其の百十:誤魔化して候

 明くる日の朝。ワタシはいつもの様に中心街へと出向いて風呂に入り、その後で朝飯を食べながら、通りのを呆けた顔を晒して眺めていた。


(眼は口ほどにモノを言いやがるぜ。全くヨ…)


 昨日、鶴松と共に飲み明かしたワケだが…その中で、ワタシの眼は泳いでしまっていたらしい。どれ程にを言って見せても、そんな眼をしていたのなら説得力は皆無というものだ。まぁ、鶴松には事までは勘付かれていない様だが…とは思われてしまったに違いない。


(誤魔化すのが大変だねぇ…そうなっちまったら)


 どことなく他人事のように考えを巡らせながら、力の入らない顔をあちこちに動かして管理人の姿を眺めるワタシ。道を行く管理人達は、一時期の様に者はおらず、そこそこの数の管理人が道を行き交い、そこに時折…抜け殻が見える程度。よくよく思い返してみれば、比良の国もものだ。


「夢中管理人とやらは、そんなに良いのかねぇ…?」


 たるんでいたワタシの背後から女の声。ビクッと肩を鳴らして振り返ってみれば、栄がワタシの背後に立っていた。


「どうしたんじゃ千代?わっち如きに背後を許すとは、余程気が抜けておるぞ?」

「ん…あぁ、ちと考えこんじまっててな。大したことはねぇんだが」

「珍しい。千代がその様なら…じきに何かが起きそうなものよのぅ」

「アホ抜かせ。ワタシ程度がどうこうした所で何も変わらねぇよ」


 栄と2,3言葉を交わした所で、栄はワタシの前の席に陣取った。どうやら、彼女も風呂上がりの様だ。


「わっちに茶と飯を持ってきておくれ!」「はいよ~」


 ワタシがしたように朝飯の注文を付けた栄は、まだ僅かに赤い頬に手を当ててクルクルと手を回して頬を揉みほぐし、懐から手鏡と簡易的な化粧道具を取り出し自らの身なりを整え始める。これまでに何度も見てきて…最早所作だったが、ワタシは何故か、栄のその行動をジッと眺めてしまっていた。


「効果あるのか?ソレ」


 そしてつい、栄に尋ね毎をしてしまう。栄はワタシの問いかけに目を丸くして暫し固まったが、少し考え事をした様な素振りを見せた後に、ニヤリと何か悪いことを思いついたような笑みを浮かべて首を傾げた。


「なんじゃ、色気づいたのか?」

「んなわけあるかよ。何度も何度も見てきて…ふと、気になったのさ」

「気になっておる時点でじゃな。千代もやってみると良いぞ?」

「なんだ。その化粧を真似しろってか?」

「違う違うその前じゃ。頬位揉んでみろ。千代の仏頂面も少しはマシになろうぞ?」

「凝り固まってるってか」

「あぁ、何かあったに違い無い顔をしてるな」


 冗談のを的確についてくる栄。ワタシは苦笑いを浮かべながらも、栄のやっていたように頬を手で軽く揉みほぐして見せた。


「で、何があったんじゃ?」

「何もねぇよ。ただ…気の迷いというか…そうだな。ワタシの問題さ」

「ほぅ…」


 昨晩の鶴松といい、栄といい…どうしてこうも。別に、ワタシが叫んだところで何も変わりはしないだろうに…と思ったが、それを彼らに言うのはではないだろう。ワタシは訝し気な目を向ける栄にジトっと湿った目線を返すと、ふーっと長い溜息をついた。


「鶴松にも言われたんだが…今のワタシ、目が泳いでねぇか?」

「泳いでおるのぅ。だからこそ、気になってしまうわけじゃが」

「だろうな…虚空記録に何かがあったとか、そう思ってねぇか?」

「思っておるの。今はとしても、何かがあるんじゃろうてのぅ…?」

「ねぇよ。何も」


 栄に確認を取って、の反応を得られて僅かにホッとして…ワタシは栄に向かってキッパリと告げる。今の所、虚空記録に異変は無い。異変も無ければ予兆も無い。虚空人に関するネタだって一切無いのだ。


「そうか。千代がそういうなら、そうしておこう」

「あぁ、そうしておいてくれ。でな」

「誰しも事があるからの。でも、珍しいではないか」

「まぁな。その辺はする性分なんだが…今回はチト、な…」

「ま、多少の物煩い等良くある話だ。わっちはこれ以上は詮索せぬぞ」

「そうしてくれると助かるよ」


 鶴松よりも栄の事だ。その裏では多少のが入るのだろうが、虚空記録に関係が無いと分かればに違いない。ワタシは栄の反応を見てホッと一息つくと、茶碗に残っていた白飯を書き込んで、残っていたお茶を全て喉奥に流し込んだ。


「…ぁあ~」

「行儀が悪いぞ千代。最新の虚空記録によれば、じきにが当たり前になるんじゃ。そういうものにはな、

「似合わねぇってもなぁ、ここはだぜ。アッチとはちげぇやい」

「全く。千代、これから先…に忍び込むには、その手の所作も必須になりそうじゃぞ?」

「どしてよ?」

「国を治める者が変わるからじゃ。武士が消え、学のある者が徒党を組んで頂に立つ。そういう時代になるんじゃよ」

「ほぉ…退な時代になるんじゃないかね」


 話の流れで始まった。ワタシは顔を顰めてそう言ってみたが、栄はそんなワタシの顔を見てクスッと笑い、首を左右に振って見せた。


「そうでもないな。戦からは離れられんぞ」

「学のある連中が上にいるのにか?」

「あぁ、千代。どうやらな…戦に恋焦がれるらしい。隣の芝生は青く見え…それをどうにかして手にしたいとなれば…奴等はまず刀を手に取りたがる様じゃ」

「ほぅ…ちと、後でかねぇ」

「そうすると良い。千代のようなが気に入る時代かは知らんが…中々楽しいぞ?少なくとも、今よりはずっとな」


 栄はそう言って、運ばれてきた料理を前に頬をニヤリと綻ばせると、ワタシを気遣う様な目線をこちらに向ける。


「何があるかは知らんが」


 彼女はそう前置きをすると、箸を手にして刺身を一切れ掴み…それをワタシに見せてきてこう言った。


「比良から…全てを眺められるではないか。時代が移ろおうとも、わっちは千代達と居れればそれでよいのじゃよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る