其の百:新時代

「へぇ…夢ん中はそうなってんのかい。最近のは奴等の手柄かね?」

「どうだか。ま、になってんじゃねぇの?夢ん中で死んでも実害ねぇんだし」

「こりゃいっそのこと、ワタシ達全員夢ん中を監視しろと言われかねねぇな」

「いつかあるかもなぁ…それはそれで、現実を見れなくて嫌だけど」

「夢ん中だけに閉じ込められちゃ、例えとしても手はねぇだろうよ」

「それは無いんじゃないのか?今はねぇってだけで、抜け穴なんざ、無けりゃ開けるさ」


夏真っ盛りも近づいてきた今日この頃。中心街にある、滅多に来ないの個室で、オレとお千代さんはサシで飲んでいた。飲んでいたと言っても、下戸なお千代さんは酒は飲まねぇし、サシ飲みだって言っても、深い理由など無いのだが。


「どうなんだろうな?夢ん中の管理人。オレ達からと思うか?」

「比良は比良のままだろうさ。現実や夢ん中を行き来する制限は出来るだろうが」


ただ、この酒屋にが入ったと聞いて、示し合わせてやって来ただけの話。そこでこの間、となった弥七に連れられて、夢の中の世界へ入った話を肴にして、オレ達は飲み食いを進めていく。


「しかし、夢ん中か。管理人をやってきて一番の変化だな」


お千代さんは目の前に並んだ肉料理に舌鼓を打ちながら、どこか幸福気な顔を浮かべて言う。最初は不安でしかなかったも、知ってしまえばだったわけで、それに美味い料理と飲み物が重なれば、こんな顔にもなるというモノ。オレはその言葉に頷きつつ、外国モノだという酒に口を付けた。


「見る範囲が増えてんだもんな。まぁ、最近は何かとあり過ぎたか」

「最近の範疇が何処までかは、聞かないでおこうか」

「お千代さんだって、同意だろ」

「まぁな。江戸に綻びが見えてたからなぁ…驚きはしないさ。…な」


そう言いながら、お千代さんの目がジッと据わる。言いたいことは、言わずとも分かった。オレはお千代さんの言葉に頷きながら、食事が乗ってる卓とは別の卓に置かれた注文票に手を伸ばして、注文を書いていく。


「中はなぁ…そろそろオレ等にもがいるのかねぇ」

「いるとしても、ワタシはやらねぇぞ。公彦か栄にでもやらせとけ。奴等が適任だ」

「確かに言えてる。向き不向きがあるものなぁ…あぁ、お千代さん、何か飲むか?」

「ん、あぁ、また茶で良い」


酒が切れ、お千代さんのお茶が切れ…そして卓の上の料理も全て平らげた。オレは適当な料理と酒と茶を注文票に書き記すと、呼び鈴を振って抜け殻を呼び出し、注文票を押し付ける。


「さて…一息付くか」


注文を終えると、オレは広い個室の中で楽な姿勢を取る。二人で使うには広い和室。丸く切り抜かれた窓の向こうには、鮮やかに明かりで照らされた、手入れに行き届いた庭園が見えた。


「春か秋にくりゃ良かったぜ。桜か紅葉なら、もっと綺麗だったのに」

「今の緑でも十分だろ。今度、皆を呼び寄せて、ここで宴でもすっか」

「そうだなぁ…料理もその辺と違ぇしな。別んとこも美味いが、ここはまた別の美味さだ」


腹を慣らしながら、何でもない一時を過ごす。仕事に追われていた冬の終わりから、春先頃には考えられなかった平和。何だかんだ、今は平和でもこれから何かは起きるだろうが…兎に角、今のうちにを享受しておくべきだろう。


「豚の肉を焼いただけなのに美味いもんだよなぁ…こりゃ適度に動かねぇと、太るぜ鶴松」

「太るって、そんなに食うかよ」

「いやいや、こりゃ違いない。この先ぜ。それに、お前さんは中年男。肉が付く年頃にしてんだ。ここらで若返ったらどうだ?」


お千代さんはそう言ってオレに若返りを提案してくる。確かに、時代が変わろうとしている今…この格好に拘る理由は無くなった。拘り。お千代さんもそれを知って言っているのだ。オレは顔をくしゃっと顰めたが、すぐに苦笑いになって小さく唸る。


「まぁ、そのうちな。連中も訳だし」

「だろ?んなこと言ってっとダラダラ中年男のままでいるんだ。サクッと決めちまいな」

「じゃ、次の宴までにって事で」


オレはすぐに答えを濁さず、期限を決めた。お千代さんは小さく笑ったまま頷くと、フッと表情を消して外を見る。


「鶴松」

「あん?」

「お前、この間変わった、見たか?」

「少し先までなら」

「そうか」


話題が変わった。オレは少しずつ表情を戻していき、だらけた姿勢を僅かに正す。そうしなくても良いが、そういう空気。お千代さんは外を見たまま、ぼそっと言った。


「あと50年もすりゃ、また国が変わる」

「へぇ…」

「そっから50年もすりゃあ、また戦だ」


ボソッとした、お千代さんの声色。オレは戦という言葉に背筋を凍らせた。お千代さん、そして螢も…の二人は、戦の虚しさを直に浴びている。只の人死とは違う種別の虚しさ。オレはそれを体感していないから、その気持ちが分からないが…お千代さんはどこか投げやりな目で庭を見つめ切ると、オレの方に顔を向けた。


「そうそう、江戸も無くなるぜ」

「戦でか?」

「いいや、別の理由。更に未来を覗いたら、とても信じられない時代が待ってんだ」


お千代さんの顔色が僅かに晴れる。その未来は、戦の世の先だろうか。後でオレも確認しよう…お千代さんが皆まで言わないと言う事は、そう言う事。


「鶴松、なんか、ここまで話す気は無かったがな。ついでに言っちまうとするぜ」


未来の話をし始めたお千代さんは、改まってオレの顔をじっと見据えると、何とも言えない真顔の表情をしたまま、サラリと言った。


「時代も常識も、何もかもが変わっちまう。下手な拘りはサッサと捨てなきゃ、こっから先は生き残れない。ワタシ達、きっと苦労するぜ。抜け殻になりかけちまいそうな位になぁ」

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