ないな……

「いらっしゃいま……」


 せ、まで言う前に接客用の笑顔と声が止まった。


「よ、お疲れさん」


 新野くんがスマホだけ持って店に入って来た。こいつ、大学に何しに来てるんだろ。


 私は素に戻ってため息をつきながら奥のテーブルを指さす。


「ちゃんと飲み物か食べ物注文してね。それから長居するなら窓際の席占領しないでね。ちゃんとしたお客さん用に空けておきたいから」

「俺はちゃんとした客じゃないのかよ」


 言葉ではぶつくさ文句を言っているが、顔は少しも嫌がってない。多分どうせまた長居するつもりなのだろう。


(由依の講義が終わるまでの時間つぶしね、はいはい)


 私は心の中で自分の頬を叩いて気持ちを切り替える。いや、むしろバイト中でよかった。これが一人で帰宅中とかなら、目から何か零れていたかもしれない。


◇◆◇


 入学式で、私は生まれて初めて恋をした。


 初めてだから恋とかなんとかよくわかって無かった。だけど一人の男の子から目が離せなくなって、式が終わった後に学科別に分かれて説明を受けるときに、その男の子も同じ学科だと分かって一気にテンションが上がった。

 上がり過ぎて気がつけば隣の席に座ってた。


「俺、新野隆です。よろしく」

「よ、吉川潤子です……」


 新入生同士、少しでも顔見知りを増やしたい気持ちはお互い様だし、早い子はもうあちこちでスマホを取り出して見せあっている。何かのID交換でもしているのだろう。それと比べれば名前を名乗り合うなんて挨拶と変わらない。

 だけど私はその時、彼、新野くんにとって自分は他の子達より少しだけ特別な存在なんじゃないか、って思うことが出来た。


 だけどそんな妄想はすぐに崩れた。

 新入生合同の飲み会の席に、由依が現れた。

 その時の新野くんの顔は今でもはっきり覚えてる。すぐに消去したいのにそう思えば思うほど鮮明で、もしかしたらエフェクトかかってるかもしれないくらいキラキラしてた。


 多分、あの時新野くんは由依に恋したんだろう。だろう、じゃなくて確実に。

 だって、入学式の時の私と同じ顔してたから。


◇◆◇


「潤子ちゃん、まだ早いけど彼来てるなら早上がりしてもいいよ?」


 退店したお客様のグラスを下げて戻ってきたら、バイトリーダーが声をかけてくれた。

 早上がり、と言われて気が緩んだのもつかの間、別のキーワードに驚いてしまった。


「あ、いや、彼氏じゃないですって。あれはただ学科が同じってだけで」

「あら、そうなの? いつも仲よさそうにしてるからてっきり付き合ってるんだと思ってたー」


 ごめんねー、と笑いながら、リーダーさんはフロアへ戻っていく。私は入れ替わりで更衣室へ入り、扉を閉めて大きくため息をついた。

 それは後ろめたさを吐き出すため息だ。


(学科が同じ、っていうか、友達の彼氏だ、って言えばいいのに……)


 誰にも気づかれないようなしょぼい見栄に縋る自分が、この世で一番矮小に思えた。

 

◇◆◇


 私は新野くんのことが今でも好き。だと思う。

 会えれば嬉しい、会話が出来ると楽しい、名前を呼ばれるとドキッとする。


 でも由依を見る目で私を見てくれることはない。

 おそらくこの先もないだろう。

 もしも二人が別れることになったとしても、新野くんの目は私を素通りして他の子を見る、気がする。

 

『そんなに好きなら告っちゃえば?』


 以前ネットで匿名相談したら、色んな人からそう言われた。由依と友達を辞める覚悟で、フラれたら新野くんとも二度と口を聞かない覚悟で、そうすることも出来なくはないかもしれない。


 二人が並んで歩いているところ見たりすれば、勢いでそうしたくなることも、なくはない。


 けど今もまだ、告るどころかそれらしい気配すら出せずにいる。昼間だって由依に『次は由依が花嫁だね』なんて心にもないことを言ってしまった。言ってから自分で自分の心を口から吐き出したいくらい気持ち悪くなった。


 由依のことが嫌いなわけではない。だってあの子、ボーっとしてるところあるけどいい子だもん。それに何より、可愛い。私だって自分が男だったら……私より由依を選ぶと思う。

 

 いや、違うな……。ううん、違わないけど、やっぱり心のどこかで思ってる。


『どうして先に知り合ってた私じゃなくて、由依なの?』


 って。

 

 このままだと、あの二人結婚するのかな。新野くんとも由依とも友だちの私は、余程のことが無ければ結婚式に呼ばれたりするのかな。


 ちょっとそれは……勘弁してほしい。




 好きって言えば、もしかしたら、私にも万に一つの可能性はあるのだろうか。

 

 いや、ない。というか、そんな勝率の低い賭けはしたくない。


 結局リスクを取ることが出来ない程度のものなんだよ、私の気持ちなんて。

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