其の百九:言い淀んで候
「お千代さん、珍しいじゃねぇの。何もねぇ時に江戸へ行くだなんてよ」
「ん?あぁ…ちっとなぁ…気の迷いって奴さ」
「気の迷い?なんじゃそりゃ」
比良の国へ戻ったワタシは、家への帰りがけにバッタリ出会った鶴松を誘って近所の飲み屋にやってきていた。
「気の迷いってなぁ…暇って証拠よ」
「暇って…この間も仕事に出向いただろ?」
「んな、タダの後処理如き、仕事のうちにも入んねぇっての」
「あぁ、それもそうか…」
鶴松が酒をグビグビと飲み続ける横で、適当な焼き魚を突きながら今日の出来事を話すワタシ。勿論、虚空記録を弄った事は言わないが…鶴松は、ワタシが用もなく江戸に出向いたという事実が気になって仕方がないらしい。酒が進む今も酔った気配を見せず、僅かに真面目な目をワタシに向けて口を開いた。
「でもよぉ、お千代さん。この頃は向こうも不安定なんじゃねぇのかい?」
「不安定だぜ。幕府の回りだけはな」
「なら、尚更どうして…」
「あー、変な言い方しちまったワタシがワリィな。幕府の周辺以外は普通だもの」
「普通?」
「あぁ。江戸が東京に変わるったって、一般人連中の人生が変わるわけじゃねぇだろ?」
「そりゃ、そうだけどもよ」
「前に皆を集めて言った時は江戸全域が危ういと言い含めちまってたものなぁ…」
ワタシは過去の言葉を僅かに捻じ曲げて自分のしたことを正当化していく。何も、嘘はついていない。言ってないだけで、嘘は一つもなく事実のみで構成された都合のいい内容を聞かせてやれば、鶴松も納得してくれるだろう。
「あれから少し監視してたんだ。で、結果はこの通りよ」
「この通りって?」
「体制変われど、城下は変わらねぇ。昨日の今日で街の景色がガラリと変わるこたねぇの」
「お、おぉ…?」
「だからな?江戸に出た時によ、お役人共と事故らなきゃイイのさ」
「なるほど…」
そう言って熱いお茶で喉を潤す。鶴松はどことなく腑に落ちなさそうな間抜け顔をワタシの方に向けていたが、ワタシの態度を見て納得したのか「まぁ、お千代さんが言うなら…」といって酒の入ったお猪口に口をつけてグイっと酒を飲み干した。
「でぇ、何も起きネェのに江戸へ散歩に出たって訳ですかい?」
「あぁ、コッチに居すぎたんだろうな。暇すぎてよ。ブラっと行ってきたのよ」
「どうでした?江戸は相変わらず…」
「汚ねぇわ、臭せぇわ、騒がしいわ。江戸に行けばコッチの良さが良く分かるな」
冗談混じりの言葉に、鶴松はワタシと同じ様な小さい笑みを頬に浮かべる。
「でも、それが少し経てば様変わりするんでしょう?記録によれば」
「らしいがな。少し経てば鉄道成るものが出来るだとか…よく知らねぇが」
「コッチ側にゃ出来ねぇんですかね」
「どうだか。そのうち出来るんじゃねぇか?」
「向こうでは乗れそうも無いでしょうしねぇ…出来りゃ良いんですが」
「なんだ。鶴松、ガキ見てぇな理由で鉄道欲しがってんのか」
「そりゃねぇ。だって記録帖に尋ねりゃ、目にも止まらぬ速さで動くって言うんですぜ?」
「アホ。んなもん、人様に動かせるかよ。まぁ、馬よりかは速ぇだろうが」
真面目な話から、下らない雑談へ…少し先の話にずれ込むと、ワタシと鶴松は見たこともないモノについてああでもない、こうでもないと下らない考えを披露しあった。虚空記録帖によって知ってはいるが、見たことが無いというものは、ワタシ達管理人の心の一部をどことなく擽るものだ。
これまでは大した変化が無かった江戸周辺だが…ここから数年、数十年の間で街並みや人の格好は大きく様変わりするらしい。そうなれば、ワタシ達の失いかけていた好奇心は自然と火が付けられて燃え上がり…こうして酒の肴となって消化される。
「おい、茶をもう一杯貰えねぇかな」
ワタシは店の抜け殻を呼びつけて茶のお代わりを求めた。鶴松とこうして盛り上がって既にそこそこの時間が経っているが…まだ、話題は尽きそうにない。抜け殻が持ってきた新たな番茶を一口飲んで乾いた喉を潤し温めると、ワタシは机に頬杖をついて「あ~」っと力の抜けた声を漏らした。
「しっかし、鉄道の話じゃねぇが…向こうが変わるならコッチも変わるなぁ?」
「そうだな。その割には変わりねぇっけどもよ。何れ変わるだろうさ」
「鶴松、オメェ、その格好が出来ないとなったらどういう姿になるか、想像つくか?」
「全然だぜ。お千代さんこそ、その背中の刀を置けって言われて置くか?」
「ふんっ…その時が来たら、いよいよワタシも抜け殻になるかなぁ…」
「おいおい冗談きついぜお千代さん。俺達にゃアンタがいないと始まらねぇってのに」
「まさかぁ。螢見てぇに豆鉄砲持つのも癪だぜ?」
「癪だなんだっつっても、何れそうなるんだろうよ。刀が時代遅れなんて言われてなぁ」
「それもそうか…嫌な時代になるな」
苦笑いを浮かべて半分冗談を言ってみせると、鶴松は肩を竦めて見せる。そして、酒をグイっと煽ってドン!と机にお猪口を置くと、鶴松はゆっくりと口を開いた。
「……で、お千代さん。江戸では本当に何も起きちゃいないんだよな?」
声色が一段下がった鶴松。ワタシは奴の言葉の意図を読み解くと、自信を持って首を縦に振る。
「お千代さんだけが、何かを背負うだなんてナァナシだぜ?」
「だからぁ、何もねぇっての。虚空記録帖に聞いてみっか?」
「…虚空人がうろついてるとかもか?」
「あぁ、その影もネェ。ソッチ方面は前から記録帖が見てるだろ?」
ワタシがそういうと、鶴松は「あぁ、そうだったな」と言って表情を暗くする。どことなくワタシを訝し気に見ている目をした鶴松は、酒のせいで赤くなった頬を僅かに膨らませた後にニヤリとニヤつかせて、言葉を待ってるワタシの方に顔を向けると、ボソッとした口調でこう言った。
「何もネェってんなら…お千代さんよ。どうしてアンタはそんなに…目が泳いでんだ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます