伍章:盛者必衰の掟(上)

其の百一:追い詰めて候

「旦那ァ、何処に逃げよってんだ?え?…逃げ場は、何処にもネェんだぜ」


 夏真っただ中。昼下がりの江戸はいつも通り人に溢れ、今日も平和だ。そんな江戸の、浅草にある大きな屋敷の一角。ワタシはその屋敷の主を追いかけ、追い詰めて、刀を首筋に突き立てて、主の恐怖を煽るような言葉を投げかけていた。


「止めてくれ!…助けて…命だけは…命だけは!」

「あぁ、どうだろうなぁ。こんな分不相応な屋敷に住んでるあァ驚きだぜ。何してここまでのし上がったか言ってみな。閻魔の代わりに聞いてやるよ」

「それは…それは…っ」

「言えねぇのか?」


 後は殺すだけなのだが、ここでワタシの悪い癖が出てしまう。殺す前のくだらない。刃を男の首筋にちょいと当てると、男はガタガタと震え、からくり人形の様に口元をカタカタ言わせ始めた。


「……」


 死の間際。そこまで追い詰めても、男は何も答えない。ワタシは男の青く染まった横顔を見てニヤリと下衆な笑みを浮かべると、刀を持っていない手を着物の袖にやって、持ってきていた記録帖の一部を取り出す。


「これでどうだ?」


 ワタシはそれを男の目の前に広げてやった。壁に押し付けられた男は、同じく壁に押し付けられた記録帖に目を向ける。少し待つと、真っ青になっていた男の顔色は更に悪くなり、ガタガタと震えていた体から力が抜け、弱々しく床に崩れ落ちた。


「どうして…それを…」


 全てを諦めた様な声色。ワタシは手に持った記録帖をクシャっと握りつぶして男の方へ放ると、何も答えず刀を構え直す。


「なぁ…姐さん。冥途の土産に教えてくれんか…?…どうして…何故じゃ?」


 刀を振るおうとした瞬間。男は顔を上げて、ワタシにそう尋ねてきた。


がテメェの悪事を全て見ていたのさ。いや、見ていたというよりというのが正しいか」


 ワタシは刀を構えたままそう言うと、男は目を伏せてワタシの言葉に耳を向ける。


「テメェが貧乏人から成り上がったのは、によって定められていたのさ。バレりゃ打首獄門間違いなしの方法を使う事も、テメェが笑う裏で、テメェ1匹に対して何倍もの人間が泣きを見ることも…全部事なんだ。ワタシはな、それに対してつもりはサラサラねぇんだ」


 そう、男の悪事は今回の仕事とは関係が無い。ただ、虚空記録帖が示した男の人生…それが、そのやり口がどうしようもなくだけで…殺す時に少しを加えてやった所でお咎めは無いだろうと思っただけ。ワタシが男を殺す理由はただ一つ。どんな決まり事よりもを破った。ただ、それだけなのだ。


「え…なら…どうして…」

「テメェはテメェを成り上がらせて見せた。あってはならねぇ事をしでかした。だから殺すのよ」


 困惑した声を上げる男。ワタシはその声にそう返すと、目の前で妖しく光る刀身に映った自分の顔に目を向ける。その顔は、歪にニヤけた顔のまま固まっていた。


「そんなわけで…言い淀んでた悪事の言い訳は、向こうで閻魔がたっぷりと聞いて下さるそうだ。じゃぁな」


 そう言って、ワタシの言葉に対して男が口を開こうとした瞬間。ワタシは、刀を握っていた手に力を込める。


「!!」


 ヒュッと風を斬る音が鳴った。その刹那、男の首筋に一筋の赤い線が生まれる。ジワリと滲み出てくる血。それを見て口を鳴らしたワタシは、刀を振るって血を拭った。


 血を拭って少々の後。ゴトッと床が鳴った。胴体と別れた男の首が落ちた音だ。それから少しして…無くなった首の切断面から血柱が立ち上り、辺り一面を赤く染めていく。ワタシは血を浴びない位置からその様をジッと見据えて男が事を確認すると、刀を鞘に収めて屋敷の裏口から外に出た。


「やぁ、お千代さん。遅かったじゃない」


 外に出て、路を少し歩けば見知った顔。角を1つ曲がったところで、道脇でボーっと突っ立っていた螢がワタシを見止めて声をかけてくる。その声に何とも言えない苦笑いを向けて応えるワタシ。歩みを止めないワタシの横に螢がやってくると、もう江戸に用が無いワタシ達は、比良への入り口を目指して歩きはじめた。


「あの旦那をタダで殺すのもな」

「珍しい。お千代さんがそういう事言うなんてさ」

「ワタシだって感情位あるさ。まだ消えちゃいねぇよ」

「確かに。それもそうか」


 移り行く時代を横目に見ながら歩いていくワタシ達。まだ、江戸は江戸だと言えるが…この光景を見られるのも、あと数年といった所だろう。


「来年には、将軍様も任を解かれるみたいだね」

「そうだったっけか。もっと先じゃなかったか?」

「何言ってるのさ。1年経つのは早いんだよ?来年さ。そして…少し待てば、江戸も歴史の

 仲間入り。ここは東京って呼ばれるらしい」

「ほぅ…いざ終わるってなりゃぁ、なんだ。寂しくもなるな」


 歩きながら、螢の言葉に冗談を返すワタシ。あれだけしてやりたかった徳川の時代が終わる。喜ばしい事なのに、どこか寂しくもある。不思議な感覚に、ワタシの体は僅かに寒気を感じた。


「お千代さんの親も、似た様な反応してるんだろうね」


 変な所で震えたワタシを見た螢がそう言って小さな笑みを浮かべる。と化したワタシの両親。虚空記録帖を手にして、それに逆らって迄幕府を打倒しようとした連中も、刀を振り下ろす場を失うのだ。確かに、螢の言う通り…ワタシと似た様な反応をしているのだろう。


「これで連中が消えてくれる事を祈るがね。まだ見つからねぇんだっけ?」

「うん。もう、かれこれ何十年になるかな。ボクはが最初で最後の遭遇さ」


 螢の言葉に、ワタシはフッと鼻を鳴らす。出来る事ならば…これから先、連中と遭わずに過ごしていたいものだ。これからは時代の転換期。厄介な思想を持った集団など、の狂信者など、相手にしたくない。


「何も無いうちは、ワタシ達が動く必要も無いんだからな」


 ワタシは適当に肩を解すような仕草を見せてから、話題を変えるついでに螢の背中をポンと叩いてこう言った。


「ま、その話は今度にしよう。帰って、風呂入って飯でも食おうや」

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