第9話 泣き叫んだりなどはしない
「ちょ、ちょっと待ってくれ。お前は一体何を言って」
ワケの分からないことを言ったジギスムントの真意を確認しようとして――、
整った顔が視界から消えて、言葉を切った。今、俺は無重力状態にあるのだった。少し身じろぎしただけで肉体は明後日の方へ向く。静止していることができない。慣性を遮るものは空気だけ。
もちろん、理解はまったく追いつかなかった。混乱が脳を支配している。西暦四〇〇〇年だと? どうしていきなり重力がなくなった? いや、両親が既に死んでるって?
「昨日も……」
納得できるはずがない。両親は昨日も俺の病室をそれぞれ訪れて、一日の出来事を語ったのだ。俺は瞼を微かにひくつかせて、精一杯返事をした。よく覚えている。なにせ昨日のことだから。
両親が言うことは仕事の愚痴が大半だから、いつもほとんど理解できない。だが、それでも良かった。両親は毎日見舞いに来るから話しの種が尽きるのが当然だし、俺から話題を振ることは出来ない。ともかく、会話をした気分になれることが重要だった。俺に生きて欲しいと願うその思いが、生きる気力の糧そのものであった。
その両親が、死んでいる……?
理解できない。ありえない。ありえて良い筈がない。
だが――、
「マジで痛ぇ……」
自分で自分の左頬を叩いてみた。全力で。右頬はジギスムントとやらのせいで既に痛いから、左にした。両頬がじんじんと持ち主に苦言を呈した。衝撃で上下左右が更にかき回される。無重力って面倒だ。
夢ではないと理解する。
両頬の痛みは間違いなく存在している。非現実的ではあるが、これは現実らしい。俺の体が動くことも、俺の身体が宙に浮いていることも、突如現れた窓の向こうが宇宙であることも。
「時間はないが、一分なら泣き叫ぶことを許そう。俺とて他人を慮ることは出来る。事情が事情だからな」
つらつらと語るジギスムントの顔は、治療計画を告げる医師によく似ていた。自らと他人を、別世界の存在であるかのように切り離した態度だった。もちろん、俺を担当していた医者は、これほど無神経な男ではなかったけれど。
「ほら、泣き叫べ。少しは気分が良くなるだろう」
深く息を吸って、長く吐いた。
冷静に、自分の精神状態を直視してみる。
怒りがある。ワケの分からない単語を羅列する、暴力的かつ無神経かつイケメンの皇子に対する怒りが。同時に、不自由だった肉体が動くことの幸福についても忘れてはいなかった。
そして、眠りにつき、目が覚めて、両親が死んでいたという事実に思いを馳せる。
堪えようもない悲しみを、確かに感じていた。
すべてがぐちゃぐちゃになって、体中を感情が荒れ狂っていて、それでも俺は――、
「なぁ、説明してくれよ」
泣き叫んだりはしなかった。
「……うん? 貴様は庶民の生まれだろう。親が死んだら泣くものではないのか?」
「正直に胸中を明かせば、理解が追いつかない。それに」
「それに?」
「お前の、すべて分かった風な顔が気に食わない。お前の整った面が気に食わない。お前の身体が気に食わない。上から目線の態度が気に食わない。気に食わない気に食わない気に食わない!! いいかジギスムント!! ほとんどすべての人間に、当たり前のように与えられるべき『人生』とやらが俺にはなかった! すべては清潔で窮屈な病室の中だ!!」
口にする端からどんどんと、心の内に溜まった何かが上げてくる。人生初ではないか、こんな長広舌。息が切れそうだった。死を迎えるだけだった俺の中に、こんな感情があったのか。何故か清々しい気分になりながらも、叫び続ける。
「そんな俺が!? 『不自由は感じたことなどありません』と書いてあるような顔で! 堂々としているお前の! 眼の前で! 泣き叫ぶ!!?」
「俺の顔に悪戯書きをする者がいれば反逆罪で死刑だ。なにせ皇子なのでな」
「茶々を入れるな! いいか。病室には何もないし、身体がまったく動かなくとも、だ! 俺は幸せなのだと、病を治そうとする人々の期待に応える意志があるのだと、両親の優しさに応えられるのだと! 瞼や指を微かに震わせて!! 証明してきた!! 病室でもプライドだけは十分に学べるんだぜ! だから、だから! 泣き叫んだりなど! 絶ッ、ゲェ……」
「カッコがつかない男だ」
「ゴォッ、ウゥゥエッッ……」
息を切らし、えずいてしまった。糞が。本当に俺はなんにも出来ないな。
だが、だが! 俺は決意を込めて断言――、
「ウェ……」
「水とティッシュを持ってこさせようか?」
おっと、失敗。
ともかく、俺は睨む。すべてが不愉快に感じられるジギスムントの顔を。
イケメンで、どんな表情を浮かべていても様になる造形だった。威厳にみちた表情。人を従えるのを当然と思っているに違いない。身体はでかく、引き締まっている。おまけに銀河帝国の皇子だ。銀河帝国だと? 意味がわからないが、さぞ裕福なのだろう。不自由なんて言葉を、聞いたことすらないだろう。
少々筋違いな主張をしている自覚はあった。もちろんわかっている。ああ、だいぶ筋違いだ。偉そう過ぎるだけで、別にこの男は俺に害をなしたワケではない。その台詞が真ならば、俺を助けたのだろう。
だが、悪態をつく以外に何が出来る? いつもどおり眠りについて目覚めたら、二〇〇〇年が経過していて、併せて両親が死んでいんだぜ。何もかもが理解できなかった。だから、唯一理解できる、気に食わない人間への怒りという感情に縋ったというわけ。
いやはや案外――、
生まれて初めての激情に支配されたまま、ジギスムントの顔を睨みながら思う。こんなに荒唐無稽な現実を目の前にしても、案外、冷静に自分の精神状態を分析できるんだな。
「絶対に、泣き叫んだりなど、しない!!」
俺は今度こそ断言した。
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