其の百三:道を逸れて候

「ば、化物女だぁぁぁ!!!!!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」


 火事場の近くに轟く悲鳴。男がありったけの声量で叫んだ言葉は、誰にも届くことなく終わった。その刹那、男は下種な笑みを浮かべたワタシの刃によって斬り伏せられ、無様な死に顔を路上に晒す事になる。


「テメェ等、稽古相手にもなんねぇなぁ!!」


 残る男は3人。彼らは皆、ワタシとの技量差を思い知ったのか一様に震えていて、今にも逃げ出しそうに見えた。


「ち、畜生!!!!!!!」


 それでも逃げずに向かってきた事くらいは褒めてやってもいいだろう。奇声を上げて馬鹿正直に立ち向かって来た男の刀を弾き飛ばして素手にしてやると、そのまま刀を一振りして最初の男と同じように真っ二つに斬り捨てる。


「くそっ!!」「あぁぁぁぁぁ!!!!!」


 そこから足を踏み出したついでに、呑気にも刀の間合いに居た男2人を一刀両断してケリだ。一瞬の間に男達の悲鳴は何処かへ消えてしまい、残ったのはワタシと襲われていた母娘だけ。尤も、母娘は長屋の軒先で泡を吹いて気絶しているが…まぁ、無事ならなんだって良いだろう。


「……真っ二つにするってのはイケねぇよなぁ。つい、勢いのままにやっちまったぜ」


 ワタシは刀に付いた血肉を振るった後、虚空記録帖の一部を拭い紙代わりに使って刀身を綺麗にすると、気絶している母娘を見て自らの行動をそう振り返る。さて…この母娘も違反者だから殺さねばならないのだが…ワタシは周囲を見回して事を確認すると、母娘をその場に残してそっと現場を離れて行った。


(虚空記録帖とやらが、事も必要だと思ってくれりゃ良いが)


 今回扱いされた者達は、普段ならば明らかにはずの者達ばかり。それは今、斬り捨てた男達にも言える事なのだが…兎に角、なのだ。ワタシは、ほんの出来心というか…抗議の意味も込めてあの母娘を生かしておき、虚空記録帖がどう対応するかを見定める事にした。


(煩けりゃ、ワタシが出向けば良いか)


 火事場の騒ぎから大分離れた所までやってきて、ふと足を止めて現場の方向を見やり、未だ止まらぬ炎の煙を眺めてフッと鼻で笑う。とりあえず、火事によって者達の処置は、するだけやった。を、ある程度はちゃんとやったのだ。は許されて然るべきだろうさ。


(昔のワタシが見てたなら、ワタシが斬り捨てられる所だぜ全くよぉ…)


 道端に寄り掛かって、何処か晴れやかな気分を覚えながら苦笑いを浮かべるワタシ。普段ならば、どれ程煮え切らずとも処する所なのだが…どうも、最近のワタシは。それもこれも、ココ数十年間のを目の当たりにしたからなのだが…そんなことを、ここでウダウダ考えていても仕方がないだろう。


(そろそろ、ワタシにもヤキが回る頃かねぇ)


 もう一度火事の煙を眺めて、それに踵を返して帰路につく。ここは八丁堀の近く…比良の国への出入り口はここから程近い場所にあるから、帰るのも直ぐだ。


「っとぉ」


 何の変哲もない扉を越えて、一瞬の闇に目を瞑って、再び目を開ければ、そこは比良の国。江戸のそれとは全然違う、煌びやかな街並みがワタシの周囲に現れた。


「初瀬様!お疲れ様です」「あぁ、お疲れさん」

「初瀬様!こんばんは!!」「おぅ、こんばんわ」


 比良の国に戻って中心街を歩いてみれば、ワタシはたちまち。道行く人々がワタシに様付けで挨拶を飛ばしてきて、ワタシはそれに気楽な返事を返し続ける。かれこれもう何十年だろうか…?気付けば長々と続く…別に、ワタシなんて管理人なのだが、やはり歴の長い者はそれ相応の畏怖を集めるものなのだろう。


 ワタシはいつものように、中心街のど真ん中にある風呂屋の暖簾を潜り抜け、番頭をしている抜け殻に一声かけて脱衣場へと向かった。ワタシがこの辺りの施設を使うのに必要なのはなのだ。


 夜に成り立ての時間…脱衣場に人の姿は見えず、喧騒は上の飯処の方からしか聞こえてこない。ワタシはその喧騒から漏れ聞こえるアホ話に呆れ顔を浮かべながら衣類を脱ぎ捨て全裸になり、備え付けてある手ぬぐいを手にすると風呂場の方に身を持って行った。


「冷え者でござ~い…」


 誰もいないと思うが、念のための掛け声を一つ。すると、もうもうと上がる白い煙の向こうから、如何にも女らしい身体に恵まれた人影がボウッと浮かび上がった。


「千代ではないか、珍しいのぅ…今、仕事帰りか?」


 浮かび上がった人影は、見飽きた顔。栄の姿を見止めたワタシは、彼女のな身体つきを見て顔を顰めると、彼女の言葉にコクリと頷く。


「あぁ、下らねぇ追加もあったがな」

「追加?あぁ、火事が起きたとか聞いたが…それか」

「そうよ。そのせいで余計に斬る羽目になったのさ」


 栄と話し込みながら湯船に浸かるワタシ。

 栄の調合した薬味が良く効く、少々熱い湯に肩まで浸かったワタシ達は、湯船の隅に座り込むと、少しばかり話し込んだ。


「煮え切らない仕事じゃな。そう言うのも逃さないのが千代なんじゃろうが」

「ワタシだけじゃねぇ、お前達もだろうに。が言うなら仕方があるめぇよ」

「そうじゃな…問題は無しか」

「あぁ、問題なし…だな。記録帖からも何も無いようだし…」


 もうもうと、先程の火事で舞い上がる煙の如く白い靄がかかっている風呂場。ワタシは栄から、どこか怪しみの目で見られている様な気がしたが、それを気のせいだと思って気にする事無く、ボーっと湯船に浸かり続けた。


「のぅ、千代よ」

「なんだ?」

「時に、手心を加えてやろうと思ったことはあるか?」

「手心?」


 少しの静寂の後、栄に尋ねられた内容に背筋を寒くしながら、彼女の方に目を向ける。栄はワタシにを向けず、純粋な興味で聞いてきている様だった。


「例えば、どんな手心だ?」


 栄の質問を明確にするために、質問を一つ。すると彼女は、少し考えた素振りを見せた後、ワタシの方を見てこういった。


「巻き込まれた事で違反してしまった者を目溢しする…とかじゃな?近頃は多くも無いが、偶にあるじゃろう?そういうの」

「あぁ、そうだな。今回もそうだった」

「それを目溢しすることは…千代にもあるのか?いや、やってもよいのじゃろうか?…ほれ、元はじゃ、放っておいても構わないとも言えるじゃないか」

「確かに…そうだな」


 栄の言い方からして、ワタシがそんなことをとは微塵も思って無さそうな言い方だ。どこまでも愚直に…それがワタシだろう?と確認するかの様な言い方。ワタシは栄の言葉に僅かながら心臓の早鐘を感じつつ、彼女に対して、こう取り繕うのだった。


「さっきも言った通りさ。なんだ。指示のままやった所で、なんて事はしない。だから…思うところはあろうが、指示には従わないとな…思いに囚われたら、あっという間に抜け殻に成るだけだろうからよぉ…」

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