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「昌人ってファストフードは平気なんだ」
口の中でハンバーガーを咀嚼している僕に、日向は冗談っぽくそう言った。包み紙があれば手は汚れないし、食器を使いまわすファミレスとかよりはよっぽどいいよ。僕がそう答えると、納得したのかしていないのかわからない口調で、日向は「ふうん」と曖昧に頷いた。
「どっちかっていうと身体に悪そうなのはこっちだけどなー」
頬杖をついたまま、日向が手の中の月見バーガーを頬張り、一気に四分の一ほどが口の中に消えて行く。僕はそれを見届け、「そうかな」と手の中の不格好なパンを一瞥する。
僕と日向は、公開したばかりの映画を一緒に見終えた後だった。日向曰く、彼は意外にも「映画は嫌いじゃない」層らしく、金曜ロードショーとかはけっこう見るタイプらしかった。僕はそんな日向の言葉が、素直に嬉しかった。僕が「文化祭で上映する映画部のやつも見に来てよ」と言うと、「行けたら行く」と答えてくれたのもありがたかった。
今日見た映画は、人気作家のベストセラーを映像化したものだった。僕は原作未読だったが、既読者であった日向もご満悦な様子だったから、相当出来が良かったのだろう。確かに、カメラワークも音響効果も素晴らしくて、僕は何度も画面に見入ってしまった。もちろんストーリーだって面白かった。
昼ごはんを済ませると、僕らは腹ごなしに通りを歩いた。たまにゲームセンターや本屋に気まぐれで入ったりしながら、特に意味もなくうろつく。そんなことを繰り返しながら、他愛もないことを喋ったりして、僕と日向はまさに休暇を満喫していた。
予想だにしないものを見たのはその時だった。
遠くのほうの店から、見覚えのある人影が出てくるのが見えた。革のジャケットとふわりとしたスカート、まっすぐな茶髪。横に大学生くらいの男の人を連れている。
赤羽先輩だろうか。……いや、まさか。僕が驚いていると、日向が「どうしたんだよ」と僕を覗きこんでくる。僕は人影に目を奪われたまま、なんでもない、と上の空に呟いた。ふたつの人影がこちらに近づいて来る。男の人のほうは、手に小さな紙袋を持って――よく知らないが、ブランドのアクセサリー店のロゴが入っていた――、女の子の方は、その横に寄りそいながら、つまらなそうな顔をしていた。
僕は俯きながら、知らないふりをしてその横を通った。ちらりと見えた横顔はやっぱり赤羽先輩だった。
僕はしばらく動けなかった。
「おい、ちょっと、昌人ぉ?」
数歩先を言っていた日向が、そう言って僕を呼ぶ。うん、と返事だけはしてみせるけれど、やっぱり体は動かない。
ふたり連れは、どれだけ離れてもくっきりと見えるようだった。またアーケードを歩き出してからも、ふたりの背中は僕の頭に焼きついて離れなかった。
週明け、映画部では完成した映画の試写会が行われた。狭い部室のカーテンを閉め、どこかから借りてきたモニターで、部員みんなが頭をくっつけるように画面に見やった。BGMが流れ出し、タイトルが画面に大きく映ると、おお、と歓声が広がる。赤羽先輩の顔がアップになって、風にあおられた髪が顔にかかっているのがよく見えた。
部員たちの中に、その日、赤羽先輩の姿はなかった。どうしたんだろうと亮也に訊いても、彼も首をひねるばかりで、何もわからなかった。
映画とはいえ、長さは三十分程度の短いものだ。脚本は赤羽先輩ではなく部長で、内容もいたって普通の、女の子を中心とした青春モノのはずだ。
正統派の青春モノ、と言えば聞こえはいいが、陳腐な台詞を並べ立てたようにしか見えない。映画としてはあまり僕の好みではなかったが、それでも、僕の撮ったシーンが使われているのを見ると、気になって画面を見つめてしまう。うまくいっているところもそうじゃないところも、色々あった。今後の課題となる部分は思っていたよりもずっと多かった。
