第16話
戻ってきたのはあのホテルだ。最上階のホテルからは、それはそれはまばゆい光に溢れているように見えるけれども。
ほんの少し、角度を変えれば簡単に闇に飲まれてしまう可能性もあることを初めて知った。
『でも、人間が生きている限りは、負の感情がなくなることはないから、案外すぐにコウヘイさんに勝てるかもしれなくない?』
あたしはあまりにもぽやっと生きてきたのかな? だいたい、勝てるとかそういうことでもないし?
「きみは一変にたくさんの知識を与えられても大丈夫なのかい?」
『うーん? 推理するのは好き』
あっけらかんと答えておきながら、答え、これじゃなかったのかと頭を抱えてしまう。
「なら、たくさん推理をするといいよ」
そう言うと、ノゾ様のちいさな体がソファに飲み込まれるように、こくりこくりと眠り始めた。
忘れてた。ノゾ様が眠るか倒れるかすると、あたしが端末から放り出された。いや、投げ飛ばされた、の方が近いかもしれない。
「いったたたたたっ。おお、やっとあたしの体に戻れた。じゃ、あたしはシャワーを浴びてくるんで。……臼井、のぞくなよ?」
と、いうか。ノゾ様にあたしの体をいいように酷使されて、絶賛筋肉痛。
声をかけられた臼井は軽い様子で返事をした。彼はもうとっくに別のことを始めている。
こいつ、眠らないのだろうか?
本当に覗かないんだろうな?
半信半疑でバスルームに入る。なんだこの高級な香りは。
「なっ!? 薔薇風呂だとぉ!?」
これも臼井が頼んでおいたものだろうか。
体もギシギシ痛むし、ザーッと髪と体を洗うと、遠慮なく薔薇風呂に浸かった。
「ふぅ〜。お金持ちは違うなぁ」
とても疲れた状態でお風呂に浸かるのは危険だ。うっかりうつらうつら眠くなってしまうから。
『待っていて』
ほへ? 誰の声? 臼井、じゃない。包容力のある、優しい声。けどきっと、目を覚ましたらすべてを忘れてしまうかもしれない。
『やっと見つけ出すことができた。しばらくノゾミが迷惑をかけるけど、我慢してね』
うん。
とろけそうな声で頷いて。けど、もっとたくさんこの人とお話をしたくて。
あなたは誰? って聞いたら、消えちゃうのかな? やだやだ。もっと近くで、側にいたい。
こんな気持ちになるのは初めてで、わけがわからなくなってくる。
『笠原 ユイカさん』
なぁに?
『近いうちに、きみを迎えに行くよ。幼い頃の約束、まだ覚えているかな?』
幼い頃? なにかあったっけ? なにか……。
『公園のベンチで、きみと会ったこと』
公園のベンチ? え? あたし、公園のベンチになんていたかしら?
『あせらなくていいよ。でも、あの時ぼくは、きみに出会えたことがとても嬉しかった。優しいなって。ぼくが迎えに行ったら迷惑かな?』
そんなことないよ。でも、まだ思い出せないの。ごめんなさい。
『焦らなくてもいいんだ。夢は、目を覚ませば消えてしまう。いつかきみの前に現れるまで。それまできみのままで待っていて』
ふわっと優しい声が小さくなり、そして消えてしまった。
「待ってっ!! がぼっ」
お湯、飲んじゃった。
「ユイカさん!? どうしたんですか!?」
臼井?
……うす――!!
「出ていけ!! この変態っ!!」
あんなに覗くなって釘を差したってのに、なにしてくれんのよ。
「ご、ごめんなさい」
あたしに背を向けて、素直にあやまった臼井の背中は丸く、とぼとぼと出て行った。
だって、だって。だってさぁ?
あれ? あたし、なんの夢を見ていたんだろう?
なんでだろう? すごく大切なことだったみたいで、すごく気になる。
つづく
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