第7話 五〇メートル

      ◆


 残り五〇メートルが勝負だった。

 ギアを上げたように一気に加速していく。

 すぐそこを行く二人の背中が見え、見る間に横顔に変わる。並んでいるのだ。

 しかし、ついさっきまで五〇メートルあった距離は、もうほとんど残されていない。

 もっと距離があれば、もっと速く、速く速く、走れるのに。

 しかしもうレースは終わり。

 全身が酸素を求めている。正常な状態を求めている。

 薬物の抜けた本来の状態を。

 夢は覚めようとしている。

 神はもうこれ以上を見逃してくれない。

 ゴールはすぐそこのはずだ。

 視界が激しい光に晒されたように霞む。

 もう他の選手は見えない。客席も見えない。

 私はどこを走っているんだ?

 まるで目の前にどこまでも強化ラバーで覆われた直線が伸びているような気がした。

 そこを走る限り、私は私でいられる。

 身体の感覚はとっくにどこかへ消え失せている。足がコートを捉えている感触も、身体が風を切る感触もない。息苦しさもなければ、思考さえもついに空白となった。

 無心。

 あるのはただ、目の前の光景だけ。

 不意にコートに白い太い直線が引かれているのが見えた。

 次にはそれを突き抜けていた。

 走りきったのか。

 レースの直後は、いつもそれがわからなくなる。

 レース運営を行うスタッフが、前に飛び出してきて大きなタオルを広げているのが不意に視界に現れ、そこに飛び込む前に足がもつれるのを直感した。

 受け身を取ろうとしたが、無理だった。

 視野が一挙に暗転。いや、真っ暗闇はほんの短い間のこと、私の意識は純白の無に飲み込まれて、輪郭を失う。



(続く)

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