第18話

 うっふふっ、とメガネを光らせたマチ子さんは、なめらかな仕草でブリッジを指で押しあげた。


「ああ、わたくしのノゾ様への愛がほとばしりますわ。もう一度会えることを、心から願っておりましたもの」


 両手を顔の前でお祈りするみたいに組んで、潤んだ瞳のマチ子さんは、勢い余ってタブレットを持ち上げた。そして一方的に踊り始めるマチ子さん。


 おーい。あなた、そんなにテンションの高いお方でしたか?


「ルンタッタ〜、ルンタッタ〜、ルンタッタッタッ」


 すごい。マチ子さんって、タブレット片手に舞踏会みたいに優雅に踊ってる!!


『わ、悪いのだがマチ子。きみに願いがあるのだよ』

「あらぁ? どのようなお願いなのでしょうか?」

『酔った。きみに振り回されすぎて初めて酔っ払ってしまった。悪いが酔いどめのアプリをクリックしてくれまいか?』


 そっか。あの時、ループ酔いしたあたしが、思ったよりも早く回復できたのは、そのアプリのおかげなんだな。


 不思議そうに直ぐ側でみているあたしに気づいたマチ子さんは、苦笑いを浮かべる。


「ユイカさんは今日が初めてでしたものね。では、軽く説明いたしますと。この、赤い十字架のアプリは、人間世界で言うところの救急箱のこうなものです。このアプリさえあれば、骨を折っても、片頭痛でも、ほとんどすぐに直してもらえます」


 それだけじゃないよね? いいことがあれば、反対にもなるのでしょう?


 マチ子さん、先程までの明るさから一変して、暗い表情へと変わる。


「もし、このアプリが人員的にウィルスに感染されるか、破壊してしまえば、暴走が起きたりもするのですよ」


 その悲しげな目元をハンカチで拭うのだから、過去にそんなこともあったのかもしれない。


「ごめんなさい。あたし、余計なことを聞いてしまって」

「構いません。ユイカさんは重責をしおっていますもの。自身の危機管理についてはできるだけたくさんのことを知らなければなりませんしね」


 重責かぁ。そんなに大袈裟に言われちゃうと、緊張してくるな。


『それで? マチ子はぼくとユイカのどっちが好きなんだい?』


 ノゾ様のその言葉は、単に冷やかしたとも言いにくい。その言葉のどこかに、本音が混ざっている。とても茶化せる隙はない。


「もちろん、お二人共それはそれは大切な存在です。もしお二方になにか危険が迫っているのならば、わたくしの命を差し出します」

『でもさぁ、二人同時に襲われてたらどうする?』


 緊迫した空気に、気づかれないように深く息を吸う。


「お二方同時にお助けいたします」

『そうか。きみはそういうところがあるよね。臼井、皆が腹をすかせている。気づけや?』


 はっと息を呑んだ臼井は、すぐに料理長をお呼びします、と答えて、スマホで電話をかけていた。


「もしかして、なんだけど。その料理長もお仲間だったりするのかな?」

「さっすがはユイカさん、とても鋭いお察しですわ。彼は元バイオインフォマティクス、つまりまぁなんだ。遺伝子操作された食材などを見抜く能力がある。戦闘に関しては、警棒みたいなものです。一見強面に見えますが、心はとてもお優しいのです」


 そっかぁ。こうしてどんどん仲間が増えてくるっていうのもまた、不思議さを増幅させる。  


『待っていて――』


 え? 誰? なにか、誰かの声が聞こえたみたいだけど、臼井にはまだアドレス教えてないし、むしろ教えちゃダメな気がする。それにしても、ちょっとの間にものすごい鬼気迫ることが続いて、ちょっとだけ逃げたくなってきた。


「あの。どうしてあたしだけが巻き込まれてる感じなの? ノゾ様だって、ずっと人間の姿でいればいいのに?」

『それは無理だよ、ユイカ。前にも話したけど、ぼくの情報量はとても多すぎるんだ。あまり人間の姿を借りたままでいると、なんてゆうかこう、ドッカーンってなっちゃうんだ』


 こわっ。よくわからないから尚更こわっ。


『昨日は初めてユイカに乗り移ってみたものの、どこまでが限界なのか知りたくて、だいぶ酷使してしまった。申し訳ない』


 あやまられても、ドッカーンしなくてよかった。


『やはり、出力は最小限の方が、ユイカに負担がかからないことを知った。その話を今して悪かった。うっかりドッカーン直前まで酷使するつもりだったのだから』


 やめて。そんなことを言われてしまったら、無惨にドッカーンされた後の自分の姿を想像しちゃうから。


 つづく


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