザンカに まだまだ固いツバキのつぼみ
雪を見上げるこどものほっぺた 寒さに負けない強いいろ
彼ら彼女らの発する光は、黄色に橙色に赤色に、代わるがわる変化します。子猫の女の子は、舞い踊る光を何とかして捕まえようと、あっちへぴょん、こっちへぴょんと跳ねまわるのですが、光たちは笑い転げながら、決してつかまらないのでした。
ひと通り遊びまわったあとで、ようやく秋の便りたちは、カーペットの上で落ち着きました。さすがに、疲れたのでしょう。
「紅茶と、クッキーはいかが?」
ゆみこさんが勧めますと、秋の便りたちはきらきら光って喜びます。
ある秋の便りが、ティーカップの中に飛び込みまして、たちまち紅茶に溶けていきました。秋が溶けた紅茶は、小さな波を立て、淡く金色に発光します。そして、再び秋の便りがティーカップを飛び出したときには、ちょうど大人のひとくちぶんくらい、紅茶が減っているのでした。
「美味しいね、紅茶って。きっと秋の飲み物だね」
「紅茶は季節を問わないわよ。でも、秋のような色だから、私たちの仲間にしてあげてもいいわね」
「このクッキーも、ヒトツバカエデの葉っぱのようだから、秋の仲間ということにしても、良いかもしれない」
好き勝手なことを口々に話しながら、秋の便りたちは、思いおもいにくつろぎました。
「ああ、久しぶりにゆっくり出来た」
たくさんくつろいで、お茶もクッキーも味わって、秋の便りたちは気持ちよさそうに背伸びをしました。
「今年はね、暑いと思ったら寒くなったり、そうかと思ったらまた暑くなったり、ひどい気候だったでしょう。私たち秋は、暑いと寒いの真ん中にいるわけだから、来たり去ったり、大忙しだったんだ」
はちみつ色に光っている秋の便りが、男の子の肩に座って、足をぶらぶらさせながら言いました。
「それでぼくたち、郵便局に行ったり、配達されたり、せっかく配達されたのに冬に先回りされてお払い箱になったり、散々だったの」
それはそれは、今年は秋にとっては、なんとも忙しく、忙しいわりに報われることのない年だったでしょう。
「でも、郵便局に休憩所が出来たおかげで、ほんとに助かったわ」
秋の便りがそう言いましたので、ゆみこさんはくすぐったくなって、くすくす笑いながら肩をすくめました。
「ねえ。玄関の看板を見て、来たの?」
と、男の子が尋ねます。秋の便りが「そうよ」と言ったので、男の子もくすぐったそうに笑って、ゆみこさんの真似をして、ちょっと肩をすくめました。
「さて、では充分休憩したことだし、私たち、郵便局へ戻ろうか」
日が暮れて、窓から寒さが這い寄り始めたころ、秋の便りがそう言いました。
「あら、そうなの」
ゆみこさんはてっきり、彼ら彼女らも迷子だと思っていたのです。行き場をなくした秋の便りが、ここに辿り着いたのだと思っていました。けれどどうやら秋の便りたちは、本当にただ休憩をしに来ただけのようでした。
「私たち、行き先がないわけではないんだよ。向こうの山の木々の上に、冬支度をする猪や狸や熊や兎たちの上に、届けられなきゃいけないのだから」
「ちゃんと、受け取ってもらえる?」
そう尋ねたのは、男の子です。秋の便りたちがうなずきますと、男の子は「いいなあ」と口をとがらせました。
「人間は、目が良すぎるからね。目に見えないものは、ないと思いこんでいるから。人間宛てのお手紙は、なかなか届きにくいだろうけど」
南天色の秋の便りが、拗ねる男の子の頭に降り立って、ごわごわした短い髪の毛を撫でました。
「でも、いつかきみも受け取ってもらえるように、お祈りしておくからね」
男の子は「うん」と言って、くすぐったかったのか、頭をぷるぷる振りました。そうすると、頭の上の秋の便りは、ひゅうと木枯らしになって、玄関の方へ飛んで行ってしまいました。
「さあ、ではおもてなしのお礼をしたら、去ることにしよう」
無数の秋の便りたちは、ひとつの黄金の光となって、リビングから玄関までひとすじの道を描きました。砂金をさらに細かく粉にして敷き詰めたような、光の道です。
「ちょうど、この家に足りないものがあるから、ぼくたちから」
「わたしたちから、それを贈るわね」
秋の便りたちの声は、広いホールに反響しているように、何重にも折り重なって聞こえます。右からも左からも、上からも下からも聞こえます。
「足りないものって?」
ゆみこさんの言葉に、秋の便りたちはきゃらきゃら笑いました。笑いながら、ゆみこさんの質問には答えずに、光の道を揺らめかせます。
「では、さようなら、ゆみこさん!」
「さようなら、子供たち!」
「さようなら!」
黄金の光が、ごうっと音を立ててリビング中に渦巻きました。それから金色の光は、秋の突風になって、あっという間に玄関から出ていきました。
あとに残ったのは、ほのかな枯れ葉の匂いばかり。
「足りないものって、なんだったのかしら」
ゆみこさんは呟きます。心当たりなんて、少しもありません。
けれど答えは、すぐに分かりました。
「ゆみこさーん! 来て、来てー!」
秋を追いかけて玄関の外まで行った子供たちが、ゆみこさんを呼んでいます。ゆみこさんは厚手のストールを肩にかけて、玄関の方へ向かいました。
「見て、あれ!」
男の子が、玄関の外からお家へ向かって、上の方を指差しています。子猫の女の子は、小さなお口をぽかんと開けて、男の子の指差す方をただただ見上げています。
「なあに、どうしたの」
靴を履いて、ゆみこさんも外に出ました。そして、男の子の指差す方を見て、あっと声を上げました。
ゆみこさんのお家の屋根が、ぴかぴか光っています。どんぐりだったり、柿の実だったり、イチョウの葉だったりが、金色の細いチェーンからぶら下がって、光っているのです。黄色、橙色、赤色、それから金色。なんて豪華なイルミネーションでしょう。
「足りないものって、イルミネーションだったんだ。クリスマスの、イルミネーションだよ」
男の子が、言いました。
「そうか、クリスマスなんだ……」
その声が、あんまり切なげでしたので、ゆみこさんは思わず、男の子の肩を抱き寄せました。男の子はちょっと嫌がりましたが、暴れたり逃げ出したりはしませんでした。
そうして寄り添ったまま、夜の中に輝くイルミネーションを、気の済むまでずっと、見上げました。気の済むまでというか、子猫の女の子が「へっぷち」とくしゃみをするまで、です。
「寒いわね」とゆみこさんが言いますと、子猫の女の子は「うん」と言って、鼻水をすすりました。
「さあ、ではお家に入って、温かい紅茶を飲みましょう」
ゆみこさんと子供たちは、連れだってお家へ戻りました。そしてこのたび、勝手に秋の仲間と認定された紅茶を、たっぷりいただいたのでした。
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