猫にもなれば虎にもなる
三鹿ショート
猫にもなれば虎にもなる
私は、夢でも見ているのだろうか。
素行が良く、優等生として知られている彼女が、私を虐げていた人間たちに対して、暴力を振るっている。
周囲には血液が飛び散り、地面には歯が転がっていた。
相手が命乞いのような言葉を吐いたとしても、彼女はその手を緩めることはなかった。
ある人間に対しては、指を一本ずつ折った。
ある人間に対しては、一物を何度も踏みつけた。
ある人間に対しては、眼窩に石ころを詰めていった。
何故、彼女がそのような行為に及んだのか、私には分からない。
邪魔をすれば、私までもが同じ目に遭うのではないかと恐れ、声をかけることもできなかった。
やがて、私を虐げていた人間たちが揃って動くことがなくなると、彼女は血まみれの手で私の身体を起こし、
「これで、あなたは安全です」
そう告げると、その場を後にした。
私はしばらくその場で立ち尽くしていたが、数秒後、慌てて彼女を追った。
***
何故私を救ってくれたのかと問うと、彼女は手に付着していた血液を手巾で拭き取りながら、
「あなたが助けを求めるような目で、私を見たからです」
その言葉に、私は感動のようなものを覚えた。
これまで、私が虐げられている現場を目撃したとしても、手を差し伸べてくれる人間は存在していなかった。
多勢に無勢であり、自分までもが標的と化すことを恐れれば、当然だろう。
その気持ちは理解することができるが、それでも、目が合いながらも何の行動もしてくれなかった人々に対して、恨みを抱いていた。
だが、彼女は異なっていた。
今回の出来事が露見すれば、己の立場が危うくなることは理解しているにも関わらず、彼女は私を救ってくれたのである。
ゆえに、私は恩返しをする必要があった。
いや、恩返しをしなければ、私の気が済まなかった。
しかし、私の言葉に対して、彼女は首を横に振った。
「私が勝手に行動しただけのことであり、何もする必要はありません。それでも気になるというのならば、今後は幸福な日々を送ってほしいものです。それならば、私が救った甲斐もあるというものです」
その言葉に、私は痺れた。
彼女はまるで、英雄のようだった。
***
私を虐げていた人間たちの悪行は多くの人間が知っていたために、彼女が罪に問われることはなかった。
だが、彼女の行為は他者の知るところとなり、それまで彼女に気軽に接していた人間たちは、彼女に近付くことがなくなった。
しかし、彼女は孤独と化したことを気にすることなく、今までの生活を続けていた。
一体、どのような人生を送れば、そのような強さを得ることができるのだろうか。
私の問いに、彼女は首を横に振ると、
「私は、私の思うままに生きているだけです。自分の感情に従っているだけですから、特別なことは何もしていません」
彼女のような人間こそ、世界を変えることができるのではないか。
私は、彼女から目を離すことができなくなってしまったのだった。
***
学生という身分を失ってからも、彼女の言動に変化は無かった。
どれほど周囲に嫌われたとしても、彼女はその優れた能力によって、人々を黙らせていた。
最終的に、彼女はどのような未来に到達することを考えているのだろうか。
それを問うと、彼女は首を傾げた。
「考えたこともありません。このまま行けば、多くの人間を支配することも可能と化すでしょうが、それは単なる結果であり、私がそれを望んでいるわけではありません」
ある意味で、彼女は恐ろしい存在だった。
彼女のような優れた人間が、大多数の人間を苦しめるような欲望を抱いた場合、それは間違いなく実現するだろう。
ゆえに、彼女にはこのまま、無欲で生き続けてほしかった。
***
ある日、彼女の自宅へと向かうと、彼女は首を吊っていた。
その光景に、私は腰を抜かしてしまったが、机上に手紙が置いてあることに気が付いた。
震える手で手紙の内容を確認したところ、どうやら彼女は、思い通りと化す人生に嫌気が差したらしい。
それは、優秀なる人間ゆえの贅沢な悩みだと言ってよいだろう。
だが、本人の苦痛は、本人だけが理解することができるものである。
裕福な人間を見て羨ましいと思ったとしても、その人間がその人生を得るまでにどれほどの艱難辛苦を乗り越えてきたのかは、私の知るところではない。
私には想像することもできないが、彼女にも彼女なりの苦痛が存在し、それに耐えることができなくなったからこそ、この世を去るという選択をしたのだろう。
彼女のような優秀な人間がこの世を去り、私や他の人々のように凡庸たる存在ばかりが生き続けている世の中は、奇妙なものである。
猫にもなれば虎にもなる 三鹿ショート @mijikashort
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