ふと横を見てみると、亮也は食い入るように画面を凝視していた。こういう青春モノは彼の好みなのかもしれない。四角い画面が彼の瞳の中で光っているのが見えて、僕はもう一度画面へと目を映す。
背中まで伸びた茶髪が歩くたびに揺れ動く。その後姿を、僕は数日前に見かけたんだ。蘇って来たあの日の赤羽先輩の陰に、僕の頭はたちまち埋め尽くされた。
ジャケットを羽織った先輩の後ろ姿。横を歩く大学生くらいの男性。男性の持っていた小さな紙袋。先輩の耳にいつもきらりと光っていたピアス。
彼女のしていたピアスは、昨日出てきた店と同じところのものかもしれない。横を歩いていた男性はやっぱり彼氏なのかな。でも、先輩みたいな人に彼氏がいないっていう方がおかしいよな、よく考えたら。僕は自分を一生懸命宥めて、慰めようとしたけれど、痛みは容赦なく僕の心の中に広がっていった。大袈裟かもしれないけれど、神様を失ってしまったような気分だった。
だって、あの人がいたから、僕は少しずつ世界に馴染んでいけるような気がしたんだ。
誤魔化すように画面を睨む。赤羽先輩の、夕陽に赤みがかった目が、アップで映し出されてよく見える。
やがて画面が暗転した。BGMも止んだ。もう終わりだろうか、案外長かったな。そんな風に思って身体を伸ばそうとすると、暗転していた画面が、もう一度明るくなる。僕は戸惑ってぎこちない所作で身体を戻す。
ぼんやりと黄色い空と、広がる街並み。中心には大きく川が映っている。川面は水鏡になってまわりの景色を映し、夕暮れの暖かい色の太陽も水面が丸く反射している。続いて映しだされる先輩の横顔。カメラの気配に気が付いた先輩は画面に向かって怒るような顔をした後、少しずつほつれていくように、くだけた柔らかい笑いを浮かべる。
あの日、僕が勝手に撮った映像だ。音声は消されていたけれど、間違いない、自分が撮ったものだった。あの時のやり取りが使われているのだ。僕は口を半開きにしたまま固まっていた。
先輩が、こちらに向かって何か喋りかけている。画面に映る先輩は、もう映画の登場人物ではなく赤羽先輩に戻っているはずだ。けれど、ちゃんと映画の延長線上として成り立っている。不思議な映像だった。
戸惑っている僕の外で、他の部員たちはあちこちで感嘆の声を漏らしている。
先輩が髪を掻きあげる。川面に向かって言葉を投げかけ、こちらを上目づかいでちろりと見る。耳に光る小さなピアス。
今画面に映っている先輩は、どのシーンで見せたあさこよりも、きれいだった。
やがて、カメラが大きく空を映して、映画は幕を閉じる。中心に浮かぶ「Fin.」の文字。
画面が暗くなっていくのに比例して、部室は拍手に包まれた。「あれ、こんなシーン撮ったっけ」なんて怪訝そうな顔をしていた部長も、部員たちが発する拍手のあまりの大きさに、涙ぐんで僕たちを見まわしていた。そして、一言、「みんなの協力のおかげでいい映画が作れました、ありがとう」と言って、周りはさらに湧き立った。部長にとって、今回の映画は引退前の最後の作品となるはずだ。
僕もみんなに合わせて拍手をしていた。この場にいない赤羽先輩のことが頭をよぎると、嫌でも気持ちが曇った。どうしようもないけれど、どう片をつけていいかわからない。あのシーンを見た時の僕の気持ちは、驚く以上に嬉しくて、懐かしくて、少しだけ泣きそうだった。悲しくないと言ったらもちろん嘘になる。
「すごかったな、最後のあれ昌人が撮った奴だろ?」
横の亮也が、いつもより勢いのある声で言った。「やっぱ映画は青春モノだよなー」と続いて呟いた彼に、「わかったようなこと言って」と僕は苦笑する。頬の筋肉は思ったように動かないけれど、テンションが高揚しているらしい亮也は、「だってさー」と次々と言葉を連ねた。
みんなが沸き立ち、喜び、感動しているこの空間。ひとり赤羽先輩のことを気にしているのは、たぶん僕だけだろう。
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