心が揺れている時に優しい言葉をかけて欲しくない

第44話

 はぁ。こんなすっごい高級外車なんて、あたしがお仕事させてもらっているようなスタジオでは永遠に見ることはないだろう。


 内装の美しさや、丁寧に手入れされている車の助手席に座ることができるなんて、夢みたい。なにより車の中はとても温かいの。


 コウヘイさんは、臼井のがさつな行動なんてしなくて、後部座席からコンビニのおむすびやお茶、スイーツなんかが入っている袋をあたしに差し出す。車はだんだん暗くなってきたから、外灯の下に停めた。エンジンを切っても、さっきとそう変わりなく、あたたかい。


 でも、どうして? あんなにかたくなに姿を見せてくれなかったのに。


「お腹、空いているでしょう?」

「はい。とても。とても……。あれ? おかしいなぁ。どうして涙なんか」


 とめどなく流れ落ちる涙。


 鼻孔をくすぐる薔薇の香り。


 あの時、あの学校にいた全員が助かるわけなんてなくて。あたしがもっと早く、コウヘイさんを見つけていれば、違う未来があったかもしれないのにっ。


「きみは、とても繊細なんだね。臼井なんかにくれてやるのが惜しくなってきた」


 そんなことを言われても、全然うれしくなかった。喉だけがひりひりと裂けるように痛くて。でも、あの子たちみんなはもっと痛くて怖くて、苦しい思いをしたんだから。あたしなんて、どうなってもかまわない。


「今度は自暴自棄か。そう自分を責める気持ちはわからなくもない。だけど今なら、あの瞬間のあの時に戻れる可能性がある。そう、今度はすぐにおれを見つけられるはずだよ。最初よりたくさんの力を手に入れたおれだからこそ、できること。ノゾミなんかには到底できないことだよ」


 あたしは、一瞬しゃくりあげてから、コウヘイさんの薔薇の香りにすがるような思いで彼を見上げた。心持ち節くれだった指が、あたしの涙を掬い取る。


「時間を戻すんだ。タイムマシーンでも、タイムリープでもない。電磁回転の逆流さ。それによって、彼らは救われるはずなんだ」

「でもあたし、あなたを見つけられなかった」


 それは、と囁いて、コウヘイさんは、あたしの黒髪の一束を手に取り、するすると手のひらから滑り落ちた。まるでそれが、神聖な儀式かのように思えて、彼を見上げる。


 コウヘイさんの厚い手のひらが、優しくあたしの頬をなでる。やっぱり、臼井とは全然違う。


「おれと契約するんだ。そうすれば次からは簡単に見つけられるようになる。だから、きみのマネージャー。山田 マチ子がきみに託したものを、おれに譲ってくれないかな?」


 ……約束。したもん。誰にも見せない、渡さないってそういう約束をしたもん。


「嫌ですっ」

「そう? その時、山田 マチ子はどこにいた? いたいけな少女の気持ちを弄ぶように、弓矢の引き方を教えていたよねぇ? それでも、彼女を信じるつもり?」

「っ!! それを言うのなら、どうして呪いなんてかけるんですかっ!? 臼井と顔と声まで似せて。あたしって、そんなに弱く見えますか?」

「おれにはそうとしか見えないけど? きみの優しさは、諸刃の刃。他人を優先させたせいで、すべての命を犠牲にしてしまう」


 よくもまぁ、加減してれば流麗りゅうれいにペラペラと。


 おっと。芝居をつづけなくちゃ。たとえ誰にも見てもらえなくても。


「知っていると思うが、おれはノゾミが嫌いなんだ。いつまでたってもあの姿のまま。女装までして。おれをロリコンかなにかと間違えているのだろうね? でも、きみは違うよね? だからここに居る。敵の車だ。下手をすれば命に関わるかもしれないのに。なぜか?」

「っく!!」


 ま、まずい。これってかなりなやつだ。まさかここまでだとは思ってなかった。どうしようマチ子さん!?


「きみはおれに惚れているよね。たしかにおれは、臼井に似せて形成した。臼井なんかよりスタイリッシュで優しくて、紳士的だろう?」

「学校。本当に救えるんですよね?」


 これ以上はこらえきれそうになくて、必死に話を学校へと戻す。ったく、この男。口から先に生まれてきたっしょ!?


「そう、学校。とても悲惨だったよね? もしきみが、おれを選ばないのならば、学校はあのままだ。現在は結界の中の出来事として扱われているが、おれがパチンと指を鳴らせば、あの惨状が表に出てきてしまう。親御さんもお気の毒に。そしてこれは、世界に報道されるだろう。知らないうちに起きた惨事について、警察も報道関係もごちゃまぜになってさ。きみの正義はそれでいいの?」


 カバンをきつく抱きしめていた。それなのに、体中がガクガクと震える。冷や汗と過呼吸で、胃の中のものをすべて吐き出してしまいたくなるほどに。


「山田 マチ子の伝言、きみには解けないだろう? 彼女、パズルが大好きでね。彼女がメモを残したものは、たいてい複雑に作ってあるのさ」


 そうかな? 割りとシンプルだと思ったんだけどな。っていうか、そろそろ本気で困る〜。


「さぁ。いい子だから、それを渡して」

「……絶対に嫌っ」

「ふぅ〜ん? なら、力づくで取り上げるよ?」


 あたしはカバンを強く握りしめ、絶対に渡さないと心に決めた。


 と、そこで。カバンの中から、意外な音が聞こえた。よりによって、ゲップだなんて。


 もう、笑わないあたしを笑わせる一歩手前て。さすがです。


「まったくもってペラペラペラペラと。見ろ。お嬢の仮面が今にも剥がれてしまいそうじゃ」


 これは、計算していたわけでもなんでもないのだけれど、カバンの中から東原様が飛び出てきた。


「女子供を脅かしたり、暴力を振るうなんて、最低な悪党だのう。まさに、臼井青年の皮を被った宇宙人めっ」


 ちょっとなにかが違っているような気もしたけど、小さな体になってしまった東原様が、大量の御札をコウヘイさんに投げつける!!


 途端に、コウヘイさんだったモノが、ドロドロと溶け始めた。これじゃ、臼井が死んじゃう。


「笠原さんや。心配せんでもこの者が青年の体に取り付くことなんてできんのだよ。すなわち、この者の本性は、人間世界で取り込んできた、人間の中に蠢くたくさんの黒い感情の塊とアスファルトを混ぜ込んだ機械のパーツのほんの一つなのじゃからな」

「くっ。学校はあのままだぞ? いいんだな? おれを敵に回して。お前なんか、なんの取り柄もないクセに」

「タワケ!!」


 東原様が、懐から扇子を出してコウヘイさんの頭を叩いた。もはや不気味な液体になりかけているコウヘイさんをよそに、東原様からすぐ車から降りるように言われた。


 車は車で、なぜか粘着質になっていて、まともにドアが開かない。


「きえっ!!」


 東原様、今度はドアに御札を撒き散らし、実在を消し去る。あたしは東原様を抱えて外に出た。


「なんだよ。つまんねぇ女」


 コウヘイさんの捨て台詞も、東原さんが出したスプレー式の御札で包まれて、やがて車ごと消えてしまった。


 そこでようやく、ずっと耐えていた笑いを余すことなく笑いつづけた。


 つづく

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