幕間:其の肆

其の九十六:配属先

「あ?テメェは確か、大火騒ぎん時の哀れな同心じゃねぇか」


件の大火騒ぎから大分経ったある日。仕事のために江戸へ出向く為に比良の中心街を歩いていると、角を曲がった先で見知った顔を見つけ思わず声をかけた。あの日、老中に使同心、名を弥七といったはず。


「あっ、その節はどうも」


無事に管理人として生きているらしい弥七は、人当たりのいい笑顔を浮かべてオレに会釈して見せる。そう言えば、あの日親衛隊に後を任せてからというもの、顔を合わせていなかった。


「ずっと放置しちまってたな。まぁ、オレが親って訳でもねぇが」

「いえいえ、そちらの、栄さんの親衛隊の皆さんが良くしてくれやして」

「そうかい、ソイツぁ良かったな」

「鶴松さんは、これから仕事で?」

「あぁ。オレの事も親衛隊から?」

「そうです。挨拶に伺いたかったんですが…生憎家が遠くて中々…」

「いやいや、気にすんな。どうせこの辺うろついてりゃそのうち会える」


オレは弥七の妙な礼儀正しさにムズ痒さを覚える。コイツと同じ八丁堀…守月公彦と来たら、会ったその日には叩き殺してやりてぇくらいの印象を受けたのだが、コイツからはそういう気配を一切感じない。


「ところでテメェ、弥七って名だよな。苗字合わせて何て言うんだ?」

「へい、弥七ってのは渾名でして。弥城七海やしろななみって言うんです。苗字は馴染みが無いわ名前が女っぽいわで、弥七って名乗ってまして…」

「ほ~…虚空記録帖にまで弥七で出てたはずだぜ。随分通った名なんだな」

「いえいえ…まぁ、昔からずっとこれですから」


弥七は愛想笑いを浮かべながらそう言って、オレの行く先に着いてくる。そう言えば、角を曲がって会ってからずっと一緒だ。


「そっちは何処へ?」

「俺は江戸に用があって」

「奇遇だな。ここからなら、八丁堀に出るのか?」

「同じですね。岡っ引き一人を始末しに行きやす」


確認すると、弥七も仕事の為に江戸へ出向くらしい。ともなれば、道中暫く同じ道だ。オレは弥七と共に適当な事を駄弁りながら中心街を進んでいき、八丁堀へと繋がる家の扉に手をかける。


「出たら行き先は違うな」

「そうですね」

「そうだ。一つ聞かせててくれや。離れてるって言ったが…今、何処に住んでんだ?」


出て、江戸で別れる前に尋ね事。別に八丁堀に出てからでも良いが、ふと思い出したのでここで聞いてしまう。弥七はオレの問いに、僅かに目を見開くと、すぐに温和な笑みを浮かべた。


「へい、街中からは大分東の方へ行った先にありやす新しい集落ですね。新人が多いんすが、世話になった親衛隊の人が音頭を取ってくれてるんで色々助かってやす」

「へぇ…あっちゃ更地だったがなぁ」


新たな情報。近場で新人管理人を見ないと思ったら、別の場所が開拓されているとは思わなかった。オレは弥七の言葉に素直に驚きながら頷くと、気を取り直して扉に手を掛ける。


「すまねぇ、じゃ、行ってサッサと用事済ませちまおうぜ」


 ・

 ・


江戸へ出向き、そこから行き先が違う弥七と別れたオレは、久しぶりでも無い江戸の街並みを眺めながらへ出向く。今回の仕事先は、この間大火になった車町の近く。記録違反をしたのは、そこで消失した家を再建している職人の一人。


大火の日のお祭り騒ぎが収束して久しい江戸。火の手が回らなかった所はすっかりいつもの喧騒を取り戻していた。だが、一歩焼失した地域に足を踏み入れると、その喧騒は別の種類に様変わりする。


(職人って、こんなにいるもんなんだな)


消し炭になった家々を取り壊し、更地にし、地面を慣らして新たな家…いや、町を創っていく。その為に汗水たらして働く職人たちの掛け声と怒声が聞こえてきた。オレは手際の良い動きを見せる連中を横目に見ながら、何処か晴れやかな気持ちで道を行く。


(まだ焦げ臭せぇのか)


絵面は最悪だが、何もかもを無からやり直す…そういう機会は多くない。無に帰す前の事を思い返せば、少しは胸が痛むが、消えてしまえばそれは過去。人の気配を感じぬまでに辺り一面を眺めれば、過去に溜められた鬱憤など、何処かへ消えて行ってしまう。


(老中もしたしな。どうせこの世はそんなモンよ)


何時か、変な同情心に流されかけた自分を嘲笑いたくなる。あの時に感じた気持ちは全て本音だが、一時の感情に流される事ほど愚かな行為も無いだろう。何処まで行っても、最後の一歩は踏み出さない。管理人になってから、いや、その前からも、そうやって生きてきたんだ。同情はする。それを即座の行動には移さない…長生きの鉄則。


「さて…この辺りじゃねぇかな」


再建が進む街を歩き、やって来たのは何の変哲もない通りの隅。周囲の土地には、家を建てる職人たちと、徐々に出来上がっていく家々が目に付いた。そろそろ骨組みも出来る頃合い…オレは出来ていく家の一件に目を付ける。


少々離れた土地に、小屋が建てられていた。それを担当しているのは、一人の職人。土地の大きさから見て不相応に小さな小屋…あれは離れの倉庫にでもなるのだろうか?分からないが、兎に角、一人の男…記録を破った男が、小屋を着々と組み立てている。


違反した男を見つけたオレは、周囲を見回して注目を浴びていないのを確認してから作業中の土地へ足を踏み入れた。そして、積み重ねられた材木の合間を縫って男へ近づいていく。


(さて、サッサとやっちまうかぁ…)


この辺りで急死を装うならどうするか…オレは、まだオレに気付いていない職人の近くに立てかけられた、梁にでも使われそうな材木を目にして、それを使おうと心に決める。


「おぅ、ちょっと良いかな」


殺し方が決まれば、あとはやるだけ。オレは男に声をかけ、怪訝な顔をする男に笑みを見せながら近づいていく。


「なんだテメェは」

「気張るなよ。ちゃんと家が出来てるか確認しに来たんだ」

「はぁ?家主か?嘘吐け、そんな小汚い格好でだだっ広い武家屋敷なんか持てるかよ」

「そうか、じゃ、そう思ってな。後で後悔するぜ?」


オレの様子に不信感を募らせる男。オレにとっては、間合いに入る為の方便でしかない。手を伸ばせば男に届く距離まで近づくと、オレは瞬く間に行動に移す。


「なにをっ!!がぁぁぁ!!…あっ!!!!!!………………」


男を掴みあげ、持ち上げて、肩の骨を外し…首の骨をへし折ってやってから、立てかけられていた大きな材木にヒョイと放り投げる。息を失った男は抗うことなく木にブチ当たり、やがて幾つもの木々の下へ埋もれていった。


ガラガラと大きな音を立てる建築現場。オレはサッサと避難して、何食わぬ顔で道の脇にやってくる。他の現場から離れたこの場所は、大きな音が立っても誰も気が付かない。男の死体が見つかるのは、周囲の人間の記録が調整された後、夕方になってからだろう。


オレは静寂を取り戻した現場をジッと見つめてニヤリと笑うと、手を揉んで元来た道に戻り始めた。


「一丁上りだ」

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