第11話 文化の最前線とは街頭なのか
今回、新宿をさまよった時、最初、どこかの誰か、政治家のような人が街頭で演説していたのですが、あまり興味もなく、素通りしました。それからウロウロしていると南口のあたりで、街頭で歌を歌っている人もいましたね。一人はカラオケに合わせて歌っていて、その人が歌い終わってから歌い始めたもう一人はオリジナル曲をギターで弾き語りしていました。そこからぐるっと東口へ回ろうとした時は、テントが設置されて女性二人が何か、対談なのか何なのか、女性性に関する話をしているようで、そこには大勢の人が集まって話を聞いていました。
僕の生活圏では、街頭で演説する人なんていないし、もちろん、ギターを弾いたり歌ったりする人もいません。あるとすれば、よくわからない政党を支持するおじいさんおばあさんが大きい交差点に看板を手に立っているくらいです。そういえば、その時はどこかの誰かが、拡声器で何か唱えてますね。そう、それが街頭でのパフォーマンスの唯一の可能性です。
カラオケで歌ったり弾き語りをしている二人の周りは、見たところ、高校生くらいの女の子が真剣に歌を聴いているようだった。まったく注目されていないどころか、既にファンを取り込みつつある。その光景を見たとき、夢があるなぁ、としみじみ感じた。歌っている方も、応援している方も、ある種の充足があるはずで、それって凄くいいことなんじゃないか。
例えば、歌手になって成功する人なんて滅多にいない、とか言う人は今もいるでしょうけど、僕はそんなの関係ないと思っている。やりたいことをやればいいし、努力することや憧れることを否定したり貶したりするのは、何か違う。応援する側もそうで、誰にも見向きされない人であっても、自分が好きだと思って、一人きりででもその人を応援するのはすごく尊いことなのでは。この両者の間には契約のようなものはないのだけど、でもお互いに影響し合って、良い方向へ進んでいるのは貴重なことだと思う。
それは街頭演説もそうで、興味を持たれなくても、叫び続けることはやはり必要だと思われる。地方ではもう、その気概は失われているというか、誰もそこに意味を見出さない。政治家も選挙の時しか街頭には現れない。それは思想家もそうで、地方から思想を広めようという発想はないらしい。地方にも色々な思想の持ち主はいるんだろうけど、姿は見えない。
歌うたいの青年たちを見て、色々なことを考えさせられた。都会ではまだ諦めていない人が大勢いるけど、地方には諦める以前に、夢を描けない空気がかなり濃いように思える。そもそもからして文化が違うので、そこに存在する夢や希望が違う。もしかしたら失望や絶望さえも違うのかもしれない。
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