Ⅶ
今日の定期検査は無しだと言われた。
昨日の食事の件と言い最近は患者の管理が杜撰に見える。まあ、元よりまともな病院ではない。
外の趨勢も穏やかではないような状況で、非人間に構っている暇などないのだろう。
だが、そのせいで俺には暇が出来た。
最近は暇が出来ればすることなど決まっていたが、昨日の今日だ。些か足が重い。
『だってアタシ眠ると記憶無くなっちゃうし』
アイツの能力がどの様なものだったのかは今では知る由もないが、一日ごとの記憶のリセット、それがアイツの代償……後遺症なのだろう。
記憶を失くす痛みは、知っている……つもりだ。
記憶を失くし、自分を失くし、命すら失くした男を俺は見てきた。
自分が自分でなくなる感覚。未だ分からない。分からないが、委員長が死に際に見せた表情、あれだけは一生涯忘れることは出来ないだろう。
だが、アイツは笑っていた。
記憶が無くなってもそれを感じさせる素振りを一切見せなかった。
確かに委員長も人前ではその素振りを見せなかった。
だがアイツは、自らの呪いを吐露する時でさえ笑顔だった。
笑いながら、告白したのだ。
「………どうして」
分からない。
アイツはどうして笑っていられた。
アイツはどうしてふざけていられた。
アイツはどうして、アイツでいられたんだ。
「………静かだな」
時間が進まない。病院とは元来こういうものだと思い出される。
「うるさすぎるよなアイツは」
そうだ、アイツはココには不釣り合いすぎる。
明るくて、楽し気で。
そして何より、前を向いているんだ。
こんな世界の
アイツに明日は無いというのに。
「…………」
カチコチカチコチ
時間が過ぎる音がする。
此処には何もない。秒針の音すら無ければ、時が止まってしまったのではないかと錯覚してしまうだろう。
「…………ああもう!」
耐えきれなくなって病室を飛び出す。
思えばずっとそうだった。この病院の空白に耐えられず、ずっと歩き回っていたんだ。
ここには何もない。
空白を埋めるものは過去しか無い。
俺は過去なんて見たくない。
ならせめて、
コツコツカツカツ
俺の足音だけが空虚に響く。
廊下には誰もいない。
扉は全て閉ざされている。
ここは静かだ。
だがそれに加え、あまりにも異質だ。
誰一人として生きちゃいない。
一年前に死んでしまった。
動いているのに死んでいる、生きてないのに動いてる。
真面な見た目の
そう、逃げたところで、待っているのは新しい地獄。
未来を奪われたから。
未来を諦めたから。
未来を見捨てて来たから。
いや、そもそも俺に、見るべき
散歩の目的地は決まっていた。
アイツに会う前から最後は決まってこの屋上だった。
逃げて、逃げて、さらに逃げようと何度もこの場所を訪れた。
でも結局、そこから先へは逃げられなかった。
この世界からは逃れられなかった。
後遺症じゃない、たった一つの呪いのせいで。
それは、他でもない彼女の言葉。
だからだろうか。
此処で彼女によく似た幻覚を見たのは。
「そうか……そうだよな」
ここに生きた人間などいるはずが無い。
もしいたとすればもっと早くに会っていたハズだ。
嗚呼、そうか。
俺は現実から逃げられず、浅い夢を見ていたんだな。
力が抜けて床に寝転がる。
風が強い。
今日の風はやけに冷たく、空気もやけに澄んでいた。
だからだろうか。
此処でまた、不思議なものを見つけてしまった。
冷たい風の音にまじり、紙と金属の擦れる音。
屋上の柵に括り付けられた、一枚のメモ。
それに気が付かなければ、
アイツのことは只の夢だったって、
そう、思えたはずなのに。
そのメモにはただ一言、
『さようなら』
と。
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