第2話 エントツ

「ねえ、エイトオー。あなたに提案があるのだけど」


 薄暗い店内に流れるのは、マイルス・デイビス、シェイカー、そして鈴を転がしたようなレディの声。エイトオーは聞いているのかいないのか。ゆらゆらと振り子のようにグラスを揺らし、氷を遊ばせている。


「私にセヴンシックス76の捕縛任務を手伝わせてもらえないかしら」


 セヴンシックス。それはエイトオーの同期サンタクロースにして、ラヴクラフト財団から脱走したお尋ね者の名前。現役時代のコードネームはアイスブレイドice blade、今のコードネームはクリムゾンタスクcrimson tusk――俗にブラックサンタという。


レッドウィッチred witch、偽りの顔で協力を持ちかけるお前の助けなどいらん。……あいつは俺の獲物だ」

「居場所は見つけられたのかしら?」

「……」


 グラスの中で氷がコロンと音を立てた。


「お待たせしました。当店のオリジナルカクテル、チャーリーズヘヴンです。ごゆっくり」


 マスターが気泡の見える赤と緑の二層のリキュールをさりげなく差し出せば、レディは目を細めてカクテルグラスのステムをつまみ、まずは一口、喉に通す。


「奴は郊外の小さな廃工場にいるわ。エイトオー、私を利用しなさい」

「……勝手にしろ」


 マスターの口角が僅かに上がった。



 ***



【ラブクラフト財団】(以下、財団と呼称)

 世界最大のおもちゃメーカー七天堂しちてんどうの創業者一族・ラヴクラフト家が創設した、子供たちの幸せのために存在する歴史ある慈善団体である。

 野生のサンタクロースが絶滅し、子供たちへのクリスマスプレゼント配布事業が危ぶまれたとき、財団は事業を引き継ぐ大英断を行なった。今日こんにちでは世界中の町に財団が雇用した専業サンタクロースと、財団から委託を受けた季節サンタクロースが存在している。

 しかし、それはあくまでも財団の表の顔だった。

 何事も表があれば裏がある。

 財団は密かに専業サンタクロースの中から適性のある者を選抜しては過酷な訓練を課し、子供を狙う悪を駆逐しているのだ。


 全ては子供たちの笑顔のために。



 ***



 翌早朝。二人の姿は郊外に在った。

 コードネーム:レッドウィッチことナインツーも、エイトオーと同じ財団製のサンタスーツでの出勤だ。やはり、彼女の鍛え抜かれた筋肉がこれでもかと自己主張しているが、エイトオーにはそれはどうでも良いことだった。


「変装してないお前の顔はなんだかほっとするぜ」


 昨日のキリリとした顔、そして今のマッスルボディからは想像できないほどに、サングラスの奥のまなじりは垂れ、口元は緩く、柔和そのものと言っても良い顔である。これから捕縛作戦に挑むことなど誰も信じまい。


「……それで作戦は?」


 ナインツーの口調は険しいが、本当はこれも変装なのではないかと思うほどに、その顔は変わらず穏やかである。


「ソリ男によれば、この廃工場の入り口は正面と横の二つだけ。二階はないが地下にも作業場がある。地下への入り口は一か所だけだ」

「つまり、正面と横から侵入後、地下への入り口を見張りつつ一階部分を捜索、居なければ地下と、こういうことね。正面は誰が?」

「俺が行く。横の出入り口は俺には小さい」

「分かったわ。それにしてもあなたのそれ。ショットガンなんて随分と大袈裟じゃない?」

「相手はサンタスーツも持ち逃げしてるんだぜ? ショットガンくらいじゃ死なねーよ。寧ろお前が持ってるトイバッグ三式の方が俺としちゃあ心配なんだがな」

「大丈夫よ。殺傷能力が低いハンドショックガンの方が、余程捕縛には向いてるでしょう?」

「そうだといいがな。……エントツは正常か?」

「ええ、問題ないわ」

「行くか」


 エイトオーは正面に、ナインツーは側面にそれぞれ近づき、サングラスのテンプルを人差し指でトントンと二回鳴らした。

 エイトオーがエントツと呼んだサングラス。これも財団が開発した専業サンタ用の”おもちゃ”である。その機能は仮想ディスプレイによる情報表示、テキストメッセージの秘匿通信、暗視など多岐にわたる優れ物で、今回のような任務には欠かせない。

 そうして空が東雲色に染まり始めた時刻、二人のサンタはドアが無い入口をくぐり、廃工場に踏み込んだ。

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