其の百五:情を移して候

「相変わらず鰻の蒲焼きか」

「なんだ、悪いか?」

「いいや、全然」


 中心街の風呂屋でもう一度サッパリして、それから風呂屋の2階に出向いてみれば、丁度公彦が飯を食おうとしている所に出くわした。ワタシは普段通りの突っかかり方を見せて、奴も奴で普段通りの返しをしてくると、ワタシは砕けた笑みを浮かべて奴の前の席に腰かける。


「おう!ワタシの方にも何かくれ!そうだなぁ…天ぷらで良い!」


 忙しなく働いている抜け殻に注文をつけて一段落。フーっと溜息を付くと、黙々と飯を頬張っていた公彦が私の方に目を向けて何かに気付いたかのように頷いて見せた。


「なんかあったみてぇだな」


 そして、ボソッと一言。公彦の言葉にピクリと反応したワタシは、公彦の目をジッと睨みつけて肩を竦めて見せる。この男、元は南町の同心だった男なのだが…相変わらずヤリ手の同心という雰囲気は崩れていない。


「何かはあったなぁ…何かは」


 奴と目を合わせて、全てを見透かされた気分になったワタシは、少しの気まずさを感じながら姿勢を崩す。そんなワタシを前にして、公彦は「そうかい」というだけで、特に詳しく聞き出そうとはしてこなかった。この男、割りに、事は好まない男なのだ。


「気にならねぇのかい?」

「あぁ。誰にでもある事だからな」

「気の利く男だこって」

の秘訣さ」

「ワタシに言うんじゃ意味ねぇな。ま、確かに八丁堀の言う通りだ」

「…八丁堀、か。それも、時期にって言葉が付くんだろうな」

「…あぁ、将軍様もあと僅かな天下だな」

「どんな気分だ?初瀬さん、この時代に生きてりゃ確実に攘夷運動してただろう?」


 首を突っ込んでこない男に突っかかるワタシ。それでも公彦はワタシを気に留める事もなく、話は横道へと逸れていく。話題は近頃の江戸情勢…虚空記録帖によれば、江戸城の天下も、残すところあと僅かとの事。とだけあって、ワタシ達管理人の間でも、その話題は話題になっていた。


「滅多な事言うなよ。でもまぁ、終わりが呆気ねぇ事だものなぁ…どんな気分もねぇぜ?」


 ワタシは内心にまだ残っているをひた隠しにしながら、公彦が振って来た話しに乗りかかる。公彦は蒲焼きを頬張りながらもニィっと下種な笑みを浮かべ、どこか呆れたような視線をワタシの方に向けた。


「どうしたよ?」

「いいや。やっぱ初瀬さん、根っからの戦人なんだなぁと思ってな」

「なんだ。人を狂人の様に言いやがって」

「狂人だからよ。戦いの無い日常なんて、暇で暇で仕方がネェって顔してるぜ」

「…そうか?」

「あぁ」


 公彦から指摘を受けて、ワタシは思わず外を見る。そこに鏡なんてものは無いのだが、何となく公彦の目を眺めていられなかった。


「最近もだからな、生気の抜けた顔してらぁ」

「言いたい事言ってくれるなぁおい、そんなに腑抜けてるか?ワタシはよ?」

「あぁ、暇で暇で仕方がネェって顔よ。でも安心しな、江戸が消えたら暫く混乱の世だぜ」

「安心しなってなんだよ…違反者が増えるって言いてぇのかい?」

「いやぁ、そろそろが動く頃だろうと思ってな。世の混乱に乗じるには、この場面が最適だものなぁ」

「探し人…虚空人になったワタシの親の事言ってやがんな?」

「あぁ、その予兆はねぇが、もうじき動き出す頃だろうよ」


 公彦の言葉に小さく頷いたワタシ。相変わらず目は外に向いていたが、ようやく公彦の方に顔を戻せば、丁度抜け殻の男がワタシの分の料理を運んできた所だった。丁度良い…ワタシは直ぐにそれに手を付け始めて、少しでも意識しながら公彦との話を続けていく。


「ま、集める気はねぇぜ。まだ何も起きてないんだからな」

「あぁ、そうだろうな」

「暫くは平和を謳歌してもらうさぁ…」

「短い平和だろうが…」

「人の人生からすりゃ、長いだろうよ」

「確かに、それもそうだ…」


 食べながらの雑談は、中身がある様で中身が無い。ワタシも公彦も、夢中になって食事にありついていき、遂に公彦の前に並んだ皿は綺麗サッパリ空になってしまった。


「はえぇな、来た時はまだ食い始めだったろう」

「そうでもない、大分経ってたよ」


 公彦は空になった盆の上の皿を見やると、ゆっくりと席を立つ。


「しかし、初瀬さんに会えて良かった」

「どうして?」

「仕事が無さ過ぎて不安だったんだ。平和過ぎてな」

「あぁ…まだ暫く続くだろうよ」

「らしい。なら、庭でも弄るさぁ…それじゃ、お先」

「はいはい」


 そして、少し言葉を交わすと、公彦は2階から降りて中心街の喧騒へと消えて行った。


「……」


 それを見送ったワタシは、一つ溜息を付くと再び手を動かし始めて大盛になった飯を口の中へと入れていく。


(平和…ねぇ)


 公彦の言う通り、近頃の管理人界隈はだ。夢中管理人の見張りのお陰か、記録帖の癖が治ったのかは知らねぇが、まぁ、ワタシ達はを謳歌出来ている。ワタシ達が集まって仕事をする様な場面は…気付けばもういつ以来だろうか?というくらいに無くなっていた。


(奴等も動かねぇしなぁ…)


 公彦の言っていた。それこそ、ワタシの両親たちの事だが、絶対に動くだろうと思っていても、その気配は未だ無い。螢や鶴松とも事あるごとにと言い含めているのだが、奴等の気配はピタリと止んでしまっていた。そうなってしまえば、ワタシ達はお手上げも同然…何もすることが出来ない。


(となれば…そのせいか…妙にあの2人が気になっちまうのは)


 だから…だろうか?時折来るに対応すること以外に何もすることが無い今、ワタシの脳裏に過るのは、昨日助ける事になってしまった母娘の事。


(後で様子を見に行ってみるか…どういう風にしたかも気になるしなぁ)


 記録違反として処置するように言われたが、それを無視して結果がどうなっているのか…考えてみれば、ワタシがそうするのは初めてのことだから、を良く知らなかった。…そうなれば、今回のは、少しばかりが見込める散歩になるだろうか…?


「……」


 ワタシは飯を食った後の行動予定をザっと立てると、残った天ぷらと飯を一気にかきこんで腹に溜め込んでいく。昨日まではに塗れていた行動だったが、今、こうして見れば…罪悪感が少し残っているものの薄れていて、がムクムクと沸き立ってきていた。


「情に訴えるような改変をしてなきゃいいんだが…」

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