其の九十五:鶴松、変わる時を眺める
「なんだ、オレが最後か?」
「あぁ、随分と遅かったじゃねぇか」
江戸の騒ぎが終わった後。約束の日の夜。オレは銭湯の風呂に浸かり、それから二階の待ち合わせ場所に顔を出した。既に四人が顔を揃えて飯を食っている最中。いつも通り螢の横に座ったオレは、新たに雇われた抜け殻に天丼と酒を頼んで一息つく。
「鶴ちゃん風呂で寝てたもんね。そのまま上せて死んでんじゃないのって話してた所だよ」
「あぁ、あやうく水ん中に沈むところだった。顔半分浸かって気付いてな」
「しかし相変わらずじゃのぅ。鶴松は。前にも溺れかけておらんかったか?」
「ほっとけ、オレは山の人間だ。水は苦手なのさ」
そう言いながら、運ばれてきた酒を一気に飲み干し、空になった瓶から酒を注ぐ。周囲はオレ達に気を遣う奴等が多かったが、それでも江戸の一件の話で持ちきりの様だった。
「で、結局落ち着いたのか?え?」
「なんとかなぁ…大分未来は修正された見てぇだが」
「ほぅ。オレ等からの贄は無しか」
「管理人からは、まぁ、裏切った阿保連中の首で許されたって感じだわな」
「あれさえなければ、もう少し穏便に片付いたのにね」
「そうじゃのぅ、最後が余計じゃった」
この卓でも、話はこの間の大火の一件。現場に出向き、後始末を担当していたのだから当然と言えば当然だ。オレ達の中で誰もが消えてない辺り、虚空記録帖は今回の件を罪ではなく功績と見てくれたのだろう。ひとまず、全員の顔が揃って一安心。オレは酒を進めながら、周囲を見回して…そして卓の外に目を向ける。
見えたのは、少々変わった気がする中心街の通り。煌びやかなのは相変わらずだが、通り行く人々の様子が何時もと変わった気がした。
「結局、この先どうなんのよ。誰か調べてねぇのか?」
「ああ調べたさ。結局大火の原因は闇ん中。老中戸田は黒い噂こそついたが…脛に傷を抱えることなく来月で死ぬ。概ねの筋書は元と変わらねぇ。だが、死んだ人間が多すぎる。そのせいで、あと百年は持つはずだった幕府の寿命が少し削れた」
オレの問いに、お千代さんが答える。お千代さんはそのまま全員を見回すと、珍しく携帯していた記録帖を取り出して卓のど真ん中に開き置く。見ると、今現在から暫く先までの年表が記されていた。
「ほぅ…これまでを考えれば、目まぐるしい変化じゃのぅ」
記録帖を見てそれぞれ反応を浮かべるオレ達。新たに設定された記録を見る限り、今の江戸の世はもうそろそろ末期といって良い頃だ。あと百年もしないうちに、あの場所は大きな様変わりを繰り返す事になる。
オレはやって来た天丼を突きながら、それをジッと見やって目を細めた。お千代さんや螢は江戸より前の人間で間違いないが、オレや栄はそうじゃない。これだけ長く泰平の世が続いた時代…裏で色々あれど、何だかんだ、振り返ってみれば悪くないと思えるもの。隠れ里の盗賊出風情がそう思うのだ。その目から見れば、この先は暫し苦しい時代と言える気がする。
「煮え切らねぇ仕事が増えそうだな」
食べながら、合間にボソッとそう呟くと、隣で握り飯をチマチマ食べていた螢が頷いた。
「今更さ。それよりも…これじゃ、管理人の不足が激しそうだね」
冷めた反応。現実的な言葉。オレは見た目の可愛らしさと全く正反対な反応を見せる螢に向けて苦笑いを浮かべると、お千代さんが螢の言葉に反応を見せた。
「あぁ、全く足りねぇ。全国的に不足が続いてるらしいぜ。それどころか、外国じゃもう破綻しかけてるそうだ」
お千代さんの言葉に全員が目を丸くする。この国の事しか知らないオレ達だ。外国という響きは、どこか奇妙で興味深く…そしてどこか怖いものと思えた。
「外国…千代、どういう者がおるのか、知ってるのか?」
「大昔に南蛮の連中と仕事したことがある。螢がまだペーペーの頃だ」
「あぁ…何だっけ、キリシタンの人?」
「そうそう。今は御法度だがな、昔はアリどころか推奨されてたくらいでな。その時に」
お千代さんは蕎麦を食べる手を止めると、外を見て、再びオレ達に目を向ける。
「まぁ、常識が違う。人間そのものも違うが…この辺りの人間よりデカいんだよな」
「そうだね…大きかった。子供の身なら尚更でさ。舐められてしょうがなかったな」
「もう少しすりゃ、江戸で見れるだろうぜ」
「ま、所詮人は人よ。言葉が通じねぇのは参ったがな!あれだ、うちの国でも端に行きゃ言葉ちげぇだろ?言い方っていうか」
「そうそう!そんな話じゃないんだよね!もう、何て言うの。発音から文字から何もかもが違うのさ」
「記録帖が言葉にしてくれたから良いけども。アレ、初対面じゃ、ぜってぇ揉めるよな」
「確かに!江戸の役人は喚くな!とか言って斬り掛かりそうだもんね。基本的に小さくて舐められてんだもん。ボク達はさ」
思い出を思い出しながらといった風の二人。何があったかを話さない辺り、単純に忘れているのだろうが…楽しそうな声色からは、思うところは幾つかあれど、全体的に悪い印象を抱いては無さそうだった。
「そういや、お千代さんは知り合いの管理人に外国人っているのか?」
オレはその話に頷きながら、気になったことを口にする。するとお千代さんは顎に手を当てて唸り声をあげた。
「昔はいたが、今もやってっかは分からねぇ。そうだな、後で記録帖に聞いてみっかぁ」
「というか、外国にも管理人がおるのなら、比良みたいなところがあるのじゃろ?そこには行ったり出来ぬのか?」
オレの次は栄の問い。お千代さんはそれには首を横に振る。
「無理だ。その土地からしか行けんよ。ここもこの国と見なされている所からしか来れねぇからな」
簡単な回答。オレと栄、八丁堀はそれを聞いてどこか合点がいったように頷いた。
「それも、今だけかも知れねぇけどもなぁ」
お千代さんはオレ達の反応を見てそう言うと、茶を一口飲んで間を置いて、どこか遠い目をして外を見る。そしてボソッと一言、こう呟いた。
「まぁ、まだまだ先に興味があんなら結構だ…お前等、暫くは死ねねぇぜ」
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