第318話(他者視点)

 その日、珍しくナフは普段より早く起きた。

 昨日は緊張で眠れないと思っていたが、案外すんなりと眠りにつくことができ、朝の目覚めは爽快だった。

 寝起きが遅くなるのを想定して、すでに荷物は昨日のうちにまとめてしまったものだから、早く起きてもやることはない。


 父も、ここ最近娘が忙しくしていることはわかっている。

 朝食を用意するのもすっかり父の仕事になってしまった。

 だから、すでに居間からは美味しそうな匂いが漂っていて、ますますナフは仕事がない。


 父に軽く挨拶をして、手持ち無沙汰に店の方へ出る。

 今日は特別な日だが、店にとって特別ということはない。

 いつもと変わらず、父の作った武器や他所から仕入れた武器が並んでいた。


 本当にここは変わらない。

 父に自分も歳を取る。

 そうすれば変わっていくものは多くある。

 だが、この店はいつだって変わらない。

 ナフが幼かったころから、ずっと。


 きっと、帰ってきても変わってはいないんだろう。


 そう思って、店の中を歩いていると、ふと変化に気づいた。

 店の一角に、不思議な剣が置いてある。

 他よりも少し不格好で――だが、商品としては問題ない。

 まぁ、どこにでもある普通の剣だ。

 どうしてこんなものが? と考えて――思い至った。

 これは、自分の剣だ。


 一瞬にして頭の天辺からつま先までが真っ赤になる。

 何をしてくれとるんだあのバカ親父、親ばかにもほどがある。

 そう、怒鳴り込もうかと考えて――やめた。

 だってこれは、自分がこの店に残していける数少ないものなのだから。

 恥ずかしいが、ギリギリ妥協のできる範囲。

 そう考えて、剣の柄に手を触れる。


「――行ってきます」


 その言葉が漏れたのは、自然なことだった。



 ヒーシャは、朝早くから家事に追われていた。

 母親は快復したものの、呪いのせいで家事は殆どやったことがない。

 ”それしかできないから”という理由で、体調がいい時は家事をやってきたのでできないというわけではないのだが。

 それでも、毎日の台所を守るヒーシャからしてみれば、少し不安だ。


 ただ、これまで自分を手伝ってくれた妹たちがいる。

 母は不慣れなだけで基本はわかっているから、慣れれば問題はないだろう。

 とはいえ、今日は最後の一日だ。

 これからしばらく、家を離れる。

 不安なヒーシャは、その不安を吹き飛ばすためにこうして家事に勤しんでいるわけだ。


 そうこうしていると、母が起きてきて驚いた様子でヒーシャを見る。

 今日くらいは、ゆっくり休んでくれていていいのに、と。

 ヒーシャは首を横に振る。

 今日くらいは、しっかりやっておかないと、と。

 二人は顔を見合わせて、困ったように笑った。


 結局、家事は二人でやることになった。

 母も少し手つきはおぼつかないものの、淀みなく朝食の準備をしている。

 そうなってくると、自然と二人は話をするようになった。

 これまでも、色々と話しをしてきたけれど。

 今日の会話は、不思議と今までよりずっとはずんだ気がした。

 だが、総じて言えるのは、ヒーシャは希望を語っていた。

 今日、この家を離れ旅に出る。

 長年住み続けた家を離れることに、希望を持てることがどれだけ幸福か。

 母親はそれを、よく理解しているようだった。


 妹たちも、少し遅れて起きてくる。

 眠そうな彼女たちに挨拶を返し、全員の顔を改めてみた時。


「――行ってきます」


 ヒーシャの口から、当たり前のようにその言葉はこぼれたのだった。

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